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2019年02月16日08時06分掲載
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文化
[核を詠う](279)蒲原徳子短歌集『原子野』の原子力詠を読む「原子野に掘りし遺骨の幼なきを成仏すなと胸に抱きしむ」 山崎芳彦
今回は蒲原徳子短歌集『原子野』(合同出版社、2011年8月9日刊)から原子力詠を読ませていただくが、この短歌集はこの連載を読んでくださっている友人から、「知人から託された」として送っていただいた2冊の歌集のうちの一冊である。ありがたいことである。この歌集『原子野』の著者は佐賀県生まれ(1920年)、佐賀県に在住された歌人であり、長崎に原爆が投下された後に、長崎に嫁いだ姉一家の遺骨を求めて、まだ原爆の被害で惨憺たる状況、残留放射能がなお悪魔の牙をむいていた長崎市内に入り、その悲惨を目の当たりに見、被爆者と出会う体験をした。著者も残留放射能の被害を受けたであろう。その時の過酷な体験の記憶を作者は50年余にわたり自身の胸の奥ふかく封印し、家族にも告げなかったという。語らず、詠わずにいたその時の体験と思いを、作者は80歳近くになって短歌表現しはじめ、卒寿の記念に次男の方が、作者の10年余にわたる短歌作品を収めた歌集を用意されたという。『原子野』はそこから生まれた短歌集である。
蒲原さんの短歌集『原子野』に収められている文章に拠っての、筆者の『原子野』と著者についての覚束ない注釈ではなく、同歌集の編集、刊行に直接携わった歌人・向井毬夫氏の文章からの引用をさせていただくことにしたい。
向井氏は「蒲原徳子短歌集『原子野』について」と題して解説を寄せている。向井氏は「歌集の題名『原子野』に示されるように、作者が最も心血を注いだのが巻頭の七つの連作であろう。(筆者注 その連作はこの記事に掲載している。)ナチス・ドイツの敗北ののち、アメリカは戦後世界の覇権を握るためすでに敗北が秒読みであった日本に原子爆弾を投下した。一九四五年八月六日広島にウラン型爆弾を、八月九日には著者の姉一家が住む長崎にプルトニウム爆弾を投下し、その年のうちに約七万人もの生命が奪われたのである。著者は原爆投下の翌週、姉の遺骨を求めて長崎市内に入り、惨状を目の当たりにした。/それから五十余年、著者はこの経験を家族にも告げず短歌にも歌わなかったという。…おそらく著者は原爆という人間と生命への侮蔑の極みを心に反芻しつづけ、自分の経験のなにが本質かを問い続けたに違いない。その永い沈黙と自問自答が『原子野』の作品行為としての深みと、歌のスケールを生み出したのだと推測される。」として作品を抽き、「言葉は平明にして、読み手の同感する力を引き出す本格の作だと私は思う。」と記している。また、「この『原子野』の歌を頂点として本書には著者の半生が、家族や近隣の人々との生活と戦後史の交錯の中から、豊かにあるいは切実に歌われている。絶え間ない暮らしの困難にもめげず、人々との交流と自らの人生を愛しつづけたその前向きさ、創造力の豊かさは読む者の心を満たして余りある。」と評している。
また、ご子息の白六郎氏は「解題」として著者である母・蒲原徳子さんについて、徳子さんの夫の亀雄さん(炭鉱夫)が1,950年のレッドパージによって杵島炭坑を馘首され、解雇撤回を求めての裁判闘争を闘い、解雇の理由とされた「破壊工作謀議」は冤罪と証明できたものの、馘首撤回については「占領軍命令による超法規的処置という理不尽な裁断で敗訴」し、長い裁判闘争の中で体を壊し闘病生活に入ったため、徳子さんは3人の子どもとの生活を支えるため昼夜を分かたず働いたことなどを記している。この短歌集には、その徳子さんの生活を短歌表現した作品も数多く収められている。
本稿では短歌集『原子野』の400首を越える貴重な作品の中から、原子力詠のみを抄出することになるが、読んでいく。
◇猛火◇ 浦上のホームらしきを踏み出すに熱気伝い来(く)靴の底より
殺戮の猛火あびしか片頬の焼けただれたる馬がさまよう
飼主はすでに死せしか人を恋う眼なる牡馬ふらつきており
飼主を探す眼でわれに寄る栗毛の馬のふらつきながら
烏らは人の腐肉をむさぼるや八月長崎午後の往還
生きるもの焼ける異臭にたえつつも義兄を姉をと探す無言に
身を寄せん片陰もなき原子野に激しき夕立去るを待つのみ
◇長崎医大にて◇ 炎天の庭に頭蓋を並べある骸(むくろ)ふえゆき人とどまらぬ
鉄骨のみの内階段を昇る部屋人ら次々息絶えてゆく
顔ごとを判別しゆく瞬すらも冒瀆ならん思いさいなむ
医大の部屋アロエを水をと断末魔の声と息とは細りゆき消ゆ
全身の火傷にうめき「水下さい」「オカアサン」とぞ待ちいつつ死す
アロエ直届きますよと言いやればうなずきてのち静かになりぬ
無責任の言葉信じてアロエまだかまだかと待ちて命終われる
長崎医大の三階までを上り下り探しあぐねき姉のなきがら
次々に消えゆく命見つつ尚あきらめられず姉を探しぬ
呻(うめ)く声痛みに喘ぐ叫び声被爆医大に異臭漂う
足元に乳飲み子の母の遺体ありてただ泣きぬれる父子の悲しみ
乳飲み子と共泣く若き父親を甲斐なき業とわれの思いは
泣いている場合ではなしと叱咤(しった)せるわれの心処(こころど)鬼が棲(す)みしか
息のなき妻に会えしは姉に会えぬ我よりましと言いて別れき
◇蒸焼きの姪◇ 性別も分かぬ遺体に手を合わすわれの仕草は白々しきか
雁爪(がんづめ)に防空壕を掘り当てぬ布団をかつぎ蒸焼きの姪
炭化せど姪の橈骨(とうこつ)尚熱く胸に抱(いだ)きぬ鉄帽とともに
頭蓋骨つるり傷なく中三の姪の瓜実顔(うりざねがお)そのままに
白く黒く青き煙の昇りいて人を焼くなり焼けトタンの上に
息絶えて身寄り待つのみ限りなく空晴れ渡る長崎の昼
人を焼く余燼(よじん)くすぶる焼け跡の防空壕か重なる遺体
◇原子野に◇ 父の背に母よ母よと乳飲子は泣きのけぞりぬ原子野のなか
父母(ちちはは)に会うと連れ来し少年に爆死されしと隣人は告ぐ
父母(ふぼ)なしと聞かされて江島少年が声殺し泣く原子の荒野
今ならば父母とも爆死す少年を抱き寄すべし母に代わりて
父母(ちちはは)を亡くせし少年に慰むる手段(たどき)も知らずかたわらに在り
ひたすらに姪甥の遺骨拾うのみ成仏などすなとつぶやきながら
疎開せし少年一人命ありき原子野に別れふたたび会わず
主治医半年われは一年絶え間なく下痢と高熱襲いやまざり
◇八月黒焦げて◇ 原爆を受けし電車は黒焦げて軌道にありき敗戦ののち
影もなく消えし姪たち甥たちの思いは今も胸に疼(うず)けり
腕白なりし甥は小五の夏休みヘルメット焦げてころがりており
団欒の思い出もなし原爆に消えし命の幼な顔々
原子野に掘りし遺骨の幼なきを成仏すなと胸に抱きしむ
焼け焦げし姪の遺骨を抱くとき鬼も来て哭(な)けこの子に罪なき
敗戦の諫早駅(いさはやえき)に夜明かしの一人旅にて姪の骨抱く
飯粒をこぼす子もなし長崎の終戦近き飢餓の朝夕
九度三分の発熱ありて原子野に砂嚢(さのう)引きずるごとき脚もと
人殺す兵器作るな長崎は一椀の水も無かりし焦土
◇一枚のタオル◇ 軟膏とマーキュロ塗られ人らつぎつぎと息絶えゆくになおも列なす
医大の医薬すでに尽きしか包帯は火傷を覆う術なしと知る
被服みな焼けし火傷のなきがらに唯(ただ)一枚のタオルをかける
水筒が役に立てばと焼け跡に子を追う若き主婦に渡しぬ
なきがらに道阻まれて足元に廻る暇なく跳び越えたりき
傷なくて被爆現場を離れしも高熱と下痢に逝(ゆ)きし人々
肥前山口駅を通過しおちつけどやけどの人等それより逝きし
何時来るか分らぬ列車日暮れより夜明けまで待ちぬ諫早駅に
焼け跡の水道管の漏水は噴き上げて落つ音の激しく
破れたる水道管より湧く水を飲みて一年下痢の続きぬ
◇手書きの貼り紙◇ 幼子が父母を恋しと原子野をさまよう姿夜に顕(た)ちてなお
浦上をめぐる山々熱風に焦げし立ち木が赤く連なる
乗客の思い同じか窓外(そうがい)の山の葉焦げるに総立ちとなる(長与駅)
おさな児が生き残る余地などさらになし父母に伝うる言葉を探す
戦場の意義も意識もなからん子閃光浴びて姿なかりし
詔勅はデマだうそだ頑張ろうと折れ電柱に貼り紙空し
敗戦を認めず焦土に戦うと手書きの貼り紙凝視して立つ
◇その他◇ 長崎のホテルの一夜寝られず転々と逝きし姉を思えり
原爆に逝きたる姉よ名は藤子藤美しき小雨降る中
バグダッドの紅蓮の炎映像は広島長崎灼きし血の色
弱き国劣化ウランの牲(にえ)となり女童(おんなわらべ)は傷つきて飢ゆ
次回も原子力詠を読む (つづく)
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