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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2020年05月11日12時00分掲載
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国際
終戦75年のドイツ大統領演説「民主主義への強い信頼を胸に」コロナ危機への国民結束求める
ドイツは5月8日、新型コロナウイルスとの闘いのなかで、ナチス・ドイツが連合国に敗れて終戦を迎えてから75年の日を迎えた。シュタインマイヤー大統領は同日の演説で、いつ、どのようにコロナ危機から脱することができるか今は分からないとしながらも、「この国と成熟した民主主義への強い信頼を胸に、私たちは今回の危機を迎え対応した」と指摘。これは過去の犯罪への国民的反省によって築かれたものであり、「まさに、この75年の間にいかに大きな進歩を遂げてきたかの証左です。これを見て私は、私たちのこれからに期待を抱くことができるのです」と、危機克服への国民の結束を訴えた。以下が演説全文。
<シュタインマイヤードイツ大統領演説> ※出典/ドイツ連邦共和国大使館・領事館ウェブ
ナチスからの解放と欧州における第二次世界大戦終戦75周年 戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ連邦共和国中央追悼施設(ノイエ・ヴァッヘ)にて 2020年5月8日 於 ベルリン
国民の皆様 欧州の友人の皆様 世界中の友好国、同盟国の皆様 75年前の本日、欧州において第二次世界大戦が終結しました。 1945年5月8日、ナチスの暴力支配が終焉し、空爆の夜と死の行進が終焉し、ドイツによる比類のない犯罪と文明の断絶であるショアーが終焉しました。ここベルリンにおいて、絶滅戦争は考案され、勃発し、巨大な破壊力を持って再び戻ってきました。そのベルリンにおいて、私たちは本日、ともに記憶を呼び起こしたいと考えていました。 多大な犠牲のもと、欧州を解放した東西双方の連合国関係者とともに、記憶を呼び起こしたいと考えていました。ドイツ占領下で苦しみながら、それでも和解の意思を示してくれた欧州各国のパートナーとともに。ドイツによる犯罪を生き延びた人々や、私たちに手を差し伸べてくれた実に多くの犠牲者遺族の人々とともに。この国に、再出発のチャンスを与えてくれた世界中のすべての人々とともに。 また、あの時代を自ら経験した我が国の高齢者の人々とともに、記憶を呼び起こしたいと考えていました。子どものころ、飢え、逃亡、暴力、追放という過酷な経験をし、戦後、東側、西側の双方でこの国を築き上げた人々です。 そして若い人たちとともに追悼をしたいと考えていました。今日、自分たちはそもそも過去から未だに何を学べるというのかと問うている、当時から数えて三世代目にあたる若い人々です。私は彼らに呼びかけます。「君たちが頼りだ。まさに君たちが、あの恐ろしい戦争の教訓を将来に伝えなければならないんだ」と。だからこそ私たちは本日、世界中から何千人もの若者をベルリンに招いていました。先祖が敵同士であり、今は友人同士である若い人たちです。 このようにして、本日5月8日、ともに記憶を呼び起こしたいと考えていたのです。しかしコロナの世界的流行により、私たちは大切に思う人、感謝を抱いている人と離ればなれのまま、孤独に追悼するという状況を余儀なくされています。 この「孤独」という状況は、私たちを今一度、1945年5月8日のあの日に身を置いてみるきっかけになるかもしれません。当時、ドイツ人は実際に孤立していたからです。ドイツは軍事的に敗北し、政治的・経済的に壊滅し、倫理的に打ちのめされていました。私たちは全世界を敵に回していたのです。 75年後の今日、私たちは、孤独に追悼をせざるを得ない状況にあります。しかし孤立はしていません!これこそ、今日という日がもたらしてくれる福音です。私たちの国は、力強く堅固な民主主義を有し、今年ドイツ再統一から30年目を迎え、平和で統合された欧州の中央部に位置しています。信頼を享受し、世界中の連携と協調の果実を得ています。解放の日は感謝の日である。私たちドイツ人は今、そう言えるのです。 心の底からこうした確信が得られるまで、三世代の歳月がかかりました。確かに、1945年5月8日は解放の日でした。しかし当時はそれが、大半のドイツ人の頭と心にまだ届いていませんでした。 1945年、解放は外からやってきました。解放は外から来ざるをえなかった。この国はそれほどまでに深く、自らが生み出した災厄と罪にその身を絡めとられていたのです。西ドイツの経済復興と民主主義の再出発も、かつての敵国が示してくれた寛大さ、先見の明、和解の意思があったからこそ果たすことができたのです。 しかし、私たち自身もまた解放の一端を担っています。それは内なる解放でした。内なる解放は、1945年5月8日という一日のうちに起きたのではなく、長く、痛みを伴う道のりでした。犯罪行為を知っていた者やそれに加担していた者の過去に関する総括と解明、家族内や世代間の葛藤をもたらした辛い問いかけ、沈黙と隠蔽に抗する闘い。 それは、私と同世代の多くのドイツ人が、少しずつこの国に普通の感情を持つことができるようになった数十年の歳月でした。ドイツの近隣諸国において、新たな信頼が醸成され、欧州の統合プロセスから東方条約に至るまで、慎重な接近が可能になっていった歳月でした。また東欧諸国における勇気と自由への憧れが、壁の内側に収まりきれなくなり、最終的に、解放における最も幸福な瞬間、すなわち平和革命と再統一に至った歳月でした。私たち自身の歴史と格闘してきたこの歳月は、ドイツにおける民主主義がようやく成熟していった歳月でした。 そしてこの格闘は今日まで続いています。記憶するという営みに終わりはありません。私たちの歴史からの救済はありません。記憶を呼び起こさなければ、私たちは将来を失ってしまうからです。 私たちドイツ人が、自らの歴史を直視し、歴史的責任を引き受けたからこそ、世界の国々は我が国に新たな信頼を寄せてくれました。だからこそ、私たち自身もまたそのような国となったドイツを信頼できるのです。そこにあるのは、啓蒙された民主主義的愛国心です。分裂を伴わないドイツの愛国心はありません。光と陰への視座、喜びと悲しみ、感謝の念と恥を伴わないドイツの愛国心はありません。 ラビ・ナフマンは次のように書いています。「引き裂かれた心ほど完全な心はない」。ドイツの歴史は、何百万人もの人々に対する殺戮と、何百万人もの人々の苦しみに対する責任を伴う、引き裂かれた歴史です。このことは私たちの心を引き裂きます。だからこそ、引き裂かれた心を持ってしか、この国を愛することはできないのです。 これを耐え難いと思う者、終止符を求める者は、戦争とナチス独裁の災禍を記憶から排除しようとするのみならず、私たちが成し遂げてきたあらゆる善きものの価値を失わせ、我が国における民主主義の中核的本質をも否定してしまうのです。 「人間の尊厳は不可侵である」。我が国の憲法の第一条に掲げられたこの一文には、アウシュビッツで起きたこと、戦争と独裁体制下で起きたことが、すべての人の目に見える形で刻み込まれています。そうです、過去を想起する営みは重荷ではありません。想起しないことこそ、重荷になるのです。責任を認めることは恥ではありません。責任の否定こそ、恥ずべきことなのです。 しかし75年後の今日、私たちの歴史的責任とは、どのようなものなのでしょうか。今日、私たちは感謝の念を抱いていますが、安心していてはいけません。記憶の営みは、厳しい課題や義務をつきつけてくるのです。 「もう二度と」− 戦後、私たちはこう誓いました。この「もう二度と」は、私たちドイツ人にとっては特に「もう二度と孤立するな」ということでもあります。そしてこれは、どこよりも欧州においてあてはまります。私たちは欧州の結束を保たなければなりません。欧州人として考え、感じ、行動しなければなりません。欧州の結束を、このパンデミック下において、また収束後において保てないのであれば、私たちは5月8日という日を節目の日とする資格はありません。欧州の失敗は、「もう二度と」という誓いの失敗でもあるのです。 国際社会は「もう二度と」というこの誓いから学びました。1945年以降、戦争の惨禍を教訓として、共通の土台、すなわち人権と国際法、平和と協力のルールを作り上げていきました。 災厄を引き起こした私たちの国は、国際秩序を脅かす危険な存在から、時を経て、秩序の推進者となりました。だからこそ、この平和秩序が今、私たちの目の前で溶融するのを許してはなりません。この秩序を作り上げた人々との心理的距離が広がり続ける状況を受け入れてはなりません。パンデミックとの戦いでもそうですが、私たちが目指すのは国際協力の拡大であって縮小ではないのです。 「5月8日は解放の日であった」。リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領のこの有名な言葉を、改めて別の角度から理解する必要があると思います。当時この言葉は、私たちの過去との格闘におけるマイルストーンとなりました。しかし今日、この言葉は未来に向けたものとして理解しなければなりません。すなわち、「解放」の過程には決して終わりはなく、また、私たちは受け身にとどまっていればよいわけではなく、日々能動的に解放を実現することが求められているのです。 当時、私たちは他者により解放されました。今日、私たちは自らを解放しなければなりません。 新たなナショナリズムの誘惑から、権威主義的な政治の魅力から、各国間の相互不信、分断、敵対から自分たちを解放するのです。憎悪や誹謗・攻撃、外国人敵視や民主主義軽視からの解放を進めるのです。これらはみな、装いを新たにしているだけで、かつてと同じ悪の亡霊です。今日、今年の5月8日、私たちはハーナウの外国人銃撃事件、ハレのシナゴーグ襲撃事件、カッセルの政治家射殺事件の犠牲者を悼みます。コロナ禍で彼らが忘れ去られることはありません。 イスラエルのルーベン・リブリン大統領は今年、ホロコースト犠牲者追悼の日にドイツ連邦議会での演説で「ここドイツで起きるなら、どこでも起こりうる」と述べました。ここで起きるなら、どこでも起こりうる。しかし今日、その危険から私たちを解放してくれる人は誰もいません。自らの解放は自分で行わなければならないのです。当時私たちは解放されました。それは自ら責任を担うための解放でした。 確かに、今年の5月8日は、激しい変化と大きな不確実性の只中で巡ってきました。コロナ以前からそうでしたが、コロナによってその状況に拍車がかかりました。いつ、どのようにこの危機から脱することができるか今は分かりません。しかし、どのように今回の危機を迎えたかは分かっています。この国と成熟した民主主義への強い信頼、ともに担うことができるものへの強い信頼を胸に、私たちは今回の危機を迎え対応したのです。これはまさに、この75年の間にいかに大きな進歩を遂げてきたかの証左です。これを見て私は、私たちのこれからに期待を抱くことができるのです。 コロナのため、私たちはともに記憶を呼び起こし、式典に集まることはできません。しかし、この静寂を活かしましょう。立ち止まりましょう。 全てのドイツ人へのお願いです。どうか今日は静かに戦争とナチスの犠牲者に思いを馳せてください。ご自身の出身にかかわらず、ご自身の記憶、家族の記憶、そして私たちの国の歴史に問いかけてみてください。ご自身の人生と行動に、5月8日の解放がいかなる意味を持つのかを考えてみてください。 終戦から75年。私たちドイツ人は多くの感謝すべき状況に恵まれています。しかし、あれ以来得られてきたそうしたありがたい成果のうち、ひとつとして永遠に保障されているものはないのです。5月8日は、解放が終わった日ではありません。あの日から、自由と民主主義の追求が託され続けているのです。私たちに、託され続けているのです。
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