今年、国会パブリックビューイング(国会PV)に何度か出かけて記事も書きました。主催しているのは上西充子法政大学教授や全労連の伊藤圭一さんらのほか、映像的な技術やソフト作りの面で真壁隆さんや横川圭希さんなどの優れたスタッフもいます。最初に出かけたのは2月でしたが、70分くらいの持ち時間で1つのテーマで濃密に国会の質疑応答を見せていく手際は非常によく、既存のTV番組よりも面白くためになるコンテンツではないかと率直に感じました。
国会PVをその場で見る人垣は60人から100人くらいですが、この国会PVをライブで撮影したものをYouTubeにUPすることで、不特定多数の人が津々浦々で国会を見て、その解説を家に居ながらにして聞くことができます。国会PVの特徴の1つとして、国会をテーマに1テーマで70分くらいの時間をかけられる、ということがあります。今のTV局でもやろうと思えばやれるはずなのでしょうが、それをやるところはありません。しかも様々なタレントの意見などよりも、識者の解説を聞く方がよほどためになります。
国会PVを見ると、TVの意義はどこにあるのか、その根源が今、揺らいできている気がします。昔、劇団のある演出家に講義を受けた時、演劇にとって絶対になくてはならないものは何か?と質問されたことがありました。
1、俳優、2、台本、3、劇場、4、観客、5、演出家、6、舞台装置・・・
これらの中で最小限、これだけはなかったら成り立たないというものは何か。たとえば劇場はなくても路上でも観客と俳優がいれば成り立ちますね。台本がなくても即興劇と言うものもあります。そういうことを思い出してしまったのですが、今、インターネットとかYou Tubeなどの媒体があることで、放送局でしか映像を流すことができない時代は終わりました。それでもかつてなら、放送局の番組はプロが作っているから間違いがなく安心だ・・・と言われていましたが、実際には安倍政権に忖度した報道が増えた今、放送局の番組の信頼性も低下しています。もしメディアの格付け機関があったなら、国会PVの方がNHKよりも信頼できるメディアとして格付けを2つほど高くするかもしれません。国会PVは募金と手弁当で街頭で行われています。カメラも小さな民生用カメラやスマートフォン。でも、これが時代を変えつつあります。
国会PV運動で進行しているものは見かけよりももっと大きいのではないでしょうか。それはパラダイムの転換だと思えてなりません。放送局という施設(箱)、放送機材、資本と言ったものよりも、むしろ人々が集まる「場」の創造こそ、本当の価値であり、その場の広がりが今、進行している革命なのではないかという思うのです。これまでTVはタレントや国会議員や識者が登場するセレブによる疑似空間でしたが、ソーシャルメディアが盛んになった背景には自分自身が参加したい、自分の思いは誰にも代弁され得ないという思いがあると思います。タレントを集めた雑談の場や、様々な論客が朝まで討論めいた雑談をする番組が人々の思いを代弁しえた時代は終わろうとしているかのようです。時代は幻想の「場」からリアルな「場」に移行しつつあるのではないでしょうか。自分はかけがえのない存在なんだ、自分にも声があるんだ、自分もここにいるんだ、という一人一人の思いこそが、民主主義を再起させることにつながると思います。
■8月30日 国会前・安保関連法案反対集会 人々の声1
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508302035170 ■8月30日 国会前・安保関連法案反対集会 人々の声2 ハンガーストライキ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508302121030 ■ハンナ・アレント著 「革命について」 〜アメリカ革命を考える〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401201800171 ■「独立宣言と米憲法」(The Declaration of Independence and The Constitution of the United States)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401102038235 ■ドキュメンタリーとマイクロペニス その2
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201910051241276 ■ドキュメンタリーとマイクロペニス
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201910020351213
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