・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・人権/反差別/司法
・アジア
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・入管
・地域
・文化
・欧州
・農と食
・市民活動
・検証・メディア
・核・原子力
・環境
・難民
・中東
・中国
・コラム
提携・契約メディア
・AIニュース


・司法
・マニラ新聞

・TUP速報



・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus

・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年03月31日
・2025年03月30日
・2025年03月29日
・2025年03月28日
・2025年03月27日
・2025年03月26日
・2025年03月23日
・2025年03月22日
・2025年03月21日
・2025年03月19日
|
|
2020年04月20日20時36分掲載
無料記事
印刷用
文化
[核を詠う](301)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(4)「一基とはまだ呼べぬなりその建屋、大間の岬に景色を変へず」 山崎芳彦
塔短歌会・東北の『1833日目 東日本大震災から五年を詠む』(平成28年7月刊)から、原子力に関わって読まれたと筆者が読んだ作品を、抄出させていただく。同歌集の巻末に掲載のロングエッセーの中かの一部も抄出させていただいた。読みながら、「水俣」を生き、この国を生きた石牟礼道子さんの俳句「毒死列島身悶えしつつ野辺の花」を思っていた。そして、新型コロナに苦しむ、そしてこの国の政治・経済の権力者が、人びとの苦しみや怖れを利用しての悪辣な企みを進めるに違いないことを思わないではいられない。核発電・原子力社会に固執する勢力が何をなしてきたか、何をしようとしているかを思い、石牟礼さんの俳句が立ち上がってきたのだ。いまは、『1833日目』の作品を読んでいく。
◇『1833日目 東日本大震災から五年を詠む』(平成28年7月刊・抄)◇ (「はじめに」東日本大震災が発生してから、五年という月日が過ぎました。/五年――この五年で、四十七万人だった避難者は十七万人四千人になり、災害公営住宅は予定数の半分の一万四千五百戸が完成し、放射能汚染土とゴミは十七万トン、汚染水タンクは千基になりました。まず、今のこの数字をどう捉えるかということです。/そして、このような数字の変化の一方に、全く異なる次元で流れたそれぞれの「五年」があります。異なる次元の、異なる速さの、それぞれの「五年」がです。(略)今回の冊子には、「震災以前」をテーマとしたエッセイが載っています。震災を境に、決定的に、変わってしまったものがあります。五年というのは、そのことを思い返せるような、思い返しておきたいような、時間であるのかもしれません。)
政治には期待しないという人も投票をする(まだ終われない)
成長の戦略なぞは聞きたくない受けたいおわりかたのレッスン
あとしまつ上手にする人出てこいや心ときめく消え方を言え
復興を加速させてくその先に何があるのか幸福、なのか?
ラジオから追悼曲ばかり流れてるおわりに向かうこの国だから (5首 山形県山形市・井上雅史) (作者は随想のなかで「子供が生まれたことが大いに関係しているのだと思うのだけれども、この頃は、若い世代に重荷を負わせてはいけない、もっと強く言うならば、くびきを負わせてはならないということを意識することが多い。普通に生きていくことが難しいと感じる時代にあって、助けの手を差し伸べるふりをして、実は鎖でつなぎとめるような仕組みが次々に導入されようとしていて、自分がそれに加担していないかが気になっている。〈略〉」と記している。作者の五年、そして自分の五年を、筆者は考えながら、作品を読んだ。)
四年目の福島の米食みながら窓辺に雪をながめていたり (宮城県柴田町・及川綾子)
取り壊し保留となりぬる防災庁舎いつまで残らむ原爆ドーム(ドーム)のやうに (宮城県仙台市・大沼智恵子)
いまだ死者と数へられざるひとびとの十一日の集中捜索 (宮城県大崎市・梶原さい子)
戦を知る土地であること折々に思ひて暮らす城山の家
幽霊の噂してゐる低き声ところどころで海を描写す
真冬でも青空のあるこの町を決して嫌ひなわけではなくて
踏みとどまるために踏まれて汚されてなほ捨てられぬここがふるさと
福島を離れて暮らす子のために福島の米送るだらうな (5首 福島県いわき市・小林真代)
血圧と血糖とろり上がらしめ講堂の床のじか敷き毛布
放射能よりも身体にこたえたる一次避難と整理されおり
(東電幹部強制起訴) 前(さき)の世に東京裁判ありたるを肥痩はげしき旅にて思う (3首 福岡県出身・広島市・田中濯) (福岡県出身の作者は盛岡市に在住を経て現在は広島市から毎年出詠しているのだが、随想の中で次のように記している。「閏日に、高浜原発四号機が再稼働した途端に緊急停止した。深刻で馬鹿げた話だが、福島第一のあとに早くも再稼働させたのは関西電力であったことも思い出す。西日本に久々に住んでいて感じるのは、日本は東と西でもしかしたら違う国なのかもしれない、ということである。電力自由化も、こちらでは参入する企業が圧倒的に少ない。こういった不均衡はいずれ目に見える形で出てくるかもしれない。東京一極集中が反転して、地域主義的な主張がかなり尖鋭化することもあるだろう、と思っている。」と言うのである。興味をもって読んだ。)
「福島をずっと見ているTV」なる番組をずっと見ているわたし (宮城県仙台市・田宮智美)
高架線をごうごうゆするのは風で近づいてゆく五年前のあの日
東京が汚染された日だれもかれもマスクするのを吾はさげすみし
今さらに白いマスクをつけるべきわれであったか風のなか思う (3首 東京都目黒区・花山周子) (東京に住んでいる作者は随想で、「この冊子も六冊目になるが,私はいつも自分がこの冊子に参加させてもらっていいんだろうかという気持ちを持っている。〈略〉私は東北に住んだこともない。だけど、私もやっぱり当事者だと思う。あの震災がなかったら、私の環境も思考も作った歌も全く違った。色んなことが変わっている。あの日、高架線が鳴っているのは風のせいだと私は最初思っていた。」と記している。)
(東日本大震災の行方不明者二五六一人〈平成二八年三月十一日現在〉) 生者にも不明者にもある歳月が節目なく続く朝は静かに
勤務先の方針だと言い六十五歳の義兄(にい)さん除染作業に行けり
北の地は敗れしものの住むところ言いたる人いて月が傾く
やぶれたる地の果て北の海の辺に原発・再処理工場うごめく (4首 青森県十和田市・星野綾香)
一基とはまだ呼べぬなりその建屋、大間の岬に景色を変へず
確か一千五百基以上の原発が稼働中である世界たひらか
原発の技術が欲しい国々と売る大国と、日本は如何な
原発の計画中と建設中、北へ北へと白鳥帰る
青空の下には国土、森林やチェルノブイリや湖沼がありて
またしても知らぬ事実だ目を凝らす温きおかゆはますます温し (6首 青森県つがる市・松木乃り)
忘却を許されてあれば四年目にしずかにベビーブームはありたり
選べざる生ならまして 乳飲み子の乳をのむ頬の無心のちから
爆心地から遠くへと遠くへと勤務地希望地「会津」と書きしと
国の名がたやすく消えてゆく時代に人住めぬ町を残さんとする
浜の町が山裾の町に間借りして溶け合わずまた溶け合えずいる
天地(あめつち)を読み解く言葉に長けてゆく地下断層をあやうく踏みつつ (6首 福島県福島市・三浦こうこ)
『1833日目』の巻末に「ロングエッセイ――震災以前」14篇が掲載されている。それぞれ、同じ東北に関わる歌人だが、地域、仕事、家庭、短歌についての考え方などがそれぞれ同じではないのは当然であり、だからこそ生み出される短歌作品も、エッセイもそれぞれの個性が存分にあふれ出て、それぞれの魅力がある。そのエッセイのなかから、星野綾香さん(青森県十和田市)の「私を囲む風景」に書かれている「原子力発電」の項を抄出させていただく。
原子力にかかわって詠われていると筆者が読んだ短歌作品を抄出(「東日本大震災を詠む」と題して編まれている歌集から、原子力詠と筆者が確たる基準、短歌文学の世界で認められている定義もなく、独善的に受け止めて読み取ったことで、作者の方々の意に添わないことが多々あるであろうことについては、ただただお許しを願うしかないことは、自覚している。) させていただいていること、いま原子力に関わって、極めて大きな位置を占める青森県に在住の星野さんがエッセイのなかに「原子力発電」の項を設けて書かれた一部分を抄出させていただくことを、お許し願いたい。
星野さんはエッセイの冒頭で、「私は十和田市に住んでいて、震災被害者ではない。幸いにも親戚にも友人にも被災した人はいない。私が震災を忘れずにいるのは、東北の塔の仲間と接する機会があるからだと思う。」と書いているが、「震災後、福島第一原発事故の風評被害で観光客が激減し、ホテルは閉鎖されていった。お土産店は人はまばらで、今では閉店となり、景観上のの問題で撤去を余儀なくされている店もある。観光客が激減し、遊覧船を運航していた一つの会社の経営が悪化した。原発事故の風評被害だとし、四千二百万円の賠償を東京電力に求めたが、七十五万円が支払われただけだった。従業員に給料が支払えなくなり、二〇一三年十一月破綻してしまった。息子は、その遊覧船の船員であった。転職を余儀なくされた。」ことを記している。これは福島第一原発事故の被害であろうと筆者は考える。震災被害ともいえるだろうと思う。
星野さんのエッセイの中の「原子力発電」と題する部分は次の通りである。 「震災後、太陽光発電の設置が目に付くようになってきた。震災前は、新築に太陽光発電を見かけることはあったが、震災後は休耕田や森林の木を伐採し、大規模なソーラーパネルが山を覆っている場所を車で見るようになった。こんなに太陽光発電が設置されたら、原発は廃止されてもよいのではないかと思うのだが、原発ゼロはなくなった。企業と政府と何の力が働いているのだろうか。
チェルノブイリの原発事故のドキュメンタリー映画を、事故当時観たことがある。もう三十年以上も前の映画だが、恐怖心だけが残った記憶がある。原発や原発と深い関係かある施設が多くある青森県の太平洋側に住んでいる私は、福島原発事故が起こった時、他人事とは思えなかった。原発事故は自然災害ではなく、人災だと思う。
青森県六ケ所村には、プルトニウムが運ばれている。時々新聞にも掲載されるが、多くは県民の知らぬ間に海外からも運ばれ増えていて、現在は飽和に近いようだ。震災前から気がかりだったことがある。最終処分地はどこが引き受けてくれるのだろうか。原子力発電所がある限り、いつかは廃炉の時期を迎えることとなる。問題は一つも解決されていないように思うのだが…。何かと引き換えに危険なものを引き受ける。私には政治の内部の事はわからない。選挙権があるのに無責任と言われるかも知れないが、外部から見えない内部。原発はとても怖い。」
星野綾香さんのエッセイの一部を抽きながら、今回抄出した「北の地は敗れしものの住むところ言いたる人いて月が傾く」、「やぶれたる地の果て北の海の辺に原発・再処理工場うごめく」を読み返し、さまざまな事を思っていた。そして、塔短歌会・東北の、たやすくはない毎年の歌集刊行のさらなる継続を願った。
次回も塔短歌会・東北の歌集を読む。 (つづく)
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|





|