僕は近年、フランス語の勉強を続けてきましたが、疲れた時に祖母のことが思い出されることがあります。父方の祖母で、彼女は日本語の字が読めない、いわゆる文盲でした。祖母は岡山の山の頂上にあった家に暮らしていて、祖父とともに農業と炭焼きをしていたのです。山羊も飼っていましたから、牛乳配達がなくとも、ミルクを得ることができました。子供の頃、僕は夏休みになると、両親に連れられて、この山頂の祖父母の家を訪ねるのがとても楽しみでした。山の匂い、囲炉裏の炎、電燈に集まってくる蛾や昆虫、そしてタヌキやキツネ、カラスなどの様々な生き物。
子供の頃、寝床で父がよく、こうした動物や人魂などの幽霊物語を聞かせてくれたものでした。それらは民話の本という体裁ではなかったのですが、もしかすると即興で作ったり、自分の体験を話すときに多少、脚色が入ったりしていたのだろうと思います。父は若い頃、田舎の自然と地方都市の間を往復するような人生だったのでしょう。父は定年退職してからは、小学生などの子供を対象に、民話の語り部として生きてきました。全国の民話集を語って来たようですが、岡山の民話も自分で書き留めていたようです。
後に僕の家族は岡山から大阪に引っ越すことになり、夏休みが来ても田舎の家に帰ることもなくなりました。やがて岡山のその村にダムができ、山の麓の町は消え失せてしまいました。そして祖父も死に、ある日、祖母は一人、大阪のわが家にやってくることになったのです。その時初めて、祖母が文字の読めない人であることを知りました。長男だった僕の父が、時々、はがきや手紙を祖母のために読んでいたのです。
祖母は文字が読めない人でしたが、しかし、かつて暮らしていた山では書物こそほとんどなかったでしょうが、天候や季節の移り変わりなど、自然の様々な変化を「読んで」いたのだろうと思います。それは文字のない世界です。一方、都会ではコミュニケーションは基本的に文字を介して行っていますし、文字や数字が読めなければ近代テクノロジーの力を扱うことができないために、弱者になってしまします。
僕らが山に行くと本がないため、読み物に困るでしょうが、逆に言えば祖母も都会にきて、読むための自然が乏しかったのではなかったでしょうか。直線に囲まれた近代住宅の中で文字情報に囲まれて暮らすのはストレスが大きかったのではないかと思います。文字を持つものは、ともすると文字を持たない人々を馬鹿にしてしまいがちです。そうした自然の中で生きてきた人々が大切にしてきた自然を利潤のために汚染しています。今、ブラジルでもフィリピンでも農薬や遺伝子組み替えの種子が使われ、自然の中で素朴に生きてきた人を圧倒しつつあります。
考えてみると、僕自身も心のどこかで文字を読めない祖母を馬鹿にしていた部分があったかもしれません。しかし、そうした自分の中の傲慢さを改めることができるでしょうか。サハラ砂漠に行くと、その周辺には遊牧民が暮らしていますが、彼らは何千年と生きてきながら金閣寺とか、五重塔みたいな建造物を残すことはありませんでした。ほとんど自然の中に人工物の痕跡をとどめないように生きてきた人々です。そうした人々を文字や建築などを残す積み上げ型の文明を持つ人々はともすると馬鹿にしてしまいがちです。その視線は今日、ものを豊かに持っていない都市に生きている人々をも、どこかで排除することにつながっているように思えます。
村上良太
■西サハラの衛星放送局RASD-TV 〜テレビの草創期がここにある〜 村上良太
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