アメリカの左翼媒体であるJacobinに、フランス戦後史における歴史認識の問題が改めて取り上げられていました。「How France’s Vichy Regime Became Hitler’s Willing Collaborators」(いかにフランスのヴィシー政権がヒトラーに対する自発的な協力者となったのか」というタイトルです。
折しも1940年6月のナチスへの敗北と7月のナチスと手を結んだヴィシー政権の成立から80年目ということが契機となっています。執筆者のジム・ウォルフレイ(JIM WOLFREYS)によると、ナチスと休戦協定を結んだペタン将軍が率いるヴィシー政権には、もともとからフランスの極右思想あるいは右翼思想が根っこに存在しており、1789年のフランス革命や1930年代の左翼統一戦線の躍進を無きものにしたいという切望があったのだと言います。
https://jacobinmag.com/2020/07/vichy-france-holocaust-nazi-hitler-world-war-ii 先月、ドゴール将軍が1940年6月18日にロンドンからBBCを通じて行った自由フランス軍とともにナチスと徹底抗戦せよ、という声明に今日のフランスの政治家が右から左まであやかろうとしていることを書きましたが、フランス人は戦後、ナチスの協力者であった過去は忘却し、一貫してレジスタンスを行っていた英雄的なフランス人の過去を選択的に記憶することにしたようです。しかし、1960年代になると、ロバート・パクストンやアンリ・ルッソと言った一群の歴史学者たちがヴィシー政権のフランスの実態、そして行政官たちや市民のナチスへの協力の実態を暴き出したことで、フランスの暗部が次第に知れ渡っていくことになります。ヴィシー政権は行政組織としてショア(ホロコースト)に加担しています。
<In total, 76,000 Jews were deported from France to the concentration camps, most of them passing through the Drancy detention center outside Paris. Very few survived. Nearly 2,000 of those deported were under six years old; over 6,000 were under thirteen. >
「全体で76000人のユダヤ人がフランスから強制収容所に移送された。多くはパリ郊外にあったドランシーの収容所を経由して送られた。生き延びることができたのはごく一部である。そのうち、2000人近くは6歳以下の子供で、6000人以上が13歳以下だった」
ヴィシー政権はナチスに協力するため、ヴィシー政権の誕生した同月、1927年に成立したフランス国籍法を改正して、すでにフランス国籍を認められていたユダヤ系その他の市民15000人以上(うちユダヤ系は約6000人)から国籍の剥奪までしています。
社会党のミッテラン大統領はヴィシー政権がユダヤ人の強制収容所への移送を手伝っていたことなどの史実をもってしても、それはフランスではないとして、謝罪を拒否してきたと記事では述べられており、初めて大統領として公式にナチスへの協力を謝罪したのは1995年でジャック・シラク大統領だったと言います。そもそもミッラン氏はヴィシー政権の公務員でしたから、謝罪すると自分自身にも跳ね返ってきたでしょう。実際にはフランスでは反ユダヤ主義に加担してきた官僚たちが第二次大戦の末期に寝返って、ドゴール将軍派に協力して恩を売り、戦後に生き延びたとされます。
フランスにはナチスへの敗北以前から極右勢力が存在していたことは歴史の事実であり、そうした勢力はマリーヌ・ルペン氏が率いるRN(国民集合:かつての党名は国民戦線=FNだった)にも注ぎ込んでいます。極右のマリーヌ・ルペン氏が2022年にマクロン大統領を破って大統領になる可能性も高まっています。マリーヌ・ルペン大統領になった時、フランスの歴史に対するいかなる力が加えられるでしょうか。過去50年間にわたって、戦後フランス人が忘却することにした真実を掘り起こし、歴史の中に記してきた歴史学者やジャーナリスト、市民たちの努力が押し返されてしまう可能性もあると思います。
日本においては都知事に再選された小池百合子氏は、2002年から都知事選に出馬した2016年まで自民党の政治家でした。第二次安倍政権の発足をインターネットにおける言説で支援したJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)の顧問であり、当時は自民党広報本部長をつとめていました。小池氏は安倍首相に比べると数倍、言葉を慎重に使って、自己の思想を曖昧にしているように感じられます。タカ派の印象が強くあるものの、その言質がなるだけ取られないようなものの言い方をする傾向があり、そのことは都知事選におけるインターネット候補者討論会での司会の津田大介氏による関東大震災時の朝鮮人虐殺に関しても歴史認識を答えることを一貫して無視し続けたことでも明らかです。曖昧さとほのめかしでは、議論にもならないのです。そこがマリーヌ・ルペン氏との違いでもあります。小池知事は朝鮮人虐殺の事件については集団的記憶から忘却させていく方向性のように見えます。まさに歴史と記憶との違いがここにあります。
第二次安倍政権誕生前夜には<在日特権を許さない市民の会>によく示威行動など、おびただしい排外主義的な言説がリアル社会と同時にインターネット上で日本を席巻していました。このインターネットを活動領域にしたJ-NSCの活動の実態とこれに小池氏がどう関わってきたのかについては今後の検証が必要です。
■歴史家アンリ・ルッソ氏の来日講演 「過去との対峙」 〜歴史と記憶との違いを知る〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201810240710113
■ロバート・O・パクストン著「ヴィシー時代のフランス 対独協力と国民革命 1940−1944」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202001290149513
■イヴァン・ジャブロンカ著「私にはいなかった祖父母の歴史」 社会科学者が書く新しい文学
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201908021535275
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