明治維新(※)を、あれは実質的に革命だった、と考える歴史家がわが国にいて、そのアピールが功を奏してフランスの革命史家にも認められたとの話を最近、耳にしました。明治維新が革命だった、というそれらの歴史家の理由は士族らによる上からの革命だったとしても、身分制社会や藩政が解体され、近代国家への移行が行われ、しかもフランス革命よりはるかに死者が少なく済んだ、ということでした。
それを聞いた時は、そういう考え方もあるかな、と思いました。しかしながら、後で考えが変わりました。何と言っても明治憲法には人民主権が欠けています。どんなに社会構造が変わろうと、「人民主権」のない政体への移行は広義の革命だったとしても、「市民革命」とは呼べません。その意味で明治維新を革命だったとして評価を高める方向性から私は距離を置きたいと思うようになりました。人民主権なき「革命」こそが、教育勅語を伴った義務教育で忠君愛国の思想を国民に強い、先の大戦を引き起こした主因です。見方を変えると、人民主権なき「革命」とは、身分制や藩政のあった江戸時代よりもはるかに広範かつ効果的に人々を徴兵したり、産業に総動員できる近代的な統治システムに移行しただけとも言えます。
このことは過去の評価だけに関わりません。自民党の改憲論者の中にはフランスの行政の最高のエリートを育成するフランス国立行政学院(ENA)に留学したことのある政治家がいますが、その人がなんとフランス革命の背骨である「天賦人権論」を否定していることが、一層、このテーマに慎重に接する必要を掻き立てます。日本にも革命はあった。日本には日本の社会にあったやり方がある。日本の政体変革は人民主権抜きで足りる・・・一歩間違えると、こうなりかねません。明治維新革命観はこうした人民主権なしの改革を肯定し、人権思想を骨抜きする憲法改正プロジェクトに弾みをつける可能性すらはらんでいると思います。それは戦後の民主主義をすべて否定することに外なりません。明治維新が革命だったと考える歴史家がそう考えていると言っているのではありません。けれどもその考え方には政権に利用される余地が十分にあると思えるのです。
村上良太
※明治維新をどうとらえるか。以下は近世日本思想の研究者、子安宣邦氏の一文。
■台湾・中央研究院・講演(2019.3.19.) 「日本近代化」再考−明治維新150年に際して 子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201903240258110 「明治維新を日本史上最大の変革とする見方への疑義が近来いわれるようになりました。日本の歴史上において最大の変化をもたらしたのは19世紀後期の明治維新ではなく、むしろ15世紀の応仁の乱(1467-1477)という大規模な内乱だと最初にいったのは日本のアカデミズムにおける近代シナ学の祖とされる内藤湖南(1866-1934)です。その説は最近、応仁の乱という大乱の実際を詳細に一冊のコンパクトな書の中で提示した歴史家によって再び取り上げられました(呉座勇一『応仁の乱』中公新書2016)。応仁の乱が日本史上最大の変革だというのは、この乱に続く16世紀の戦国時代という争乱の世紀を経て、京都の朝廷(貴族)・寺院(僧侶)・幕府(武家)の三者をもって構成されてきた日本の古代的な国家権力体制が崩壊するからです。ここから17世紀の徳川政権の成立は新しく読み直されることになります。すなわち1600年の徳川氏による全国統一的武家政権の成立とは、日本の長く続いた京都の古代以来の天皇朝廷的権力体制の崩壊を意味するものとなるからです。その意味で「応仁の乱」が日本における史上最大の変革をもたらした内乱だとされるのです。私もこのとらえ方を支持します。」
「明治日本は国民国家の形成という課題を天皇制的国民国家の形成として実現させました。近世の徳川政権は天皇を非政治的な祭祀的儀礼空間としての京都御所に隔離しました。だが明治の維新政府はこの天皇をもう一度政治的中心に引き出し、近代国家を天皇制的な国家システムとして作り出していきます。津田が明治維新とこの維新遂行者による国家形成に強い違和感をもったのはこの点にあります。津田がいう通り「王政復古」とは明治維新という政治改革の反徳川的遂行者が掲げたスローガンです。これをもって彼らのクーデターを正当化したのです。だがこのスローガンは明治維新という日本の近代化改革に復古主義あるいは天皇主義を深く刻印していきます。明治国家はやがて憲法を制定し、議会を設けて近代的国家体制を整えていきますが、天皇制的支配の国家原則は貫かれ、やがて昭和(1926-1989)とともに国民を天皇制的全体主義国家の内に包み込んでいくことになります。総力戦という昭和の戦争を可能にしていったのはこの天皇制的全体主義です。「王政復古」の明治維新ははたして〈ほんとうの国民〉を成立させる近代化改革であったのか。それは津田の『我が国民思想の研究』を中断に導いた深い懐疑であったはずです。彼は近代日本に〈ほんとうの国民・国民文学〉の成立を見出すことはなかったのです。」(同上)
これまで子安氏の明治維新への視点について私は十分に理解できていなかったのですが、今日になってみると、極めて興味深い説に思われます。これまであまりにも偉大とされてきた明治維新というものを一度、突き放して、広い日本史全体の中に置いて再び考えてみる必要があると思います。
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