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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2019年05月01日14時37分掲載
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社会
昭和秘史(13) 昭和天皇への激しい憤激 織田狂介
――この磯部浅一の『獄中手記』は、すべて山崎国紀氏の著書から引用させて頂いたことを改めて記述しておきたい。 ・・・磯部の一連の獄中手記にみる圧巻はなんと言っても執拗な天皇叱声である。(中略)
「死刑の判決をうけた7月5日から同志17名1棟の拘禁舎に集めらた 刑の執行前日11日迄は吾々は大内山の御光を願った そして必ず正義が勝つ吾々をムザムザ殺すと云ふ様な事は或はないだらふと信じようとつとめた そして毎日猛烈な祈りをした、誰も彼も死ぬものか、死んでたまるか、殺されたって死んでやるものか 千発玉を受けても断じて死ぬな 等々と激烈な言葉によってヒシヒシとせまる死魔に対抗した、刑迄の数日間はそれはそれは血をしぼる様な苦しいフンイキであった」(「獄中記」)
磯部の血の汗が噴き出してくるような文面である。この中で磯部は「刑の執行前日11日迄は吾々は大内山の御光を願った」と書いている。「大内山」とはむろん天皇のことである。神たる天皇、まして天皇は絶対的忠臣である自分たちを殺す筈がない。磯部は神でない天皇を信じたくなかったのである。(中略)磯部は待ちに待った。そして裏切られたのである。15同志刑死後、磯部の天皇観は一変した。磯部の「獄中記」の8月11日以後から磯部の天皇への憤りが頻出することになる。
「天皇陛下は15名の無雙の忠義者を殺されたのであろうふか そして陛下の周囲には国民が最もきらってゐる国奸等を近づけて彼等の云ひなり放題に御まかせになっているのだろらふか 陛下、吾々同志程国を思ひ 陛下の事をおもふ者は日本中どこをさがしても決しておりません その忠義者をなぜいじめるのでありますか(中略)陛下の赤子を殺すのでありますぞ 殺すと云ふことはかんたんな問題ではない筈であります 陛下の耳に達しない筈はありません(中略)何と云ふ御失政でありませう」
「余は日夜 陛下に忠諫を申し上げゐる八百万の神々を叱ってゐるのだ この意気のままで死することにする」
「天皇陛下 何と云う御失政で御座いまするか 何故奸臣を遠ざけて忠烈無雙の士を御召し下さりませぬか」
「陛下は何を考へて御座られますか 何ぜ側近の悪人輩を御シカリ遊ばさぬので御座ります 陛下の側近に対してする国民の轟々たる声を御聞き下さい」
「今の私は怒髪天をつくの怒りにもえてゐます 私は今は 陛下をお叱り申上げるところに迄精神が高まりました だから毎日朝から晩迄 陛下を御叱り申しております 天皇陛下 何と云ふザマです 皇祖皇宗に御あまりなされませ」
この磯部の天皇への直言は「獄中日記」にみる一部に過ぎないが、天皇への憤り、叱声、そして切々たる恋闕の情はまさに絶叫に近い。(・・・そして山崎国紀氏は、このあと「磯部と三島由紀夫」に触れて――この磯部への恋闕と憤怒に全面的共感を持った三島由紀夫であった。三島が、この「獄中日記」の磯部の精神を素材として書いたのが『英霊の声』(昭41・6)である。と書いているが、このことについては敢えて省略すておく) とまれ「われらは裏切られた者たちの霊だ」という三島や磯部の“声”は、またそのまま私がいう「若き特攻隊勇士たち」の怨念でもあり、私はそれを代弁する霊媒者とでもいえるのかも知れない。 そうした私の心情にさらに深く、そして鋭く抉ぐるような刺激を与えてくれた一文に遭遇したのは、平成10年の新春早々のことであった。これが私と斉藤瀏(りゅう)元陸軍少将との“めぐり逢い”でもある。この奇しき因縁は、やはり私の父と2・26事件との関わりあいの中で、その発端があったということに重なる。それは、私がまだ小学校2年生ごろの淡い記憶の中でのことだったが、私は父の蔵書のなかに、この斉藤瀏という珍しい名前の「歌集」があったのを覚えているからである。勿論、この人物と2・26事件の関わりなどについては全く知らなかったし、その人の「歌集」が、なぜ父の蔵書の中にあったのかについても全く知る由もない。ただその名前が、なんとなく忘れられぬほど奇妙な印象として私の記憶に刻み込まれていたというだけの話なのである。しかし、この斉藤瀏という人物の名前が、さきに述べた「一文」の中で発見したときの私の衝撃は、まことに強烈だった。
≪プロフィール> 織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。
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