最近、すさまじい台風や異常な強風、竜巻など異常気象が毎日のように話題になっています。今回の台風10号も非常に強いと報道されています。私個人について言えば2018年秋の台風24号で老朽化した住まいの屋根が直撃され、近代的な住宅に引っ越しを余儀なくされました。身近に被害が起きている状況に生きていると、青土社の「人新世とは何か <地球と人類の時代>の思想史」(クリストフ・ボヌイユ&ジャン=バティスト・フレソズ)で提起された「人新世」という概念への関心度が異なってきます。それは人類の出現が地球の地質学的な時代区分を画するほどに、人類の生産活動が地球に莫大な影響を与えるに至ってしまったことを意味します。
「『危機』という言葉に関して言えば、この言葉を使うことは、欺瞞に満ちた楽観主義を保持することにならないだろうか。この言葉は事実、我々が単に近代の危険な転換点、出口がすぐに見つかるような束の間の試練に直面しているだけのように思いこませてしまう。危機という用語は過渡的な状態を意味するが、人新世は引き返しのできない地点なのである、人新世は地質学的な分岐点を意味しており、それは完新世の『通常状態』に、予知の可能な状態には戻れないことを意味する」
すでに70億人を超えてしまった人類は莫大なエネルギーを使い続けるシステムを築いてしまいました。その痕跡が地質学的な変質を創り出すに至ったのです。ではいつから、前の完新世から移行したかには説が複数あるようですが、19世紀の産業革命が決定的な分岐点になったのは間違いないでしょう。本書には「人新世の外観図」として人口、実質GDP、直接投資額、二酸化炭素の大気中濃度、都市の人口、紙の消費量、開拓された土地の広さなど12のグラフが示されており、いずれも20世紀以降爆発的な右肩上がりになっています。
「一人の標準的なアメリカ人は標準的なケニア人に比べて32倍の資源とエネルギーを消費している。この世に誕生する新たな人間が富裕国の豊かな家庭に生まれたとしたら、貧しい国の貧しい家庭に生まれていた場合より1000倍も多い炭素の痕跡を残す。アマゾンの森で狩猟し、魚を釣り、庭を造るヤノマミ族は、化石エネルギーをまったく使わずに1日3時間の仕事をして暮らしているが、ヤノマミ族も気候変動と人新世に対して負い目を感じねばならないのだろうか」
このことは南北問題をめぐるテーマに結びつくだけでなく、人類の文明のあり方全体に反省を強いるものです。昨今、劣悪化する労働環境のもとで、時には過労死も余儀なくされる人々がいる中、<1日3時間の仕事で生きているヤノマミ族(※)>と聞くと「いいなあ」と思う都市の住人は多いのではないでしょうか。しかし、昨年来、アマゾン流域のネイティブの住民たちはブラジルのボルソナーロ政権に生活と環境を大規模に脅かされています。
本書では20世紀初頭にフランスなどで労働時間を減らす思潮が生まれながら、なぜこの思潮がそれほど先進国でさらなる発展を遂げなかったかの原因を大量消費の推進と結びつけています。特に第二次大戦後に米国や日本などの衛星国で、ソ連とのイデオロギー闘争に利用されたのだ、と。つまり英国における18世紀の産業革命、そして米国や衛星国群の消費主義が人新世を大加速させてしまった要因であり、これは必ずしも歴史の必然ではなかったと言っています。その意味で真のオルタナティブを考える時期に来ています。筆者はそれは政治的な選択以外にないことを語っています。そして、そのために過去2世紀において人新世を促してきた勢力を分析し、研究することが必要だと述べます。
「・・過去2世紀半の間、絶え間なく存在してきた環境にまつわる知識と警告を無視して歩み続け、工業的・消費運動的活動に反対する抗議活動やオルタナティブな選択を圧殺することを可能にした『脱抑制』のあらゆる戦略と装置から学ぶべきことは多い・・・」
本書は人新世がどのような概念か、ということをレポートしたものですが、副題に「思想史」とあるように、このイシューをめぐる重要な概念や思想家、科学者、哲学者などが歴史の中で広範に述べられており、このテーマの全貌を見るのに役立つと思います。これらの人名や年号、文献類の情報だけでもかなり貴重なものです。
クリストフ・ボヌイユも共著者のジャン=バティスト・フレソズもフランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員です。著者は人新世を逃れることはもはや不可能であり、環境危機から逃れるという無意味な希望を捨て、地質学的に不可逆な変化である人新世にいかに被害を減らして生き延びるかを考えなくてはならないと言っています。人新世を生み出してしまった原因を数世紀にわたって分析することから、その人新世の生き方が導き出されるだろうというのです。本書は野坂しおりさんの翻訳が成功しているために、とても読みやすくなっています。
人新世と言う言葉は国際的には頻繁に目につく言葉になっています。少なくとも最近、フランスで出版されている科学や科学哲学、あるいはエコロジーの分野では不可欠になっています。でも、日本ではほとんどまだ浸透していないと思います。その意味でも筆者にとってはまずは身近な問いを満たしてくれる良き本でした。
※ヤノマミ族 「ブラジル先住民族ヤノマミ、違法採掘者の追放訴え コロナ感染懸念」AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3286378 「アマゾン先住民、迫るコロナ危機 無法者が感染拡散の恐れ―ブラジル」(時事)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020050300071&g=int
※著者の一人、クリストフ・ボヌイユの講演 (農民のアトリエ) Christophe BONNEUIL 「 Une histoire de l’industrialisation de l’agriculture et du vivant」(農業と生者の産業化の歴史)
https://www.youtube.com/watch?v=iA_99BaFEcA この講演でクリストフ・ボヌイユ氏は本書の内容とも絡むが、農業が資本主義の下でどう変容してきたかを数世紀にわたって説明している。本書でも語られているが、過去の生物の大絶滅時代と同様の事態が現代の産業のもとで進行しており、生物多様性を守ることの大切さも語られる。
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