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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2019年04月01日13時49分掲載
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コラム
桜とチェーホフと高橋源一郎著「ぼくらの民主主義なんだぜ」 村上良太
毎年、満開になった桜を見ると、思春期の頃に清新な感動を覚えたチェーホフの戯曲「桜の園」などの一連の戯曲が思い出されます。ロシアに桜があるのですね。チェーホフの4大戯曲の1つ、「桜の園」では零落する貴族の持っていた桜の園が新興の資本家によって買い取られ、そこに別荘地が建設されることになり、桜を切り倒す音で幕を閉じます。チェーホフの戯曲には「かもめ」でもそうですが、未来を憂える登場人物が多く出てきます。とくに自然環境が、森が産業開発によって侵されていくことを憂える医師などのインテリが目立ちます。これはチェーホフ自身の心配でもあったに違いありません。そして、チェーホフは当時ロシアで起きている問題をその時点では解決できなくても、未来の人類が解決してくれるだろう、という希望も持ち、戯曲の中でもそうした言及があります。
作家の高橋源一郎氏が朝日新聞に論壇時評として書き続けたものをまとめたのが「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書)です。2011年4月から2015年3月まで毎月1回書いていたものなので、今この時期を振り返れば民主党政権の後半から第二次安倍政権へと時代が大きく変わっていく変動期に当たります。東日本大震災と福島の原発事故が重要な転換期の事件として出てきます。このころ、世界ではリーマンショックの後に起きた行政府の独走に対して「オキュパイ」運動などの若者が多数参加した対抗運動が盛んになった時期でもあります。
当時、論壇時評では特に「民主主義」というタイトルでまとめていたわけではなかったのしても、あとで本に編集する時点で否応なく、民主主義を多くの人が真剣に考える時代だったことからこのタイトルになったのでしょう。本書はこの4年間に起きた様々な社会事象や論壇、作品などが書かれています。筆者自身が関わった作品も本書では登場しており、個人的にも思い出深いものがあります。高橋氏はそれを政治学者ではなく、作家が書いたと言うことで、たとえ民主主義がテーマになっていたとしても政治学の枠から自由に民主主義を語ったものです。あとがきで高橋氏はこう記しています。
「たとえば、読者のことを考えるとき、目の前の読者、いま読んでくれている読者だけではなく、いつか読んでくれるかもしれない読者のことを考えるようになった。10年先の、100年先の、あるいはもっと未来の読者。」 「そんな遠い未来の目から、ぼく自身を見た。ぼくは、ある特定の時代に生きて、その時代の考えやことばに制約されている。千年先から見たぼくは、滑稽だろう。けれども、その制約の中で、精一杯のことをやってみたい。そんな風に思った。未来の読者から、『あなたが生きていたその世界ではなにがあったのですか?』と訊ねられたら、『こんなことがあったんだよ』と答えたいと思った。遥か遠くにまで届くことばを作れたらいいなと思った。小説は、そのために書いていたんだ。」
過去形や未来形、現在形や進行形など、文章の時制をコントロールすることは作家や文人の技術に属します。現在に絶望する人はしばしば未来に仮想の自分(あるいは他者)を置き、その未来の視点から現在の自分を見つめる、ということがあります。これは時制をずらすことによって現在の痛みを和らげる技術でもあると思います。高橋氏は現在形でこの4年間を書き続けましたが、それを未来の読者に読んでもらい、2011年から2015年までの日本の「現在」を理解してほしいと思ったと書いています。「遥か遠くにまで届くことばを作れたらいいなと思った。小説は、そのために書いていたんだ。」という高橋氏の言葉は、チェーホフを思い出させます。医者でもあり、結核にかかっていたチェーホフはおそらく自分が長くはないことを知っていたのではないかと思います。だから、自分の力ではどうしようもない現実、あるいは自分の世代が総力を挙げても変えられないかもしれない現実の解決を未来の読者に託そうとした、という風に思えます。そして、様々な歴史や文学と言うものも未来の人類に託された手紙のようなものと思うこともできると思います。
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チェーホフの戯曲『桜の園』は初演が1904年。その年チェーホフは結核で死亡した。『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』と並び、チェーホフの「四大戯曲」とされる。





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