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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2020年10月14日10時26分掲載
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社会
<a care-worker's note・1> 介護福祉士になるまで 転石庵茫々
60歳の時に、90歳を目前にしていた父が急逝した。早朝父が寝床にいないことに気づいた母が、風呂場で倒れている父を発見した。深夜の入浴中の心臓麻痺という診断だった。父を発見した母や後処理に追われた妹はたいへんな思いをしたが、深夜にそっと亡くなり朝気づかれることを望んでいた父にとっては、寝床と風呂場の違いはあれ、望みに近い形だったのかもしれない。両親とは疎遠の生活をしてきた僕には、それ以上のことはわからない。横たわる父を静かに送っただけだ。
▽60歳サラリーマンの転機 そのころから、還暦を過ぎた自分の仕事についてあらためて考えだしていた。その当時従事していた仕事は、特殊な職務内容からいっても急に退職を迫られることはないようだったが、そのまま続けて65歳前後で退職しても次の仕事を探すのは困難だし、70歳まであるいはそれ以上働こうと考えると今のままでは長期の計画はとても立てられないことは明白だった。
ちょうど同じころに、中高の部活の同期会があり、古くからの友人たちと還暦以後の生活設計について話しているなかで、人材派遣会社の顧問についている友人から、新しい仕事を探しているのなら、顧問先の人材派遣会社を紹介しようかというありがたい話をいただき、お願いすることとなった。
東京駅の目の前の高層ビル内に本社を構えた派遣会社を訪ね、転職に関する一般社会状況、年齢による求職活動の違いなどについて詳しく説明を受け、僕に合わせた求人情報が送られてくることを待つ身となった。 やってきた求人情報は、当然のことながら、今までの仕事の延長線上あるいは関わりのある分野で、いささか今までの仕事関連にいろんな意味で倦んでいた僕には、どうしても食指が動かないものだった。
そうこうするうちに、6月に入り、そろそろ61歳の誕生日かという頃に、高齢者用グループホームでの介護職というまったく異質な案件が送られてきた。今までの職歴とはまったくの畑違いである社会福祉にかかわることに興味をそそられ、少しの迷いはあったが、求人先に連絡してみた。電話口でグループホームの施設長である人物と話すうちに、一度訪問することとなった。
目黒の高級住宅地のなかに新設されたグループホームは、真新しい3階建てで、将来的には各フロアに9人の入居者さんと介護5人を予定していたが、その時点では、まだ、1階のみの開設状況だった。 施設長に迎えられ、施設の案内を受け、面接に臨んだ。面接と言っても、50代半ばらしい施設長の介護業界での経歴と体験談、そして今までの経験を生かして、この新しい施設では自分の考えに基づいたきめの細かい介護を行ってゆきたいというお話を一方的に聞く感じで、僕の方はひたすらこの介護という仕事についての新しい知識を頭に入れイメージしてゆくのに必死というありさまだった。それでも、踏み込むのにハードルが高いと思っていた介護の仕事が、施設長の話も上手だったのか、いつのまにか自分でもできるのではないか、できるのならばやってみようかという気持ちになっていった。
帰宅し、カミさんに相談してみると、社会的な位置づけが低い介護職に対して覚悟ができているのだったら、悪くないのではないか、といっても、一日ぐらい体験してみて自分の様子を見てみたらということとなり、早速、施設長に連絡し、一日体験をさせていただくこととなった。
▽有料老人ホームで働く グループホームの見学はたった一日だけとはいえ、たいへん貴重な体験となった。今でも、その時に感じたこと、考えたことが、仕事する上での気持ちの基礎になっている。 グループホームで、高齢者の生活に接してみると、これまではいかに高齢者との接点がなく、高齢者のことを知らなかったかを思い知らされた。親が高齢者といっても一緒に生活しているわけではなかったし、福祉関連の仕事でもしていない限り、街で高齢者を見かけることはあっても高齢者の生活の場には行くことはないのだから、当然と言えば当然だが。お茶を飲んだり、一緒に食事したり、洗濯の手伝いをしたり、散歩にも出かけたりと、きめの細かい行事を入居者の方とこなして1日は過ぎていった。
グループホームに、介護職もベテランから初心者、常勤、パートで料理を手伝いに来ている人、そして、看護師といろんな職務の人が一日のあいだに出入りしていることも新鮮だった。仕事の合間に彼らから介護についての話が聞けたことが、これからの計画を立てる上でとても参考になった。 夕方の食事の準備前、入居者の方たちとリビングルームでくつろいでいると、ある入居者の爪を切っていた看護師さんが、「この仕事はね、時間と付き合う仕事なのよ。」と呟くように言った。リビングルームに緩やかな川のように時間が流れているようだった。この感覚は、ぼくには、既視感のある感覚だった。 締め切りや納期などの小さな時間に追われることに慣れてはいても大きな川の流れのような時間との付き合い方がわかっていない僕にとっては、介護についての知識技術なしで介護の世界に飛び込むのは、避けた方が良いだろうと思った。介護についての知識と技術を身につけるために、昼休みに先輩の介護士から聴いた「介護福祉士」という資格を取得することを当面の目的とすることにした。
勤務先には、退社の申し出を済ませ、10月から職業訓練校の介護サービス科で半年学び、介護福祉士試験の受験資格のひとつである実務者研修を修了することにした。介護福祉士試験の受験資格は、もうひとつあり、介護の現場での3年間の実務経験で、これは、学校修了後の勤務先で始まることだった。 職業訓練校の入学試験も無事に通過し、勤務先の会社を円満退職、10月から職業訓練校介護サービス科に通学し、翌3月には実務者研修修了資格を取得することもでき、4月から、有料老人ホームでの仕事が始まった。1か月後に転職し、現在まで同じ有料老人ホームで働いている。
昨年の3月に、実務経験3年になり、今年(2020年)の1月に、介護福祉士試験を受けて、ありがたいことに、合格し、念願の「介護福祉士」の資格を取得できた。 介護職を目指してから立てた目的を果たし、しかも、60代半ばでの取得者は、少なくはないが、自分ではそれなりに努力してきた達成感もあり、とても嬉しかった。大声で、ひとに自慢したいくらいだった。少しは介護の現場経験も積んできたし、これを機会にこの介護の世界で役に立ってもらえるようなことが発信できないだろうかとも考え始めていた。
▽<ケア Care>の実践としての介護 ところが、どこか全面的に喜ぶことのできない違和感があり、あいつは介護職なんて始めて大丈夫なのか!と心配してきてくれた人たちにそっと資格取得を伝えるのみで、日常の業務に戻っていた。人間何でも計画通りにゆくとだれかに嵌められた気分になるというが、まさにそんな気分も多少ともあった。 そんな時に、YouTubeで、ノンフィクション作家の中村淳彦氏がアフターコロナ状況での介護世界について語っている動画をみた。その中で、介護業界には、コロナ禍で加速されたデジタル化で増える中高年失業者の流入が予想され、世代的には、団塊ジュニアが団塊世代を介護することになりそうであり、デジタル化による経済構造の急激な改革に対応を急がされる行政としても、高齢者社会の進行での介護職不足とデジタル化での産業構造の変化による中高年失業者の増加の対策のひとつとして、デジタル化社会の落ちこぼれ失業者を介護不足にあてる施策を積極的に勧めてゆくだろうということが述べられていた。
今後、中規模以上の企業のそれなりの地位と能力のある中高年サラリーマンがリストラから介護職へ転職する傾向が高くなり、それに従い介護職の職能の格差を明確するために介護福祉士の資格取得が行政に大いに奨励されるだろうということだ。デジタル化社会の落ちこぼれ中高年と生産性のシステムから外れている高齢者を抱き合わせて安全に隔離する解決策とも見える。自然志向の強い団塊の世代を対象に都市から離れた辺鄙な場所に収容施設を作り、介護職となった、デジタル化社会落ちこぼれ中年を送り込み、都市から隔離する一方で、経済性に特化した都市づくりを目指そうということもあるらしい。 中高年サラリーマンから介護職への転職、これは、まさに、この数年の間、僕が歩んできた道だ。何のことはない、行政の高齢者対策のモデル的先兵として介護職に志願し、介護福祉士の資格取得により行政の期待する実験成果をあげてきた、ともいえる立場に僕自身があるともいえてしまう。
介護職へ転職し、当初の目的である介護福祉士資格を取得したものの何かに嵌められているようなヘンな気分を感じてきた僕には、何だか、とても腑に落ちる話だった。 失業保険を利用して、介護の勉強をほとんど無料で半年間できたし、勤務先の手続きミスで貰えなかったが、介護福祉士資格取得の助成金というのまであった。超高齢者社会を抱えている日本、デジタル化社会の実現に遅れをとっている日本にとっては、必要な施策なのだが、いつの間にかその施策にのせられていたとは、資格取得するまで気が付かなかった。これこそ、取得後の違和感の大きなひとつだろう。
さて、どうするか。 このまま、政府の施策の手の上でひらひらしているだけというのも、取得した資格が手のひらからするりと滑り落ちてゆくような感じで、寝覚めが悪い。 そこで、これから自分の周りの世界も世間もどうなるかはさっぱりわからないが、とりあえず、今まで学んできた<介護に関連する知識と経験>を整理してみようと思っている。<介護に関連する>と書いたが、介護ということばには、どうしても限界を感じてしまうので、もう少し膨らみを持たせて、<ケア Care>という言葉を使ってゆくことにする。
<ケア Care>という言葉の持つ広がりは、フランスでケアについての多くの本を著しているファビエンヌ・ブルジェールが、ケア実践について述べている次の言葉にも表れている気がする。 「私たちがケア実践の中で経験することは、具体的な他者と、主に身体性にかかわるニーズを読み取りつつ関わるなかで、他者の個別性―私とは別個の存在であること―、異なり、(他者と私の)関係性がおかれた具体的な文脈とその社会性・政治性に気づかされることである。」(ファビエンヌ・ブルジェール) これは、そのまま介護にも当てはまるし、身体を介したひとつの人間関係で気づいた=築いたことが大きな人間関係へとつながっていくようなきっかけが介護にもあると思うし、それならばより広がりのある<ケア>という言葉を使ってみようと思う。こんなこともあり、タイトルは「ケアワーカーのノート a Care-Worker's Note」となった。個人的なノートだが、いろいろな現場やいろいろなひとたちとケア実践をしている方たちの参考の一助にでもなれば、嬉しいかぎり。 (つづく)
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