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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2021年02月04日20時30分掲載
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アジア
「アウンサンスーチー」か「アウン・サン・スー・チー」か メディアの表記不統一が意味すること
ミャンマーの国軍クーデターの報道で、気になることがないだろうか。自宅軟禁されたアウンサンスーチー国家顧問兼外相の人名表記が統一されていないことだ。メディアによって「アウンサンスーチー」と「アウン・サン・スー・チー」に分かれている。なぜなのか、どちらが正しいのか。些細なようで大切なことなので、あらためて確認しておこう。(永井浩)
▽「アウン・サン・スー・チー」が大勢 アウンサンスーチーと表記しているのは、朝日、毎日の両紙。 アウン・サン・スー・チーは、読売、日本経済、産経、東京の各紙と共同と時事の両通信社。テレビはNHKはじめTBS、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日とも同じである。 つまり、日本のマスコミは圧倒的に後者なのだ。
では、どちらが正しい表記なのか。答えは「アウンサンスーチー」である。 まず確認すべきは、ミャンマー人には姓がなく、名だけだという事実だ。日本でも姓名が一般化したのは明治維新後だということを思い起こせば、不思議なことではない。 またビルマ語では名前を分かち書きすることはない。「アウンサンスーチー」は一つづりである。 それなのに、「アウン・サン・スー・チー」という分かち書きが日本でよく見られるのは、英語の表記がAung San Suu Kyiなので、それにならったからである。
日本の外務省はアウン・サン・スー・チー表記をとり、クーデターを受けて1日に発表された茂木外相談話も「アウン・サン・スー・チー国家最高顧問を含む関係者の解放を求める」となっている。 クーデターに抗議して、スーチーさんらの解放にむけて外務省が努力してほしいと訴える、在日ミャンマー人たちの外務省前でのデモを伝えるテレビは、デモ隊の日本語のプラカードには「アウンサンスーチー」とあるにもかかわらず、画面では「スー・チーさんの解放を!」の見出しが現れる。
▽「バイ・デン」大統領、「メル・ケル」首相?
アウンサンスーチーという名前は、英国の植民地支配からのビルマ独立をかちとった「建国の父」アウンサン将軍の名前をかぶせているので、ミャンマー人の名前にしてはやや長い。このため、女性への敬称「ドー」と親しみを込めて「ドー・スー」と呼ばれたり、スーチーさんと短くされることはあるが、アウンサンスーチーが正しい呼び方であることに変わりない。 日本語がかなり堪能で、1985年に京都大学で客員研究員をしたこともあるアウンサンスーチーさん自身、日本語の分かち書きは間違っていると言っている。 アウン・サン・スー・チーという表記は、菅義偉首相を「義・偉」、姓でいえばバイデン米大統領を「バイ・デン」、メルケル独首相を「メル・ケル」と表記するのが間違いであるのとおなじである。 ちなみに、クーデターで実権を掌握した国軍のミンアウンフライン最高司令官についても、朝日、毎日の両紙以外のメディアはミン・アウン・フラインと表記している。
ではなぜ、日本のメディアはアジアの国の指導者の正しい名前表記を怠っているのだろう。欧米よりアジアを低く見る日本人の伝統的思考から、ミャンマー人の名前も英語表記に右に倣えしたということが理由のひとつだろう。 1980年に米国大統領となったレーガンについて、日本のメディアは当初「リーガン」と呼び、その後「リーガン」と「レーガン」のどちらが正しいのかをめぐり諸説が出てきて、レーガンに落ち着いた。同盟大国の指導者の名前の表記には必死になっても、東南アジアの小国の指導者なら、疑問すらいだかないのだろう。
もう一つは、そのように決めた日本政府、つまりお上の決定に疑問をいだかずそのまま従う日本のメディアの体質である。それは、さまざまなニュースの発信で権力者が設定した枠組みでしか物事をとらえようとしない傾向の強い、伝統的姿勢がここでも例外ではないということである。 2016年のアウンサンスーチー政権発足以前には、国名の英語表記が政治的争点となっていた。軍事政権が1989年にそれまでの「ビルマ」(Burma)から突然「ミャンマー」(Myanmar)に変えたことに対して、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)は猛反発した。国名という大きな問題について、民主主義の手続きを経ず国民の民意を代表していない政権が勝手に決めることは許されず、ミャンマーへの一方的決定に従うことは、軍政の合法性を認めることになるというのが理由だった。 このときも、日本の外務省はミャンマー名に従い、外務省の意向を受けた日本新聞協会は「ミャンマー」表記を採用、各社ともそれにならった。テレビ朝日のニュースステーションだけが「ビルマ」で通し、朝日新聞は「ミャンマー(ビルマ)」とした。 NHKにいたっては、アウンサンスーチーさんへのインタビューで彼女が「ビルマ」と発言しているにもかかわらず、日本語訳を「ミャンマー」と変えてしまっていた。
▽求められる他国文化への敬意 だが問題は、政府やメディアの安易な外国人の名前の表記そのものにあるのではない。こうした“病理”のより深い原因とそれを取り除くには何が必要なのかが問われなければならない。 そのためにはまず、「人の名前は、人間社会を映す鏡のようなものである」(『第三世界の姓名』)という認識をもちたい。 世界各地の姓名を紹介したこの本で、編者の松本侑作氏は「名前が、いかにその人が属する社会集団、民族、宗教、地域の文化等に密接に関連するものであるか」ということを強調している。いいかえれば、名前はそれぞれの人のアイデンティティを体現しているということだろう。だから、「一見いかにそれがわれわれの日常的な知識や規範を越えるものであろうとも、われわれはその背景を出来るだけ正確に知り、かつ対応するように努める必要があろう」というのだ。 特に私たち日本人には、韓国を植民地化し「創氏改名」を強制したという犯罪的過去があることを忘れないようにしたい。
連日ミャンマー情勢を追う新聞やテレビがいかに多くの文字と映像を費やそうと、他国の基本的な文化に無知なままでは、深く掘り下げた正確な報道は期待できないのではないだろうか。
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