現在、日本では、新型コロナウイルス感染への対応として、世界でも類のないPCR検査の極度の拒否姿勢が、医学界全体に蔓延しているらしいと最近の「逝きし世の面影」ブログ(1)が主張している。PCR検査が少ないことは事実であり、検査を受けようとする人が検査を拒否される例が多く報道されている。医療の現場が、PCR検査を増やすことは、医療崩壊を招くという国立感染症研究施設の上部による主張が、多くの現場の医療者にしみ込んでしまっているらしい。
医療を施すことにまず必要なことは、PCR検査により、感染しているか否かの把握であることは当然である。もちろん、それにより感染者とされる人の数が急増する可能性はある。それには、医療体制の強化に意を注ぐべきとするのが当然の医療側の対応、もちろん、それを支援する行政側の当然の対応。この事が、日本では、他国と較べて非常に疎かにされているようである。
行政側の対応は、オリンピック開催をなんとか実現させたいために、感染者数の増加を抑えるべく、PCR検査をかなり制限された条件を満たす人のみに限定するという施策であったという指摘はすでに充分に議論されている。
ところが、オリンピック・パラリンピックが1年延期されて、そうした制約をはずしたにも拘らず、PCR検査数はあまり増えていないらしいのである。それは、上に述べたように現場の医師の多くが、医師としての基本的な対応(感染確認の必要性)を行なわず、上からの要請というか指導というかに従っているらしいのである。ここには、日本の医療者,それを養成する医学教育の基本的な問題が潜んでいるのであろう。これに関して、筆者は、以前あった「高等教育フォーラム」というサイトに日本の医学教育に関して基本的な問題点を指摘した。その表題は「医学教育は大学院レベルに」というものであった。その一部をここに述べる。
<筆者は、長年のあいだ、アメリカのいわゆるリベラルアーツカレッジで教育に携わり、医学予備段階の教育/アドヴァイスに関係してきた(2005年まで)。アメリカでは医学教育は4年の学部教育の上にある。学部では、普通の教育を受ける。事実、生物や化学専攻が主だが、政治学や哲学専攻の卒業生が医学校に進学することも可能だし、実際の例がある。学部段階では、医学進学希望の学生はプリメド(PreMed)と称されているが、そうした学科やコースがあるわけではない。しかし、プリメド学生は、医学校の要求する基本科目を履修しておく必要があるし、医学進学は狭き門なので、いろいろと援助を必要とし、筆者の大学では、プリメド学生にアドヴァイスをする教師の委員会があり、その委員を勤めたわけである。 委員の仕事は、取る科目その他(夏休みに医療への奉仕活動を勧めるなど)に関するアドヴァイスをするばかりでなく、各学生の人格とその実際(活動/行動)をフォローし、医師としての適格性の判断材料を集める。そして、それに基づいて、卒業/医学校出願時の推薦状を正直に書く。医学校側は、成績のみならず、こうした推薦状を重視して選考を行なう。学生側は、こうした状況下で、自分の適格性をじっくり判断し、医師になる心の準備(患者の死に直面したら)を始める。
日本では、こうした自己吟味や、心の準備のできる以前の18歳の段階で医学進学が、成績や家庭の経済状態、親が医師かどうか、などで決定されてしまう。一度進学してしまえば、投資を無駄にしたくないために、なんとか医師になり、なんとか医療に従事することになる。ここに現今の日本の医療問題の根本があるのではないかと思う。そこで、以前からも主張していることであるが、医者養成教育は、大学院レベルにするべきものと考える。>
(1) https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/1c8c791a40369bc7393ccb62a2c0a3e3
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