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2019年08月05日21時15分掲載
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社会
社会主義社会とは、社会の形態なのか、社会の実体をめざすものか 岡本磐男(おかもといわお):東洋大学名誉教授
私は、いわゆる社会主義論の専門家ではない。大学に勤務していた頃は42年間にわたって金融論を講義してきた者である。けれども大学院においてはマルクス経済学者の宇野弘蔵先生を指導教授としてきた。宇野先生は「自分が経済学をやってきたのは社会主義というものをよく知るためである」とよく言われていた。私も当然に影響を受けてきたのである。
本年はソ連型の社会主義体制が崩壊してから丁度30年にあたる。それ故、本サイトでも、もっと社会主義論について論ずる論稿があらわれてもいいのでは、と思っていた。たまたま、本サイトでも友人の社会主義批判について論ずる論稿が発表されているのが目についた。
この論者の見解(この論者は友人の所説を肯定的に捉えているので)批判者の見解と呼んでおこう。だが私がここで社会主義論をとり上げるのは、(私はすでに10数年前に社会主義についての書物『新しい社会経済システムを求めて ―情報社会主義を構想する−』世界書院刊、を出版しているが)単にその論稿を論評するという意図によるのではない。今日では中国や北朝鮮のような国々は決して米国型の資本主義体制をとろうとしていない事の意味をもっと深く理解せねばならないと思うからである。かつて資本主義国の帝国主義としての側面によって侵略された国々は、戦争になる恐れのある経済システムを採用しないのは当然である。
「批判者の見解」について私が思うのは、まず第1に資本主義社会についてどのように考えているのかはよく分らないが。大変甘い態度であるということである。資本主義とはいうまでもなく資本家と労働者大衆を生産関係とし、資本の論理によって動いている社会であるが、資本家とは、資本が人格化されたものであり、資本とは価値の運動体ではあるが同時に物であり、物が人間を支配している社会である。しかも『資本論』の労働価値説で説かれているように労働力は商品化されており労働者の剰余労働は資本家によって搾取されているのである。この搾取ということがなければ、今日の日本の労働者のように、正規労働者と非正規労働者が分断され非正規労働者がきわめて低賃金で働かされる等といったことも緩和されるかもしれない。現在非正規労働者は全労働者の4割をしめ、それ故貯蓄をもたない人も多いのである。他方で資本家層は数100億円、数1000億円の資産をもつ人が何1000人もいるにも拘わらず、である。
しかも、企業間の競争は激烈をきわめるから技術革新は進展し資本の有機的構成は高度化し利潤率は低下していく。その結果失業者も増大する。現在の日本ではむしろ人手不足であるとはいえ、AI(人工知能)が発展すれば、必ず失業者が増える状況が出現するようになるであろう。もっとも今日の日本は少子高齢化が進んでいるから、ここに複雑な要因が発生するであろうが、将来は決して楽観できる状況にあるわけではない。またEU諸国等では移民、難民の問題もかかえていて失業問題が深刻化していく傾向にある。いま一つ金利の問題について言及しておくと、現在は世界のどの国でも資金過剰の状況にあり低金利によって本来の資本主義の体制とは異なりつつある。私は資本主義の体制は、あと数10年もたてば終焉するのではないかと考えている。
だがこの批判者は資本主義の存続に対してきわめて楽観的であり、資本主義を改造するだけで持続していくとみているようである。
第2にこの批判者は資本主義のイデオロギーとしての正義と自由についても少しも疑うところがない。私は人間による搾取のあるところに正義があるのかと疑う。また自由の概念についても、資本主義の自由とは、貿易の自由化、資本取引の自由化、金融の自由化等々、みな金儲けの自由をさすものと考えている。決して人間の自由ではなく資本の自由である。私は資本主義は発展すればする程、モラルは失われ金(かね)だけの世界になってしまうように感じている。資本主義では企業は商品売却のため、広告、宣伝をしなければならないが、テレビのコマーシャルをみても、ここにモラルがあると感ずる人は少ないであろう。
第3に批判者は、ソ連の社会主義は社会主義であったのであり、これが30年前に崩壊したが故に、こうした社会は復元力をもつものかという視点から問題提起をしている。だがソ連型社会主義が社会主義であったという見方についても今日の経済理論学会などでは疑問視されており、むしろ国家資本主義だったという見解の方が有力となりつつある。私もソ連体制の崩壊の直前にインフレーションが発生した点等を顧慮するとこの所説の方に同意する、ソ連体制の崩壊にはさまざまな要因があり、例えば米ソ間で核戦争の脅威が高まりソ連が財政上軍事費支出を高めざるをえなくなり民生品への支出を低下させるようになった事が要因と批判者も指摘しているが、そうした点には賛同する。
だがソ連の体制がレーニン率いるボルシェヴィキ党の革命以来、共産党一党独裁になっていくことがソ連自身の責任であるような書き方には賛同しがたい。この点はイギリス労働党の元党首でありロンドン大学の教授であったH.ラスキ教授が著書『現代革命の考察』(みすず書房刊)で詳細に考察しているように、西側資本主義国が、私有財産制に基づく生産手段の私的所有を金科玉条として、生産手段の社会的所有をかかげるボルシェヴィキ党に対して激しい敵意を示し(日本を含む6ヶ国の資本主義国がシベリアに出兵したため、同党を率いるレーニン等はこれに対抗した)たため、ソ連は強力な政権を必要としたため共産党一党独裁をとらざるをえなくなるのである。
また批判者達は旧ソ連の体制をマルクス主義にもとづくものだったとみているようであるが私はそう考えていない。なぜなら旧ソ連の体制では、マルクスの『資本論』で商品価値の実体としてあれ程重視していた労働量の問題が全く顧慮されることなく、生産物価格は別の要因によって決められるとしていたからである。
第4に批判者が社会主義論をイデオロギーとしていることに触れておこう。(もっとも批判者はここでは共産主義社会と呼んでいるが、社会主義と共産主義との相違については、質的相違は少ないのでここでは不問に付することとする)マルクスは、社会主義の古典といわれる『共産党宣言』なる書籍を公刊したが、ここでは階級闘争史観なる歴史観を提示しているが単なるイデオロギー論ともいえない側面も含んでいる。そして『資本論』では商品形態、貨幣形態、資本形態を展開し商品経済(市場経済に近い概念)が産業を補捉したとき産業資本が成立し資本主義が確立するので資本主義社会は形態規定を伴う社会形態といえることを示唆する。だが社会主義社会とはこれとは全く異なるといえる、原則的には商品も貨幣も資本も存在しない社会である、それ故社会主義とは社会形態とはいえない社会であるとマルクスは考えていたと思われる。実際マルクスは、古代史以前から発生している人類史をきわめて根気よく勉強していた学者である。
人類史は決して商品経済の歴史ではない。古代、中世の歴史以前からの人類史の歴史は、共同体の歴史である。日本では縄文時代や弥生時代は共同体経済の時代であって貨幣は発生していなかったであろう。古代史においてもそうであり8世紀初までは日本では貨幣は発生していない。その後の日本社会では貨幣経済はごく狭い流れをなして発展するようになるが中軸は共同体経済であった。このような長期にわたる混合経済体制のもとでも経済の計画化は行われていた。
宇野弘蔵先生は、古代以前の社会から、人間生存のためには人間が自然に働きかけて生産手段ないし生活資料を生産、獲得し消費するという人間と自然との間の物質代謝の過程として労働生産過程があるが、これがあらゆる社会に共通な人間生存の基礎をなす経済原則である点を指摘し、社会主義はこの経済原則そのものを、資本主義への法則性の根元をなす商品経済の特殊な形態を廃棄して、自主的計画的に実行することにあると考察している。すなわち宇野先生は資本主義は、人間が資本によって支配されている限り本来の人間社会ではないがこのように逆転させることによって人間社会としての社会主義を創造することが可能となるとみているのである。ここに法則性という言葉を使ったが、これは価値法則の意味である。資本主義のもとにあるかぎり人間は、商品価格の上では価値法則によって支配されているのである。このような価値法則の支配から脱出するのが社会主義である。マルクスが商品の価値の実体として説く抽象的人間労働というのも人類史と共にあると把握できるであろう。このようにみてくれば社会主義という社会の概念も社会形態ではなく、社会の実体に関連するとみることが可能であろう。
日本が資本主義化したのは、明治維新の頃からであり、それから今日まで約150年しかたたないが、資本主義は絶大な生産力をあげ、生産力と生産関係の間の矛盾は深まっている。これは先進国イギリスのような国でも同様であり、産業革命が成立して本格的な産業資本主義国なってからこの国は200数10年しかたっていないが、生産力と生産関係の矛盾の拡大によって多数の貧困者を生み出す国となってしまった。この点は資本主義のチャンピオンと目されていた米国でも同様で、階級間の格差がきわめて拡大している。
2年半前の米国の大統領選挙では共和党の候補者トランプ氏に対決する社会民主主義者のサンダース氏が現われて注目をあびた。来年度の米大統領選挙はどうなるかは未定ではある。だが私はいつかは −何年先になるかは分からぬが− 米国でも社会民主主義者の大統領が当選し、社会主義化への第一歩を歩みだすとみている。
岡本磐男(おかもといわお):東洋大学名誉教授
ちきゅう座から転載
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