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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2019年04月08日11時05分掲載
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文化
[核を詠う](283)本田一弘歌集『あらがね』から原子力詠を読む(3)「ふくしまに生れし言葉はふるさとの土を奪はれさまよふらむか」 山崎芳彦
本田一弘歌集『あらがね』から、筆者の読みによる「原子力詠」を抄出させていただいてきたが、今回で終る。今回の抄出歌に、「水俣は水のことばを福島は土語(つちのことば)を我等(われら)にたまふ」、「みなまたとふくしまの間(あひ) 亡き人の訛れるこゑを運ぶかりがね」、「訛りつつ生きて我等はうつたへむ しゅうりりえんえんしゅうりりえんえん」の3首があるが、本田さんが福島の地の歴史と現実を踏まえて水俣によせる思いを詠った作品に、筆者は強く、深い感銘を受け、石牟礼道子さん(1927〜2018)について思いを馳せた。本田さんの短歌作品は筆者に多くのことを教えてくれる。
筆者が石牟礼さんの『苦海浄土 わが水俣病』(昭和44年、講談社刊)を最初に読んだのは1970年のことだったが、ある雑誌に拙く、短い「書評」を書いたことがあった。その後、石牟礼さんの作品をいくつかは読んできたが、熱心な読者だったとは言えない。本田さんの短歌作品を読み、「しゅうりりえんえん」のことばを思い起した。本田さんの作品に触発されて書くのだが、筆者はこの呪文のような言葉について石牟礼道子さんの文と、丸木敏・位里さんの絵による絵本『みなまた 海のこえ』(小峰書店刊 1982年7月第1刷発行、2015年9月第27刷発行)で、石牟礼さんの詩ともいえる文―ことばと丸木敏・位里さんの絵によって読んだ。そして、「絵本にそえて」として「常世(とこよ)の舟」と題する石牟礼さんの文章を改めて読みながら、「みなまたとふくしま」について、思いを深めていた。絵本「みなまた 海のこえ」に添えられた石牟礼さんの「常葉(とこは)の舟」には次のように記されている。
「しゅうりりえんえん、という言葉は、もちろん辞典にはありません。狐のおぎんも初めて皆さまの前に出るわけですので、辛い世界から出てくるための呪文というか、祈りを長い間やっていましたら、こういう言葉が出て来ました。 奥深い空にひがん花が一輪浮き出てくる、その花のエネルギーというか、そういう言葉です。本当に苦悩の深いものほど、しゃべらないのだ、空の奥に赤い花のように咲いているだけだとわたしは思うのです。そんな花の祈りが、音楽になる寸前の言葉が、しゅうりりえんえんです。不知火海の渚を回ってみれば魚や貝たちだけでなく、潮を吸って生きている樹々や草の類に、わたしは心うたれます。そのような樹や草の姿は遠い昔、わたしたちが海から生まれた生命であることを思わせます。毒を吸ってはいますが、海は原初そのものです。この海を鏡にして覗いてみれば、実に意味深い社会の姿が映し出されてきます。意味を解きしらせてくれるのは、死者たちや苦悶の極で今も生残り、生き返ろうとしている人びとです。」
「狐を登場させましたのは、古老たちや患者さんの坂本嘉吉、トキノご夫妻からチッソが来た頃、山を崩された狐たちが天草からくる舟に頼んで島々に渡ったという話を聞いたことがあったからです。魚や貝などの名を、こちらの云い方で出しました。海と人間たち、狐や狸やガーゴ(みなまた地方の妖怪。すがたは見えない 筆者注)たちとの親密だった世界を描きたかったからです。井川(わき水 注)の神様やガーゴたちに加勢してもらって常世(とこよ)の舟を出させました。敏先生が助けて下さらねば描けぬ世界でした。/水俣病事件は、今も進行中で終っておりません。一行でも、大人になるまで考え続けられる箇所が、皆様の胸に残れば喜びです。」
丸木敏さんも「絵本にそえて 水俣浄土」と題する心に沁みる文章を書いている。 「しゅうりえんえん/しゅうりえんえん(略)/チッソ工場がやってきて、煙突から黒い煙を出す。狐たちは危険を悟って、人間と入れかえに水俣から逃走する。逃げおくれたきつねたちは、人間と同じように水俣病で倒れる。/ちよちゃんが死んだ、お母さんも死んだ、おじいさんも死んでいった。何十何百何千、えんえんとさびしい葬列がつづく。/赤い彼岸花の咲く晴れた日の海の道、しゅろの木のならぶ南国の道、光り輝く浄土、水俣。明るければ明るいほど金色の世界は、いっそう悲しいのです。鳥も魚も人間もきつねもみんな、ほんとうに楽しかった水俣に戻れるのだろうか。/いま、美しかった太陽の島。にほんは、ほんとうにきれいでよかったにほんに戻れるのだろうか。いま、子どもや鳥やきつねは幸せなのだろうか。そういうことが、みんな描けただろうか。/石牟礼道子さんが、みごとに書いてくださったのに、編集担当の千葉さんや皆さんに住まないような気がしています。」
この絵本の石牟礼さんの文、丸木敏・位里さんの絵をここで伝える力を筆者は持たないが、幾度も読み返し、絵を見返ししながら、水俣の歴史と現実、福島の歴史と現実に思いをめぐらし、福島の歌人・本田一弘さんの短歌作品を読み重ねた。水俣、福島とは沖縄とともに、この国の歴史と現実を生きる苦難にみちた人びとにとっての、さらなる悲惨の警鐘というべきであろう。命に対して挑戦するかのような経済と政治の論理、権力の行使は極まっている。みなまた、ふくしま、おきなわの現実は、実は筆者も含めてこの国の人びとと離れてはあり得ない。石牟礼さんの俳句に、「毒死列島身もだえしつつ野辺の花」という俳句がある。核放射能、汚染水、汚染物質に取り囲まれている現状、それに侵されている深刻なこの国であることを、改めてわれわれがわが事として思わなければならない。
石牟礼さんは、著書『潮の呼ぶ声』(毎日新聞社刊、2000年8月)に収録の「どこで生まれた者かわからんように」の中で78歳の老漁夫から聞き取った話について書いている。「(略)さらに酷烈な告白を私は聞く。出郷してゆく若い水俣病患者やその子弟たちは、故郷が水俣であることをひたすら隠し、ましてや自分および家族が水俣病であることをひた隠しに隠し、『どこで生まれた者かわからんふうにしとる』というのだ。昭和世代の彼らにとって故郷はすでに恥そのものでしかなく自らこれを棄てさることによって生き延びているというのである。」
そして、石牟礼さんは、老漁夫の話を聞きいた上で、 「日本資本主義における最先端部分である化学技術と、基底部である農業地域社会との幻想的出逢いから成立した肥料工業(化学工業)が、今ようやくその結合部分の因果関係を象徴的な水俣病によって晒しながら国際化学独占資本へ拡散してゆこうとも、チッソ水俣工場は地域住民にとって依然として野口遵(日窒設立者 筆者注)におのが田んぼや山に電柱を立てさせてつくった共有の〈会社〉である。…とはいえ虚像としての故郷は骨ぐるみ欠損して蒸発中でもある。/確実に末世の足音がやってきつつあると思う。ここはいわば転回する歴史の先端的意識部分となった。」と記している。
福島への東京電力福島原発の建設と、その過酷事故に至る歴史とそこに何があったのか、今、そしてこれからについて、水俣へのチッソ工場建設とそれが引き起こした水俣病、命あるものが生きる環境の底知れぬ破壊、腐蝕について、通底する非道極まりない反人間の「経済」と政治権力の結合の歴史と現実を見なければならない、それを許さない転回の力を築き上げていかなければならないと、それが「主権者」人間の背負う課題であると思わなければならないだろう。
本田一弘さんが詠った水俣にかかわる作品から、筆者はまた、ひどく勝手なことを書いてしまった。お許しを願って、本田さんの歌集『あらがね』からの作品抄出をさせていただく。
▼2017年〜2018年
◇只見◇(抄) 福島を石の棺といふ汝を責めたるのちに黙す雪雲
中間貯蔵施設たつゆゑ大熊の梨の木あまた伐られたりけり
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもってつらかった。福 島の人はいじめられるとおもった」 被災地とふ言葉があれば被災地とよばれ続けるこれからずつと
「いままでいろんなはなしをしてきたけんどしんようしてくれなかった。 なんかいもせんせいに言おうとするとむしされた」 これ以上何をしのべばいいのだと信夫の山が磐梯に問ふ
フクコウゴリンフクコウゴリンと囀れり「けれども我等はそんな事は否(いや)ぢや。」
東京は大丈夫です―係(かかり)助詞「は」に其の人の心根を見る
水俣は水のことばを福島は土語(つちのことば)を我等(われら)にたまふ
ふくしまの時間凍みつつ臘月のそらに吊られてゐる凍み豆腐
みなまたとふくしまの間(あひ) 亡きひとの訛れるこゑを運ぶかりがね
訛りつつ生きて我等はうつたへむ しゆうりりえんえんしゆうりりえんえん
〈原子力明るい未来のエネルギー〉が県立博物館に移り来
「チッソというのは、もう一人の自分ではなかったかとおもっています」 (緒方正人) 原子力発電所といふのはもう一人の自分だつたと言へるか己(おれ)は
かたらざるもののくちびるかわきつつ2111日ぞ経る
◇手◇(抄) 毎月の十一日は流されたいのちをさがすうつし身の手よ
浪江町請戸の浜にいつせいに熊手がならび掘り返すつち
ふるゆきは誰のてのひら 瓦礫より骨の見つかる七歳の子の
祐禎さんも竹山さんも生きてゐる ふたりの歌集てのひらに載せ
◇ゆきほたる◇(抄) うまれた家はあとかたもないほうたる 種田山 頭火 うまれたる家にかへれぬ大熊のほうたるの息、ほうたるのこゑ
あとかたもないほうたるの六どめのやよひのとをかあまりのひとひ
◇甘い雨◇(抄) 新聞は写真多かり三月の美談つくられ読み捨てられぬ
「これは、まだ東北で、あつちの方だから良かった」あつちの方に生きるわれらは
東北で良かつたといふ大臣に踏みにじらるるわれらの土は
大臣が生まれ育つた土地ならば良かつたなどと言へるかどうか
どのような意味であつても東北で良かつたなどと言ふべくあらず
心なきひとの言葉に「復興」がますます遠くなつてゆく春
南相馬市小高区の田の水光り七年ぶりの田植ゑはじまる
田の泥のこそばゆかりき苗ゑしわが蹠は覚えてゐたり
歌ふとはうつたふること磐梯を映す田の面をわれらは愛す
◇内心◇(抄) 雨やみを待つ、否、途方に暮れてゐる下人のこころわれらのこころ
国民のいのちを守るためといひ草のことばを押し殺す雲
◇うなふ◇(抄) 福島県南相馬市小高区で七年ぶりに稲刈られたり
「言葉は、共有する記憶を表す記号なのです。」(ホルヘ・ルイス・ボルヘ ス) 東北(とうほぐ)は二千五百四十六(にせんごひゃぐよんじふろぐ)のゆぐへふめいのいのちをさがす
広辞苑第七版に載るといふ「浜通り」「東日本大震災」など
うたふとはうなふことなり福島(ふぐしま)の六年半(ろぐねんはん)のこころをうなふ
◇七年のこゑ◇(抄)
2018年1月31日、セレクトン福島「安達太良」 福島の七年のこゑ聴かむとしこゑを重ぬる二十五人よ
屋良健一郎 分断をしないためには来し方を互(かたみ)におもひて歌を読むべし
斎藤芳生 「フクシマ」の表記はわれが知ってゐる福島じゃない 大嫌ひなり
高木佳子 「正しさ」とはなにかわれらは望ましき弱者になつてゐないかと問ふ
ふくしまに生れし言葉はふるさとの土を奪はれさまよふらむか
人と人とのあひだを分かち人と人のあひだをつなぐ言葉といふは
ふくしまの雪よ、言葉よ、分断を越えてあなたの胸に降るべし
震災ののちに生まれしみどりごがもうすぐランドセルを背負(しょ)ふ春
次回も原子力詠を読む。 (つづく)
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