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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2020年06月20日23時03分掲載
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文化
[核を詠う](307)吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読む(2)「廃棄物貯蔵所もいまや稼働してわがふるさとは遠くなりたり」 山崎芳彦
前回に続いて吉田信雄歌集『思郷』を読み継ぐ。吉田さんが遭遇した東日本大震災、その被害をさらに深刻にし、生活の基盤を破壊した福島第一原発の過酷事故の先行きを見えなくさせるような被災のなかで、強靭でたしかな生きる力に、筆者は第一歌集『故郷喪失』といま読んでいる「思郷」の短歌作品によって、改めて感動を受けている。原発事故が人間に何をもたらしたのか、作者は技巧に走らず、「歌は人なり」とでもいえばよいのか、自らの生きる現実から離れることなく、感性豊かに詠っていること、その一首一首が光を放っていることに、筆者も拙くとも詠う者の一人として学びたい。詠われている家族詠、容易ではない環境の中にあって確かに生き、人と交わり、人を思うこと、そしてあってはならない原発や戦争に対する怒りが声高ではないが他人事としてではなく語られている短歌作品は、吉田さんの個性であり、震災詠、原子力詠の一つの典型だと思いながら読んでいる。
吉田さんの作品を読みながら、かつて、故・小高賢氏が書いた「『宿痾』を脱する契機に」という文章を思い出し読み返した。『角川短歌年鑑・平成25年版』の特集・『震災・原発と短歌』に記されている小高氏の見解である。部分的にだが、引用させていただく。
「今回の『東日本大震災』は、原発事故という問題を抜きには考えることができない。この事故は必然的に、地域、世代、年齢、職業、地位、専門といった個別性を無化した。被災した東北の人々や東京電力だけが当事者ではない。いわば日本全体、あるいは戦後社会全体が当事者といって過言ではない。直接見えなくても、すぐそばに事故は存在している。そういう想像力を喚起させる事態であるからだ。」
「この狭い列島に、五十四基も原発があったという事実に衝撃を受けた。ショックをうけたのは、その数にではない。それほど建設されたことをまともに認識していなかった自分に対してである。原発を無意識にスルーしてきたことに対してだ。改めて、高木仁三郎、小出裕章をはじめとした原発関係のものや関連の論考を読み、戦後社会の陰画としての原発に思いいたり、余計に不明を恥じた。危険性だけでなく、原発は戦後社会の鏡であったことに今ごろ気づく始末であった。つまり戦後社会の『つけ』といってもいい。」
「人災の要素が濃いという事故調査委員会の報告がある。科学技術、安全神話の問題だけではない。加藤典洋『3・11』、山本義隆『福島の原発事故をめぐって』、「大島堅一『原発のコスト』、大沼安史『世界が見た福島原発災害』、朝日新聞特別報道部「プロメテウスの罠」、東京新聞原発事故取材班『レベル7』、開沼博『「フクシマ」論』、「フクシマの正義』、辺見庸『瓦礫の中から言葉を』、木村英昭『官邸の一〇〇時間』、福山哲郎『原発危機官邸からの証言』、上丸洋一『原発とメディア』、笠井潔『8・15と3・11』、斎藤貴男『「東京電力」研究排除の系譜』…などによれば、原発は私たちの存在のあり方、戦後史の問題そのものだということが見えてくる。いっそう自分の怠慢さを確認することになってしまった。これは短歌の現在と無関係とは思えない。」
「サンフランシスコ講和条約以来のアメリカとの関係、核燃料サイクルと核抑止力、潜在的な核保有への執念、地方と都市の格差構造(誘致のメカニズム)、原子力村という構造(東大を中心とする専門家集団)、官僚制度の劣化、広告に汚染されたジャーナリズム、政治家の暗躍……。こういった網の目の中心が原発である。大事なことは、これらのことは私たちの現在とすべてが繋がっていることだ。仕事においても、地域においても、似たような構造があるのではなかろうか(歌壇だってそうかもしれない)。そして、いまもその上にいる。」
「『日本人の倫理、論理が試されている』(佐藤通雅)、『歌人、俳人ではなく、人間としてどう生きるか、何をどう感じるか、そこのところをじっくりと見つめていかないといけないのではないかと思いました』(来嶋靖生)。これは座談会『3・11以後、歌人は何を考えてきたか』(『短歌』2012・3)での発言である。ここにあるのはいい歌とかうまい歌といったレベルで、この東日本大震災を終えてはいけないという覚悟である。」
「何か起きると作品化への衝動に駆られ、なげき、かなしみ、怒る。その思いはだれしも否定できない。しかし、詠み終わると、『こと終われり』とでもいうのか、一挙に遠ざかってしまう。つまり忘れるのである。そして、また新しいもの、珍しいものへと視線が向く。」
「専門家に委ねるということで、私たちは責任を回避してきた。そういう戦後社会の行き着いたはてが、今回の事故のような気がする。(略)私たちはその構造から抜け出さなければならない。それだけではない。おかしないい方かもしれないが、原発事故はその『宿痾』から脱却する契機なのである。『私』を宙吊りにしたまま、原発事故は詠めない。原発事故を対象化することは、自分を対象化することなのだ。それはまた、私たちの戦後社会のシステムを、少しずつでも変える(考える)ことを意味するだろう。意識して原発を詠んでみよう。これは原発問題にかぎらない。歌人の生き方の問題になるからだ。」
平成35年度の『版短歌年鑑』誌での小高氏の論考であるのだが、いま歌壇・歌人は原発とどう向き合い、詠っているだろうか。 故・小高賢氏の論考の一部を引用させていただいたが、吉田さんの作品を読むうえで、筆者にとっては、貴重なものであった。吉田さんの短歌人としての、原発被災者としての「詠い続ける」真摯な姿勢を思う。
▼二病あり(抄) 百歳を越えたる父母は恙なしふたりを支ふるわれ二病あり
百三歳の母と喜寿なるわれがゐてひねもす語る原発の郷を
避難地に同級生のまたひとり逝きたり郷に相集ふなく
もろともに住みゐしものを原発禍は孫らを遠く離(さか)り行かしむ
噴火せる山の画面に見入りつつ原発思ふ津波を思ふ
子や孫の仕事を思へばすべもなし故郷を捨てむと友は言ひにき
▼落陽(抄) 落陽を見よと招きてヴェランダに立つ妻の背に炎(ほむら)たちをり
畑仕事の人らと声を交はしつつ原発の地より逃れ来しを言ふ
仮宿の炬燵に居眠る百歳の父母は故郷の夢見るらむか
介護車は父母を拾ひて雪のなか深き轍を残して去れり
▼領収書(抄) かの人もあの人も土地を求めしとひとの噂に町壊れゆく
仮住まひの狭きに暮らしふるさとは原発の汚染水にたゆたふ
仮宿の湯槽に浸かればふるさとの薪風呂思ふ避難は三年(みとせ)余
老友の訃報届きぬふるとへ帰るとしきりに言ひてをりしに
ふるさとの原発の日々の映像にわが気力失すわが心萎(な)ゆ
原発事故の真因を聞くは空しむなし帰還困難区域のわれは
夥しきタンクは敷地を埋めつくし汚染の水を地に海に垂る
三年(みとせ)余を人の住まねばおのづから家朽ちゆくをまざまざと見す
放射能のなかに三年を晒されゐし三十袋(たい)の米盗まれてをり
土地代と領収書を書く人とゐてふるさとをまさにわれ捨てむとす
▼地鎮祭(抄) 終の棲家の地鎮祭をもよほしぬ逐(お)はれて求めしこの狭き地に
かつての生徒は設計士なりわがための終の棲家の間取り図をかく
透視鏡のわが内臓に目を凝らし闇にうごめく白き影追ふ
原発禍に荒れて無人の菩提寺に枯れ葉舞ひをり散華のごとく
集ひ来しかつての生徒ら原発禍に逐はれしわれを蘇生させたり
▼雪しづり(抄) 避難者向けの旅行も登山も断りて百寿の母と冬をこもれり
白き道白き街並行きゆけり避難地にけふも雪の降り敷く
仮設舎に迎へし四たびの鬼やらひ豆を撒きたり声を抑へて
▼ひとの世(抄) 郷(さと)の人の訃報のふたつ届きたりかの日よりつひに会はざるままに
磐越道の隧道いくつか抜けてきて一時帰宅のふるさとに立つ
一時帰宅の郷に生者の声はなし墓に手向けて死者に声かく
この庭に孫らとバーベキューに興じしを一時帰宅のひととき思ふ
▼指揮者(抄) さまざまな歌を聴きつつさまざまな思ひ兆しぬ避難者われに
▼磐梯山(抄) ひたむきに生き来しわれは原発にふるさと逐(お)はる傘寿に近く
磐梯山を日ごと眺めて四年余り裡(うち)なる気力高めてきたり
奥会津の旬の蕨を送りたりセシウムはなしと断り書きして
ひと跳びに夏来たるらし白妙の布団並べり仮設住まひに
ふるさとの厨子(づし)ゆ持ち来しみ祖(おや)らの位牌安かれ仮の住まひに
避難地のまちなかバスに妻と乗る四年住みたる街眺めつつ
避難地のビルのあはひに沈みゆく夕日は赤き楕円にゆらぐ
▼常磐道(抄) さまざまに人の思はく交叉して常磐道開(あ)く放射線のなか
一時帰宅に常磐道を行きゆけば雉子(きぎす)の一羽横切りにけり
原発の禍(まが)なかりせばふるさとは今し農事の盛りなるべし
ふるさとの道場に弓を競ひたる日々の懐かし避難も四年
震災より四年余を過ぎぬ「もう」「すでに」「もはや」を幾度繰り返しつつ
父祖の地は廃棄物貯蔵地にならむ庭の枇杷には鳥の来啼くか
初鰹どかつと一本届きたり避難を案ずる浜の友より
廃棄物貯蔵所もいまや稼働してわがふるさとは遠くなりたり
▼査定(抄) 避難地に何かとわれを助けくれし君の訃報にけふ会はむとは
中間貯蔵地に呑まるるさだめのわが家は毅然と立てりあら草のなか
防護服の白きをよろひ男らは廃棄物貯蔵地のわが家を査定す
▼疎開(抄) 広島は原爆記念日この国の総理の言葉はこころひびかず
「コクミンヲマモル」と言ひて守らざりし教訓ありき七十余年前
空襲に遭ひし飛行場のその跡に原発建ちて禍(まが)を重ねつ
飛行場に次ぎて塩田つづまりは原発となるわがふるさとぞ
▼病床の母(抄) みづからに天与の至福と言ひきかせ百歳越えたる父母を支ふる
入院の母百四歳命なる髪は切らぬと看護師に言ふ
母を診る医者はかつてのわが生徒たのもしきかな病院を統ぶ
▼白き沈黙(抄) 生けるもの生きねばならぬ雪原(ゆきはら)に小さきけものの足跡(ああと)のつづく
遁れ来し仮設舎に隣る高層のホテルの窓は夢の色なす
四年余の避難となりぬ方形に揺るるチューリップ映ゆるその赤
ものなべて輝き初めてわれら住む雪国会津も初夏となりたり
次回も吉田信雄歌集『思郷』を読み続ける。 (つづく)
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