韓国通信NO644
ソウル市長の朴元(パクウォン)淳(スン)(63)さんが亡くなった。自殺。今月10日、遺体が北岳山で発見された。女性職員からセクハラを訴えられたのが自殺の原因と報じられた。韓国社会に衝撃が走った。2010年に市長に就任した朴元淳さんは貧困の解消と格差の是正を掲げ先頭に立ち続け、信望あつく、ソウル市長としては前例のない三期目だった。 「韓国通信」は社会運動家、政治家としての朴元淳さんをたびたび取り上げた。しかし次期大統領の有力候補とまで言われた市長の突然の訃報はにわかに信じがたく、私は雨続きの毎日を憂鬱に過ごすことになった。
韓国の歴代大統領には軍事独裁政権と闘った経験者が多い。金泳三、金大中、廬武鉉、現大統領の文在寅氏と同様、朴元淳さんも学生時代に4カ月にわたり投獄された経験を持つ。また、廬武鉉、文在寅と同じく人権弁護士として活躍したが、政界に入るまで長らく市民運動家として活躍した点が際立つ。 功績と思想、事件の真相については今後、詳細が明らかになるに違いない。市民運動家、政治家としての彼の記憶を私なりに書きとめた。
<落選運動の衝撃>
2000年、友人の結婚式に参加するために久しぶりに韓国を訪れた。韓国は総選挙の真っ最中。そこで「落選運動」という耳慣れない運動を知る。運動を仕掛けたのは市民団体の連合組織、参与連帯だった。参与連帯はその後、廬武鉉を大統領に押し上げる一大勢力に成長することになるが、その中心に朴元淳さんがいたことを当時は気づかなかった。
帰国の途中、街頭で落選運動の大きなビラをもらい、帰国後、それを翻訳した。真面目な政治家を当選させる。腐敗した人物を落選させる。候補者について市民が調べた情報が紹介されていた。人物本位で選ぼうという従来にないキャンペーンは韓国社会に旋風を巻き起こし、59名もの腐敗政治家を落選させる成果をもたらした。この卓越したアイディアを実践したのは全国の市民団体だった。ビラにはキャランバン隊の到着と集会の予定が分刻みで記されていた。 「落選運動」は日本でも注目された。翻訳したビラを読んだ人から、「日本でも落選運動をやりたい」という感想が多く寄せられた。
また朴元淳さんは「小額株主運動」の活動でも知られた。日本の「一株主運動」と同じなら、日本の運動からヒントを得たのかも知れない。それまでなかった大企業の監視活動によって成果をあげた。朴元淳さんは市民運動の先輩格※の日本から多くを吸収して運動に生かす人でもあった。 ※韓国の市民運動に日本の環境運動、消費者運動、教育運動が与えた影響はよく知られている。
<「美しい店」「美しい財団」「希望製作所」>
参与連帯の活動に続き朴元淳さんが取り組んだのは、「分かち合い」による市民参加型の新しい社会作りだった。「通信」NO321 2012/12では「美しい店を見つけた」と、以下のように記した。
「美しい店」とは― 参与連帯の事務総長をしていた朴元淳さん(現ソウル市長)らが始めた社会的企業で、市民や企業が不要となった品物を寄付して、ボランティアが売った代金を社会還元する仕組み。「エコロジー」と「寄付」「助け合い」を実践する企業である。2007年から始まった運動はまたたくまに韓国中に広がり市民の支持を集めている。話には聞いていたが店に入るのは初めてだ。それも後日、奉恩寺の入り口でも「美しい店」を見かけた。
「美しい財団」は市民の寄付によって、「子育て」「教育」「環境」などの分野に独自の支援事業を展開、また「希望製作所」はシンクタンクとして新しい市民活動を製作(応援)した。その規模は年々大きくなり、「美しい店」は、2012年の取材当時、既に千カ所以上の店舗を展開していた。単なるリサイクルショップではない。フェア―トレード商品も多く扱われ、世界的な連帯運動も担った。 市民の寄付文化と共助の精神を根づかせ、底辺から社会を変えていこうとする試みだった。韓国の地方都市に行けば「美しい店」はいくらでも探すことができる。「朴元淳さんが作った社会的企業」と胸を張る店員は、労働をとおして社会貢献をしている自覚を持った人たちだ。どの店も品質のよい品物が格安で買えるので、どの売り場も特売場のような賑わいだった。
<貫いた市民のための市政>
朴元淳さんの最初の市長選挙で争われたテーマは「学校給食の無料化問題」だった。市長になってからソウル市政は大転換、公約通り市民本位の市政に変わった。当選早々、3千人を超す市の臨時職員を正規雇用にする方針を発表。非正規雇用から正規雇用へ、財政の負担は変わらない試算を発表、職員のモラルと市政サービスの向上をはかった。 教育行政では盟友チョヒヨン教育監とともに、民主的な教科書づくり、教育の民主化を進め、また脱原発の推進、ソウルの最低賃金制の拡充など、市民のための行政を実行した。 ローソクデモに機動隊が水道水を放水するのを認めなかったことからもわかるように、市長として市民運動への共感と参加の姿勢を崩すことはなかった。
参与連帯時代に培った「社会連帯」「共助」の精神は、自治体と市民運動の新たな協力関係を生み、その持続可能な社会づくりは世界から注目と共感を集めた。彼が提唱する社会的経済の世界的ネットワークづくりの世界会議(GSEF)が2014年ソウルで開かれ、私も仲間と参加したが、国境を越えた市民社会の連携が、平和で平等な世界をつくることを予感させる素晴らしい集会だった。 新しい「協同組合法」の制定による社会的企業の育成は、行き詰まりを見せる世界経済のなかで活力を生む新たな社会システムづくりの試みとして注目された。 亡くなる前日、朴元淳市長は2兆6千億ウォン(約2300億円)を投じ、温室ガスの排出を減らし新・再生可能エネルギー政策「ソウル版グリーンニューディール」を発表した。コロナ対策にも通じる地球温暖化対策だった。発表の翌日には暗転、失踪、そして自殺。残念というほかない。
<最後に>
今は、朴元淳さんの悲劇的結末を軽々しく論じたくない。すでに過去の人となってしまった彼は私に勇気と希望を与え続けてきた人だ。彼をとりあげた「韓国通信」を手渡しながら、話しかけたことがある。何を話したか思いだせない。しかし貴方のことは生涯忘れることはないだろう。 合掌
小原 紘:個人新聞「韓国通信」発行人
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
ちきゅう座から転載
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