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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2021年04月23日11時42分掲載
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アジア
オーウェル的世界よりミャンマーの未来に投資しよう、「人間の尊厳」を原点に
4月13日から1週間のミャンマー正月を祝う今年の「ティンジャン」は、2月の国軍クーデター後の「オーウェル的世界」の再来によって例年のにぎわいが影をひそめた。オーウェル的世界とは、ビッグブラザーを頂点とする監視体制下で人間の自由が窒息させられていくディストピア国家を描いた、英国の作家ジョージ・オーウェルの名作『1984年』になぞらえたもので、アウンサンスーチー氏も自国の軍政によくこの表現をつかっている。またオーウェルのこの晩年の傑作の原点は、大英帝国の植民地ビルマ(ミャンマー)での彼の若き日の体験にあるといわれる。百年前にアジアの熱帯の地で彼が目撃したことをふまえた珠玉の短編『象を撃つ』とともに、現在この国で起きていることと、ビッグブラザーと関係の深い日本のすがたを見つめてみたい。(永井浩)
▽支配する者がまず腐敗していく ジョージ・オーウェル(本名エリック・ブレア)は、名門パブリックスクール、イートン校を卒業後、卒業生の多くが進むオックスフォードやケンブリッジのエリートの道ではなく、大英帝国のビルマ植民地支配の末端を担う警察官となった。1922年、19歳のときである。彼は27年に英国に帰国するまで、ビルマ各地で勤務した。『象を撃つ』は以下のようなあらすじである。
私はある日、勤務先のモールメインで、象が暴れだし住民を踏み殺しているという通報を受け、最新式のドイツ製ライフルを手に現場に急行する。途中で象に踏み殺された苦力(クーリー)の死体を見るが、現場に着くと、象はもう落ち着いて草をはんでいる。ビルマでは象は、労役用の巨大で高価な機械のようなものだから、これは撃つべきではないと私は思う。 だが、ふとふりむくと、「黄色い顔」の群衆が私が象を撃つものと期待して集まっていることに気づく。彼らの目は、手品を始めようとする奇術師でも見ているようだった。私はそのとき、結局象を撃たないわけにはいかないなと悟り、銃の引き金を引く。象は地響きをたてて倒れた。 東洋における白人の支配の空しさ、虚ろさを私が最初に理解したのは、まさにこの瞬間だった。銃を手にして武器を持たぬ原住民群衆の前に立つ白人の私は、まるで劇の主役のようだった。しかし現実には、今ここで何もせず引き上げると、黄色い顔たちに笑われるのではないか、だから彼らに馬鹿にされまいとして引き金を引き、殺す必要のない象を撃った。「旦那(サヒブ)は旦那らしく動かなくてはならぬ」と。 私は後ろについてきた黄色い顔たちによって操られる人形にすぎなかったのだ。「白人が専制者と化すとき、彼が破壊するのは実は自分自身の自由なのだ」と私は悟った。だがそのあとで私は、苦力が一人象に殺されたおかげで救われた気がした。人を殺した象を撃った私の行為は法的に正しかったという言い訳が成り立つからだ。
支配・被支配の構造のなかでは、支配される側の自由だけでなく、支配する側の自由も奪われる。つまり被支配者の尊厳が冒されるだけでなく、支配する側がまず内的に腐っていくのだという見方は、オーウェルのその後の人生においてずっと貫かれていく。それは英国の帝国主義・植民地支配への批判だけでなく、被抑圧者の側から支配階級と戦う社会主義への共鳴、さらにソ連共産主義の全体主義体制を批判した晩年の名作『動物農場』『1984年』にも引き継がれていく。通底しているのは、彼が終生もっとも大切にした、人間の品格(decency)、正直さ、率直、誠実というふつうの人々が持つまっとうな人間らしさを破壊するものはゆるせないという考えである。 反体制者が権力を獲得するやいかに腐敗堕落していくか、またユートピアの理想をかかげた支配者がビッグブラザーとして君臨し、監視・管理体制によって独裁権力をほしいままにして人間の尊厳を奪っていくすがたを描いた晩年の二作は、いまも世界中で読み継がれている。またそのような権力者と体制は、ソ連が崩壊したあとの世界各地でもさまざまなかたちで再生産されている。その最新のグロテスクなすがたが、今年2月1日にクーデターで権力を握ったミャンマー国軍なのである。 ただ、ミャンマーの現状がこれまでのオーウェル世界とは異なるのは、それを打破しようとたたかう圧倒的多数の国民の存在である。彼らが多くの血と命をかけて死守しようとする民主主義とは、オーウェル流にいえば、まっとうな人間らしさ、人間の尊厳を踏みにじるものは許せないという精神である。だからその叫びは、おなじ人間としての精神を大切にする人びとに国境をこえて届き、弾圧に屈しないミャンマー国民を支援しようという国際社会の支援のうごきを広げている。欧米諸国の政府は国民の側につく姿勢を明確にし、国軍への制裁措置をつぎつぎに打ち出しいていく。 しかし、平和と民主主義を国是としているはずの日本の政府は、アジアの隣人のビッグブラザーとのたたかいに対して、いまだに旗幟を鮮明にしようとしない。欧米諸国とは違う独自のアプローチでミャンマーの民主化を後退させない努力をするとの空念仏を唱えるだけで、最大の武器とされるODA(政府開発援助)の停止を国軍に伝えるわけでなければ、国民支持を表明するわけでもない。 日本政府はいまやミャンマー国民からも国際世論からも、ビッグブラザーの仲間と見られても仕方ないであろう。つまり、人間の尊厳を踏みにじる支配者側の行為に加担することによって、みずからの人間としての尊厳を損なおうとしていることに気づこうとしない。 そのような日本の姿が、他者の鏡にどのように映し出されているかを見てみよう。
▽日本の価値観外交の詭弁 ひとつは、「日本の価値観外交はミャンマーで座礁」と題する、テンプル大学ジャパンキャンパスのジェフ・キングストン教授が2月22日にFORSEA (Forces of Renewal for Southeast Asia)に寄せた以下の論稿である。
「価値観外交」とは、「普遍的価値(自由主義、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交」(外務省HP)とされ、安倍晋三首相が2016年に日本政府の外交方針として提唱した。これを推進するために、日本、米国、オーストラリア、インドの4ヶ国首脳や外相による安全保障や経済を協議する枠組み「自由で開かれたインド太平洋戦略(Free and Open Indo- Pacific Strategy:FOIP)」が立ち上げられた。「ユーラシア大陸に沿って自由の輪を広げ、普遍的価値を基礎とする豊かで安定した地域を形成」するものと説明されている。この戦略は、こうした価値観を共有できずに「一帯一路」構想によって地域への影響力を強める中国に対抗する狙いがあるとされる。 では価値観外交は、ミャンマーではどう機能しているだろうか。 多くの在日ミャンマー人が日本政府に対して、祖国の民主化運動を支援してほしいと訴えて外務省前でデモをおこない、日本人参加者とともに要望書を同省に手渡した。しかし日本政府は彼らの声には耳を傾けようとはせず、軍事政権と行動をともにするようだ。 菅政権の内閣官房参与で外交ブレーンの宮家邦彦氏はジャパンタイムズ紙(2月4日)で、国軍への制裁と圧力に反対し、説得を優先すべきだと述べている。「ミャンマーに対する圧力政策の再開はタッマドー(国軍)を暗黒面に押しもどしてしまうだけである」として、「必要なのは、国際社会の一致した監視のもとでタッマドーの指導者が心変わりするよう話合いを再開し、最終的には説得できるよう慎重な努力をすることだ」とされる。 こうした日本政府の対応に、キングストン氏は首をかしげる。「軍事クーデターに反対する抗議行動の規模をみれば、ミャンマーの人びとにとっては国軍こそ、暗黒面であり、民主主義と法の支配、基本的人権にとっての最大の脅威と言っても差し支えない」からだ。それなのに日本の価値観外交は、ミャンマーに関しては普遍的価値に目をつむろうとする。米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター研究副主幹のダニエル・スナイダー氏によれば、軍政への制裁と圧力に反対する日本の空疎な詭弁に、バイデン政権は不満を募らせているという。 だが日本政府のこうした姿勢は、いまさら驚くことではなさそうだ。日本はこれまでにもアジアの国々で、誰が権力の座にあろうと意に介さず、その価値観外交になんらかの実質があるのか、それとも単なるブランド戦略なのではないのかという疑問をかきたててきた。タイでもカンボジアでも、手を組む相手が独裁者であり、その国の国民が望まない政権であろうと、日本の経済的利益と地政学的戦略にかなうなら問題ではなかった。「日本政府は民主主義や人権に反対はしないが、それを支持するために自らが何かを犠牲にする危険を冒そうとはしなかった」。クーデター後のミャンマーに対しても、その基本姿勢は例外ではなかった。 クーデターの直前に、国軍と長年にわたり経済的関係と密接な協力をつづけてきた日本ミャンマー協会の渡邊秀央会長が、スーチー国家顧問とミンアウンフライン総司令官をおとずれ、日本のミャンマーへの投資促進を話し合ったのは不思議ではない。氏や多くの日本人は同国への中国の影響がこれ以上強まるのを懸念し、それに対抗するために経済関係の拡大に熱を入れようとした。軍政と日本政府にとって、渡邊氏はうってつけの裏工作のチャンネルだったが、氏がミャンマーにおける民主主義体制への移行を促進しようとしたとか、民主主義の逆戻りを阻止しようとする努力を支持するという形跡はまったくみられない。「日本の経済界はミャンマーをアジアの最も有望なフロンティアと見ていて、そこで金儲けさえできれば、政治状況はどうでもよいのである」。
▽揺らぐミャンマー人の日本への好感度 それでは、こうした日本外交をミャンマーの人びとはどう見ているだろうか。在日ミャンマー人のナンミャケーカイン京都精華大学特任准教授のアンケート調査結果が、毎日新聞(3月25日デジタル版)で紹介されている。 彼女は民主化運動が全土にひろがった1988年に高校を卒業後来日し、立命館大学で学部、大学院修士、博士課程を修了した。 調査のきっかけは、クーデター後の3月8日に丸山市郎駐ミャンマー大使が、国軍が「外相」に任命したワナマウンルイン氏と面会、在ミャンマー日本大使館がフェイスブックに「外相」と表記したことだ。また日本政府が同9日、国際機関をつうじて1900万ドル(約20億9000万円)の緊急無償資金協力を実施したと発表したことにも違和感をいだいた。「日本の対応は、国軍を正当な政府と認定しているように見える。ミャンマー人の思いを数値化して、日本の人たちに伝えよう」と、オンラインで意識調査をはじめた。 調査は3月10日から2・5日間にかけてミャンマー人を対象にGoogle Formsで無作為に回答してもらった。軍が不当な連行、拘束を行っているため、回答者の安全性を優先に考え、無記名、本人特定につながるような電話番号やメールアドレスなども無記入とし、3611人から回答を得た。性別では女性が62・9%と半数以上、年齢別では20〜39歳までの66・7%が占め、女性と若年層が高い関心をしめした。 ・「ワナマウンルイン氏を外相として受け入れますか?」には「受け入れない」が96.3%と圧倒的に多い。軍事クーデターへの反対意思の表明と理解できる。 ・「日本大使がワナマウンルイン氏と会ったこと」には、「受け入れない」が85.5%、「受け入れる」が8.5%、「よくわからない」が6%。日本大使が軍の任命した人物と面談することを拒否するミャンマー人が圧倒的に多いことが明らかになった。 ・「日本はミャンマーに900万ドルの緊急無償資金協力金が国連世界食糧計画(WFP)などを経由して支援すると公表されたことを知っていますか?」には、「知っている」55%、「知らない」45%で、回答者の二人に一人が今回の緊急無償資金協力金決定を知っていた。日本が今のミャンマー情勢にどのように対処するのかを注意深く見ているミャンマー人が多いことが分かる。言い方を変えれば、ミャンマー人の日本への期待度が高いともいえる。 ・「軍事クーデター下でこのような緊急無償資金協力を実施することは良いことだと思いますか?」には、「思わない」90.8%、「思う」9.2%。 ・「日本政府にミャンマー人のために何をしてほしいか?」には、「軍/軍人への奨学金支給を含めた支援を停止してほしい」が最も多く66.2%、「2020年総選挙監視結果を笹川団長より発表してほしい」が24%で二番目に多い。その他は、「軍とNLDとの間に交渉してほしい」が7.8%、「何も関わってほしくない」が2%となっていて、日本政府が粘り強く、軍に説得しようとする姿勢に共感するミャンマー人は残念ながら1割もいないことが分かった。 ・「今も日本に対しては良いイメージをもっていますか?」に、「はい」が63.1%で最も多い。次いで、「いいえ、日本に対して今は良いイメージを持てなくなった」が16.2%、「よくわからない」が20.7%。 日本への好感度が依然として高いいっぽうで、「よくわからない」が約2割にも上っていることを、調査をしたナンミャケーカインさんは意外と多い数字とみる。これは、日本政府のクーデターへの対応を見て、日本へのイメージをどう表現したらよいのかという迷いがミャンマー人で出てきている表れではないかという。
▽来年のティンジャンにむけて 私たちがビッグブラザーの仲間と見られないようにするには、こうした他者の鏡に映し出される自己像から目を背けてはならないだろう。 ビルマの警察官時代のオーウェルは、けっして現地住民への差別意識や反英ナショナリズムの中核である僧侶への憎しみを隠さなかった。それと同時に英国の植民地統治に強い疑問を抱いていた。『象を撃つ』は、このような内的葛藤をへて生み出された作品だから、自国の帝国主義への批判は痛切な響きを帯びて読者に届くのである。彼はそれを、既存の学問や借り物の知識に依ることなく、複雑な現実との格闘のなかで自らの目と耳とこころで正しいと信じたことを自分の言葉で表現することで示そうとした。この基本姿勢は他の作品でも変わらず、だから時代と国境をこえていまも多くの人々の胸を強く打ち、読み継がれるのである。 だとしたら、日本政府のミャンマー国軍支援をゆるしてはならないのは、私たちの隣人たちがまっとうな人間らしさを取りもどそうとするたたかいを勝手に踏みにじる罪に加担するのを阻止する必要があるからである。またそれによって、自分たちの腐敗に無神経であってはならないからである。そのことに気づけば、私たちは冷血な独裁者によって支配されていた人びとの尊厳の回復を図ると同時に、独裁者たちをひそかに支援してきた自らの非をみとめ、人間の品性を取り戻すことができるということだろうか。そうかもしれない。だが問題は、その認識が真の内省にもとづくものかどうかであろう。
さしあたり私たち日本国民がなさなければならないのは、私たちの政府と経済界がミャンマーと日本のよりよき未来のための選択肢を誤らないように声をあげることだろう。 スーチー氏はかつての軍政時代に毎日新聞に連載した『ビルマからの手紙』で、自国への投資を急ぐ外資にこう忠告している。 「私は外国からの投資について見解をもとめられると、いまはその時期ではないと答える。そして『現在の投資』に代わるいかなる選択肢があるのかと問いただそうとする人に対しては、こう言いたい、『未来に投資しなさい』。すなわち、あなたご自身の利益のことだけを考えても、ビルマの民主化に投資しなさい。信認と信用性の裏づけのある、開放的で安定した政治システムを前提として自社の投資方針をさだめる企業は、それが、信認と国際信用の上に立つ開放的な安定経済を促進するのに役立つことがわかってくるし、またひいてはそれによって、投資企業は最高の投資利益を期待できることになるのです。民主的なビルマは経済的に力強く安定したビルマになるでありましょう」 そのようなミャンマー発展の中心的担い手となるのは、先のアンケート調査に最も多くの回答を寄せた若年層と女性であろうことを、私たちは見逃してはなるまい。
『手紙』にはティンジャンについても記されている。 ミャンマーの猛暑がピークを迎える4月におこなわれるティンジャンとは「転換」を意味し、「それは、過ぎ去った年を省みて、新年を控えた最後の数日を使って私たちの『功徳の本』の帳じりをととのえるための時間なのである」。子どもたちは、帝釈天(セッチャー)がティンジャンのあいだ、天の御殿から降りてきて、一冊は金張り、一冊は犬の毛皮張りの大きな本一冊抱えて人間界を歩きまわるのだと教えられる。功徳を積んだ人の名前は金張りの本に、正しい行いをしなかった人間の名前は犬の毛皮張りの本に記される。 ミンアウンフライン総司令官らは当然、毛皮張りの本に記されることは間違いないだろう。その仲間だった日本人たちも名を連ねることになるかもしれない。 ティンジャンは暑さを吹き飛ばそうと、男女が陽気に水をかけ合う光景から「水かけ祭り」とも呼ばれるが、この「アターの水」は「平和と繁栄と不浄の清めを象徴する」という。 今年のティンジャンは、国軍の弾圧がつづくため、最大都市ヤンゴンでも例年なら人びとがあふれる大通りも人影はまばらだった。市民は祭りに用意した植木鉢に国軍への抗議を象徴する「3本指」の絵を描き込むなどして、静かな抵抗をつづけた。 来年のティンジャンは新年の恒例行事としてだけではなく、ミャンマーの人びとが国の政治の新たな再出発を祝う歴史的な意味をもつことになるはずである。
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転載について
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