クロード・ランズマン監督の代表作というよりライフワークと言った方がよいホロコーストの生存者たちの証言を記録したドキュメンタリー映画「ショアー」が日本で初公開されたのは1995年だった。その「ショアー」が今年2月、アンスティテュフランセでランズマン監督の追悼上映の形で、「ソビブル、1943年10月14日午後4時」とともに上映されたことは関心の高い人々はきっと知っているに違いない。
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/cinema1902020203/ ランズマン監督は昨年の夏に亡くなったので、追悼上映となったのである。もともと1985年にランズマン監督の暮らしていたフランスで公開されたのだが、日本で公開されるまでに随分長い時間がかかり、結果として10年後になった。その1995年は戦後50周年という節目だったから、こうした映画も上映の機会を得やすかったのかもしれない。
しかし、今にして思えば、戦後50周年という記念的な年に「ショアー」が上映されたのはこの映画にとってハッピーだったのだろうか。というのは戦後50周年という切りの良い数字ほど、この映画にふさわしくないものはないからだ。ランズマン監督は「ショアー」は過去の話ではなく、「現在」の話なのだ、と語っているのだ。この言葉は噛みしめる価値があると思う。
1995年という年は日本ではオウム真理教の霞が関でのテロ事件が起きた年でもあり、阪神淡路大震災が起きた年でもある。そして、1991年にバブル崩壊が始まった日本経済は、当初喧伝されていたような「3年たてば回復できる」どころか、底なしの泥沼に突入していく矢先だった。さらに、冷戦終結によって社会主義圏だった国々の労働者たちがグローバル資本主義の労働市場に解放され始めたのだ。日本経済の沈下とともに、ナショナリズムと排外主義が隆起し始めた。
ところが、ナチズムあるいはファシズムの研究者だった山口定教授は1994年に立命館大学に移動する際に、<もうファシズム研究の緊急性が薄れたので、これからは政策論を専門に研究する>と「ファシズム」(岩波現代文庫)のあとがきで綴っていた。しかし、欧州でもアメリカでも日本でも、ファシズムの兆しはその頃、再び本格的に始まったと言って過言ではない。欧州ではポーランドやハンガリーで極右運動が進行しているし、オーストリアでもそうだ。アメリカのトランプ大統領も言論の自由に挑戦している。日本で起きていることも無関係ではないだろう。こうして見ると、冷戦が終結したあと、政治学者たちは第二次大戦の反省や課題が一段落し、次の時代が来たと思って緊張が緩んでしまったのではなかろうか。フランシス・フクマヤの「歴史の終わり?」という論文が出て当時は日が浅かった。政党政治の機能不全を起こさせた小選挙区制へ移行したのも1994年である。さらには、この頃から、日本も核武装しないといけないという声が聞こえてくるようになった。欧州に限れば欧州連合の東方拡大も極右政党の台頭と関係している。冷戦終結後、ファシズム研究の緊急性が薄れたどころか、いよいよ気合を入れて本格的にやらなくてはならない時に来ていたのである。なぜそのことが理解できなかったのだろうか。当時の政治学者の弛緩した意識を考えれば、1995年という戦後50年の節目は、むしろ、危険な時代へ移行した年と言った方がよい。
こうしてみると、1995年に「ショアー」を見た人々の多くは将来二度と起きない一回性の過去、という風にこの映画を見たのではないか、と思われるのだ。しかし、今、アメリカでもフランスでも反ユダヤ主義が復活しているし、ユダヤ系の市民が殺傷される事件も複数起きている。とはいえ、この映画が伝えるものは、今日、ユダヤ人という人種を越えて、もっと普遍的なものを提示しているのではないか、と思う。ナチズムを生んだものは何か?という社会学者や哲学者たちの思索が「近代とは何か」とか、「啓蒙とは何か」と言った近代のプロセスへの反省につながっていったのは当然だった。ナチズムを生んだものは何だったのか。近代が人権や平等と言った思想を確立したのだとしたら、なぜそれがそれらの価値を確立した欧州で踏みにじられる時代が20世紀に訪れたのか、ということである。この問いは終わっていない。今年、ランズマン監督の追悼として、この映画が再び上映されたことは大きな意味があると思う。
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