「国連崩壊」は、国連から不当に追放された国連記者マチュ―・リーの口癖です。 彼はこの言葉を、追放された今は勿論、追放される前にも連発していました。 彼が追放されたのは、国連批判が原因ではありません。 反モロッコ的だと、モロッコ国連大使が国連広報官に、リー記者を追い出させたのです。 こういう不明朗な体質が、まさに国連崩壊を物語っています。 国連事務総長が年頭記者会見をやりました。 国連って、何ですか? 「教えて、国連事務総長さん、、」
(1)国連事務総長の年頭記者会見スピーチ: 2019年1月18日、アントニオ・グテーレス国連事務総長が国連ニューヨーク本部で、年頭の記者会見を開いた。「本日はまず、加盟諸国と討議を重ねた結果の報告から始める。私が彼らから聞かされた一番多い単語は、<多国間主義(多角的交渉主義)>だった」と、事務総長は口を切った。そして、「私の心中にあるのは疑いもなく<グローバルな挑戦はグローバルな解決を要求する>という概念だ。今日の我々には、これまで以上に多国間主義(多角的交渉主義)が求められている」と、自説を再三、繰り返した。 「同時に、多くの人々が未だに<国連は行動が鈍く官僚主義だ>と思っている。だから我々はより敏速で柔軟な対応をし、目に見える効果を上げるため、改革に着手している」と、国連事務総長は国連に対する非難を、都合の良い抽象論でかわした。 事務総長さん、そうじゃないと思います!多くの人々は、<国連は何もしない特権高給取りだ>と思っているのです。「国連は偉そうに平和や人権や平等を口にするけど、実際には何も実質的な仕事をしないで、調査とか統計だとか称するフェイクレポートを流し、自分たちの怠慢を正当化しているだけだ」と、世界の庶民は国連を胡散臭く思っているのです。二度と悲惨な戦争を起こさないために国連を作ったはずなのに、その国連が世界のあちこちで戦争を巻き起こし、軍需産業を支えている、、国連が供託金と称して国連加盟国から集めている国連経費は、加盟国庶民の血税で賄っているんだから、庶民は黙っているわけにいかないのです。 一度、正確に正直に、世界の庶民の国連評価アンケートを取ってくださいませんか?国連事務総長さん、、
(2)三つのお話: 「3分野での行動」と銘打って、国連事務総長は国連行動計画の話をした。 一つ目の話は、「国連は見捨てられた人々の側に立っていると宣伝すること」だそうだ。言う事とやる事が違いすぎます、事務総長さん!モロッコ王の命令で弱い立場のジャー ナリストを国連ビルから捨てたじゃないですか!! 二つ目の話は、「国連がやった功績、例えば2018年12月の国連主催国際会議の成功を宣伝すること」だそうだ。国連事務総長が成功だと自画自賛する気候変動会議と移民会議は、大方のメデイアが失敗と評価している。自らが良いと言わなければ世界が目もかけてくれないという事実を、国連事務総長は自覚すべきだ。 三つ目の話は「ヘイトスピーチ、ヘイトクライムとの戦い」だそうだ。「そのために特別補佐官アダム・ディングに行動チームをつくるよう命じた」そうだ。 国際連合事務総長さん、アダム・チームにまず国連憲章第53条と107条を再検証するように命じて下さい。ドイツや日本に対する「敵国条項」という言葉はヘイトじゃないのでしょうか?世界第3番目に国連予算を分担させられている日本の庶民は、いつも納得がいかない思いでおります。
(3)「1930年代の教訓を忘れるな」: 国際連合事務総長が年頭記者会見で語った「1930年代の教訓」という言葉は、重い。 国際連合事務総長は,どういう思いでこの言葉を発したのだろうか?第一次大戦後に「二度と悲惨な戦争は起こさない」という決意で創った国連(国際連盟)が崩壊する1930年代に、2010年代を重ね合わせたのだろうか?国連(国際連合)崩壊を予告しているのだろうか? まずは、1930年代の主な出来事をざっと復習してみよう、、 1931年、満州事変(柳条湖事件)勃発。 1932年、 五・一五事件起こる。 1933年、ドイツでナチスが独裁政権を取り、アドルフ・ヒトラーがドイツの再軍備を宣言し、国際連盟と国際労働機関を脱退。日本政府も国際連盟と国際労働機関を脱退 1934年、ソビエト連邦が国際連盟に加盟。日本政府がワシントン海軍軍縮条約の廃棄通告 1935年、ナチスドイツがニュルンベルク法でユダヤ人の公民権を停止。 1936年、二・二六事件起こる。スペイン内戦が勃発。 1937年、日本と中華民国間において日中戦争(支那事変)が勃発 1938年、ドイツナチスがオーストリアを併合し、チェコスロバキア地方の帰属問題を締結 1939年、ドイツと独立スロバキアの同盟がポーランド侵攻。これに対しイギリスとフランスが宣戦布告(第二次世界大戦勃発)。17日にはソ連もポーランドに侵攻した。
1930年代と2010年代、大繁盛するナショナリズムの台頭など、似ているといえば似ている。
国連は、国際連合と国際連盟の略です。 国際連連盟は第一次世界大戦後の1920年にアメリカ大統領ウィルソンの呼びかけで、スイスのジューネーブに本部を設けました。 連盟の提唱国アメリカは議会の反対で国際連盟には参加せずじまいで、連盟は戦争を再検証止めることができず、第二次大戦に突入しました。 第二次大戦後、「二度と悲惨な戦争を起こさない」という決意で、ニューヨークに本部を置く国際連合が設立されました。 国際連盟はどうなったかって? 第二次大戦後の国際連合誕生で、事実上、崩壊しました。 が、ジュネーブ本部のあったパレ・デ・ナシオンは国連ジューネーブのセンターになっています。 UNHCR(国連難民高等弁務官)、OHCHR(国連人権高等弁務官)、UNITAR (国連訓練調査研究所) 、NFPA(国連人口基金)、、など約27の国連と名の付く関連機関が、ジュネーブに本部を置いています。 多すぎない?? 国際司法裁判所(ICJ)や、国際労働機関(ILO)なども、国際連盟から国際連合が受け継いだそうです。 国際連盟と国際連合の違いって、何ですか ?? 国連事務総長さん、、
Youtubeにアップした「人民投票」(Referendum)を今年もご案内します。 「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc 「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いいたします。 「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo 「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2019年1月22日 SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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