ペルソナ・グラータとペルソナ・ノングラータは反対語です。 ともにラテン語で、好ましい人、好ましくない人の意味です。外交用語としては、外交官駐在の可否を決定する時に使います。 ペルソナ・ノングラータと烙印を押せば、その外交官を追放できます。 難民アスリート・サラーにモロッコは外交用語<ペルソナ。ノングラータ>で追放しました。 しかし、サラーはモロッコ以外のどこへ行っても、モテモテなんです。 あなたはサラーをどう評価しますか?
1−サラーが西サハラ難民政府のパスポートを取得: 「かって、あなたがモロッコ・ナショナルチームのメンバーとして走っていた時、西サハラの人々はあなたのことを<裏切り者>と、非難しなかったか?」と、サラーは外国の記者によく聞かれた。「僕は同胞から、そんな言葉を浴びせられたことは一度もない」と、サラーは答える。「<裏切り者>という言葉で僕を罵ったのは、モロッコ人だ」と、サラーはモロッコ人の、地獄に突き落とすヘイトスピーチを批判した。モロッコから苛め抜かれてきた西サハラの難民も被占領民も、同胞の受難に共鳴し、仲間外れにはしない。 2012年9月8日、アルジェリアにある西サハラ難民政府が西サハラ・パスポートを作った。新しいパスポートは表紙にSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)のマークが飾られ、国際民間航空機関ICAOの基準にのっとったICパスポートとなっている。 そのうえ、指紋という生体認証のための情報も盛り込んだ。 日本のパスポートの先をいくバイオメトリック・パスポートである。パスポートは外交官、学生、病人など、緊急に渡航が必要な西サハラ人に優先して発給される。 パスポート番号(1)はSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)大統領だ。 1976年のSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)建国時にもパスポートが作られたが、当時の番号(1)のSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)建国の父エル・ワリは同年に戦死し、解放戦争に突入したためパスポート製造も立ち消えた。西サハラ・パスポートの使用が可能なのは、現在RASD(サハラウィ・アラブ民主共和国)を承認している国のみで、アルジェリアや南アフリカなど多くのアフリカ諸国とメキシコ、キューバ、ベネズエラなどの中南米諸国、北朝鮮、イラン、ベトナムなどのアジア諸国だ。日本では使用不可能で、2019年8月28日~30日のTICAD7に参加したSADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)大統領一行は、日本入国ビザを取るのが大変だったと、不満を漏らしていた。 サラーは、2013年3月31日にSADR(ハラウィ・アラブ民主共和国)のパスポートを入手した。有効期限は、2023年3月31日で生誕地はラユーンと明記されている。ちなみにフランスの身分証明書には、生誕地がモロッコの地名になっている。
2−2016年3月15日、父死す ; 「父死す」の報せを受けたサラーは、葬式に出るためモロッコ当局にモロッコ占領地・西サハラへの帰郷を願い出た。が、、断られた。2012年に弟アバチカが暗殺された時も、サラーの帰郷願いは却下された。2003年にモロッコが押した<ペルソナ・ノングラータ>の烙印は消されていなかった。「僕の父は、長い間慢性心不全に苦しんでいた。糖尿病も併発し透析を続けていた。そのため左足を切断しなければならなかった。死ぬ3年前に父を見舞おうとモロッコ占領地の故郷に入ろうとしたが、モロッコ占領警察に追い返された。遠く離れた亡命先のフランスで、、僕は泣くしかなかった、、」と、サラーは悔しがった。 それでも、「僕には走る事がある」と、サラーは父の死を弔うように走りまくった。「幸吉は、もうすっかり疲れ切って走れません」と、1994年東京オリンピックで銅メダルを取った日本のアスリート円谷幸吉は、カミソリで頚動脈を切って自殺している。サラーは、「僕は、走る事が大好きだ」と、様々なインタビューで語っている。多分、円谷幸吉さんは走る事が好きでなかったのかもしれない。 父の死後、2016年4月から9月までの競技記録を列挙してみると: *4月17日、ル・ハイラン10キロメートルで優勝。 *4月23日、サン・ジャン・ド・リュズ市民マラソンで優勝。 *5月8日、ビアリッツ・バスク海岸7キロメートルで4位。 *5月14日、イステリ・バスク13キロメートルで優勝。 *5月22日、べリオザル7キロメートルで優勝。 *6月5日、ビアリッツ10キロメートルで2位。 *6月19日、ビアリッツ13キロメートルで4位。 *7月27日、ラ・フォレ・デュ・フェスタイレ13キロメートルで優勝。 *9月10日、ベッロビ7キロメートル500で2位。 *9月17日、ビダル11キロメートルで優勝。 、 、 サラーのハイペースは、2017年、2018年と続いていく、、
3−オリンピックで走るのを夢見た? : 2016年のゲルニカ紙インタビューで、「オリンピックで走るのを夢見たことがあるか?」と、聞かれたサラーは、「勿論だよ!オリンピックに出たいよ!!だけど、僕の国以外で、どこの国の代表になればいいのか??思いつかない、、」と、答えている。サラーの国、西サハラはIOC(国際オリンピック委員会)に加盟していないから、西サハラ国旗を掲げて参加することは不可能だった。 2019年10月、「2016年から難民五輪選手団が結成されているよ。そこの一員になれるかも? そうすれば、東京オリンピック出場も夢ではないよ、、」と、筆者が話したら、「ええ〜〜、そんなのがあるんだ!いままで、誰も教えてくれなかったよ!」と、残念がった。それから、サラーと筆者は難民五輪選手団への参加を模索した。トマス・バッハIOC(国際オリンピック委員会)会長と森喜朗2020東京オリンピック組織委員会会長に宛てて、SADR(サハラウィ・アラブ民主共和国)青年スポーツ大臣によるサラーへの推薦状を送った。12月に入って、IOC (国際オリンピック委員会)からサラーに宛てて、「フランス・オリンピック委員会とコンタクトを取るように」という指示が来た。サラーはすぐにFOCに連絡を入れた。しかし、FOCから返事がないまま、2020年東京オリンピックの年になってしまった。 「この数年間、疲労は溜まるし、父や兄弟が死んでいくし、モロッコ占領地の母とは会えないし、、幾度となく、走る事や旅をすることを止めようと思った。が、2月末のサハラマラソンが近づいてきたら、アルジェリアにある西サハラ難民キャンプに足が向いてしまうんだ」と、サラーは記録映画<一市民のマラソン>の中で語っている。そして、2020年2月26日も、西サハラ難民キャンプで行われたサハラマラソンに参加し、例年のように10キロメートルで優勝した。3月に入り、モテモテのサラーは難民キャンプでの催しものに引っ張りだこだった。そして、訓練基地にしているフランスに戻ろうと、フライトのリコンフォームをした。すると、アルジェリアの国内線も国際線もキャンセルだった。新型コロナウィルスによる渡航禁止だ!コロナの影響は、アルジェリア最西端にある西サハラ難民キャンプにまで及んでいた。
2020年5月15日にサラーがユーチューブにアップしたと送ってきた<一市民のマラソン>が、実は2019年に公開されたものだと分かりました。 ゲルニカ紙のインタヴューで、「お父さんの右足は遊牧の最中に、地雷で飛ばされた」とありましたが、実は、糖尿病による切断だと判明しました。 その他、諸々の疑問が出てきてサラーに直接聞こうとしたのですが、パッタリ、サラーと連絡が取れなくなりました。 ちょうど<難民アスリート・サラー>を掲載して10回になりましたので、筆を置こうとしていました。そこに、きました! サラーから、「いま、フランス行きのフライトを待っているところだ」と。短い一報が入りました。 フランスの訓練基地に着くまで、まだまだ、一波乱も二波乱もありそうです。 サラーが落ち着いたら、<西サハラ難民アスリート・サラー>を再開します。
とりあえず前編は休憩といたします。 後編をお楽しみに、、
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*難民アスリート・サラーの最新ドキュメンタリーがYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/jz7lFr2c_Jk スペイン語ですが、西サハラ難民キャンプが見られます。 *占領地からの脱出―「アリ 西サハラの難民と被占領民の物語」只今発売中です。 著者:平田伊都子、写真:川名生十、画像提供:李憲彦、川上リュウ、SPS、 造本:A5判横組みソフトカバー、4頁のカラー口絵、本文144頁 発行人:松田健二、 発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、TEL:03-3814-3861 2020年2月3日 初版第一刷発行 定価 税抜き2,000円 *1月22日、「ニューズ・オプエド」で#1323<アフリカ最後の植民地>を放映しました。 YouTube オプエド平田伊都子 URL https://www.youtube.com/watch?v=citQy4EpU-I Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)をご案内。 「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc 「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。 「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo 「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2020年7月15日 SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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