ミャンマーの国軍系企業と外資との提携に国際的な監視の目が強化されるなか、日本の高級真珠会社TASAKIの国軍系企業との提携を国際人権団体が停止するよう求めている。2月のクーデター後に在ミャンマーの日本人経営者らが日系企業に勤めるミャンマー人に行ったアンケート調査では、約76%が日本企業に「国軍や国軍系企業との関係を解消ないしは事業撤退をすべき」と答えている。TASAKIは契約を延長するとみられているが、国軍系企業との提携解消が難航しているキリンホールディングスのビールは市民の不買運動で出荷数が激減している。(永井浩)
▽利益の20%を軍に支払う契約 TASAKIが提携しているのは国軍のビジネスの一つであるミャンマー真珠公社(MPE)。利益分割方式で、20%の利益をTASAKIが軍に支払う契約を結んでビジネスを行ってきた。内部情報によると、2月1日クーデター後もこの契約は継続していて、5月下旬には何百米ドルという大金をTASAKIからMPE(軍)に支払う予定になっているという。 こうした動きに対して、クーデター後に米政府がMPEを制裁対象に指定したことを受けて、ヒューマンライツ・ナウとJustice For Myanmarは4月21日、TASAKIに対し、MPEとの取引停止を要請する共同提言書を発表した。提言書は「ミャンマー国軍は、MPEをはじめとする軍系企業からの収益を利用して、国の支配権を握ろうと、無法に市民への人道に対する罪を犯している」として、「ミャンマーで民主主義が回復し、MPEが事業において人権を尊重することができるようになるまで、MPEとのすべての取引を直ちに停止する」ことを求めている。 Justice For Myanmarのスポークスマン、ヤダナマウン氏は以下のようにコメントした。「TASAKIがMPEとのビジネスを続ける限り、TASAKIは、ミャンマー国軍が国民への人道に対する罪と、起こり続ける恐怖のテロ活動に加担していることになります。今、行動を起こさなければ、TASAKIの真珠はミャンマーの人々の血で汚れてしまいます。私たちは、TASAKIが人権上の責任を果たし、国軍との取引を直ちに停止すること、そしてモーケン族に与えた損害を賠償することを求めます」 モーケン族への損害とは、この真珠開発事業がおこなわれているミャンマー南部のタニンダーイー地域管区では、地元住民サロン族の土地や海域の環境を破壊し、地元住民の権利が侵害されてきたことを指す。彼らは先祖伝来の土地から別の土地へ移住させられ、水利権も奪われたが、何の補償もなされていない。
真珠業界に詳しい関係者によると、なぜTASAKIが5月下旬に軍に大金を支払うかというと、真珠産業の浜上げ時期は6月と12月で、今度の6月の浜上げの前にデポジット(保証金)を前払いで納める必要がある。 2020年12月は浜上げをしておらず、2020年6月と2019年12月に浜上げしたときは、約600万米ドルをTASAKIから軍に支払っているという。今回は1年ぶりの浜上げということで、時期的に延期すれば真珠のサイズが大きすぎてしまうなど市場にのせられないサイズになってしまうなどの条件もあり、今年6月はどうしても浜上げを実施することが必要になる。そのためには、前払い金を払わないわけにはいかなくなるという。 ヒューマンライツ・ナウとJustice For Myanmarの提言を知って、TASAKIにメールで問い合わせた梅原康次氏によると、「当社はミャンマー国軍系企業との合弁事業は行っておらず、また、その他ミャンマー国軍傘下の組織との間での合弁事業を含む商業上の取引関係もございません」との返信があったという。 だがこの問題に関心をもつ別の日本人は、ミャンマー人の友人にこんな情報を伝えてきた。「田崎真珠の追加情報です。生産高の25%の量を軍に献上することになっています。それはすべて最高級のパールから選ばれるみたいです。ミャンマーの地方空港で友人がたまたま知り合った田崎真珠の社員から聞いた話だそうです。10年前のことです。その社員はなげいていました。ただ、真珠を養殖している島には数百人もの村人が働いていて、病院や学校などがあるそうです」 MPEがホームページに掲載しているオーストラリア企業との今年1月の契約見本は、同じように利益の20%をMPEが受けるようになっており、TASAKIだけが例外ということはあり得ないだろう。 Justice For Myanmarへの投稿(4月6日)は、「日本は長年にわたりミャンマー国民からその資源を強奪してきた」として、TASAKIと国軍の結託の歴史を記している。
▽ミャンマーの民意は「国軍系企業との関係解消」 ミャンマー国民が国軍系企業との関係を問題視しているのは、TASAKIだけではない。すべての日本企業と国軍系企業との関係や日本政府の対ミャンマー政策などをふくめて、彼らが両国関係の今後をどのように考えているのかを示すのが、ミャンマービジネスに関わる日本人有志が在ミャンマー日系企業のミャンマー人従業員に対して4月20日〜24日におこなったアンケート結果である。(注1) 145人から回答が得られ、年齢は20代が60・0%、性別は女性78・6%、学歴は大学卒86・2%。日本企業での勤務歴は3年未満が66・2%と最も多い。現在の役職は一般スタッフが71・0%、次いで中級幹部26・2%、経営幹部2・8%。日本企業で働く理由は、「スキルアップに役立つ」の63・4%を筆頭に、「将来のキャリアアップにつながる」が31・0%、「ミャンマーのためになる事業だから」が29・7%などとなっている。
まず、クーデターとその後の政治情勢をどう見るか。 国軍のクーデターには「反対」97・9%(「どちらかというと反対」1・4%をふくめると99・3%が「反対」)▽スーチー政権(2016〜20年)を評価するかは、「評価」55・2%と「どちらかというと評価」42・1%を合わせて「評価する」が97・2%▽軍が主張する2020年11月総選挙の不正には「そう思わない」が91・7%。 各自が参加した抗議行動は、「20時の鍋叩き」93・1%、「軍系企業商品・サービスの不買」87・6%、「SNSでの情報発信・拡散」86・2%、「CDM(市民的不服従運動)参加者への寄付や物資支援」82・8%、「デモへの参加」79・3%、「中国企業商品・サービスの不買」75・2%、「その他の国の商品・サービスの不買」13・1%。 CDMへの支持率は95・9%に上る。CDMの今後の継続については、行政関係者は96・6%、教育関係者、医療関係者、金融関係者は「継続すべき」がいずれも70%を越えている。 クーデターで追われたアウンサンスーチー国家顧問が率いる国民民主連盟(NLD)の議員らが、国軍に対抗して結成した「連邦議会代表委員会」(CRPH)と、民主派が結成した「国民統一政府」(NUG)については、「支持」86・2%、「どちらかというと支持」12・4%。現時点でのミャンマーの正当政府はCRPHとNUGとする者が89・0%に上っている。 こうした現状認識にもとづいて、国軍・軍系企業と直接関係のある日本企業はどうすべきだと思うか。「関係解消もしくは事業撤退すべき」が75・9%と圧倒的多数を占め、「個別に判断すべき」は17・2%、「関係解消も事業撤退も必要ない」は3・4%にすぎない。また、国軍・軍系企業・ミャンマー政府と関係ない企業は「事業撤退する必要はない」が64・1%となっている。
次に、国際社会への期待としては、「部分的な経済制裁を望む(軍系企業・軍政府を対象)」が半数の50・3%、「強力な経済制裁を望む(雇用や生活に重大な影響があっても)」27.6%、「限定的な経済制裁を望む(一部の軍系企業や個人を対象)」13.8%となっていて、「経済制裁は望まない」は8・3%にすぎない。 では、事態の解決に最も期待する外国や国際機関はどこか。「国連」が54・5%と最も高く、次いで「米国」17・9%、「日本」は第3位だが4・1%にすぎない。 日本外交への期待としては、「部分的な経済制裁を望む(軍系企業・軍政府を対象)」が53・1%、「強力な経済制裁を望む(雇用や生活に重大な影響があっても)」27・6%、「「限定的な経済制裁を望む(一部の軍系企業や個人を対象)」14・5%、「経済制裁を望まない」4・8%と、国際社会への期待とほぼおなじである。 日本が最大の供与国なっているODA(政府開発援助)についても、否定的な意見が圧倒的に多い。継続中のODAは「一部停止」60・7%と「全て停止」29・0%を合わせて約90%のミャンマー人は停止を求めている。停止すべき継続中のODA案件は「軍や軍系企業に資金が流れる全ての援助」が97・7%とほぼ100%に近い。新規のODAについても、「停止すべき」(「一部」53.・%と「全て」42・1%と合わせて)が9割以上に達する。
▽キリン系ビールの不買運動拡大 しかし、日本政府はクーデターから3ヶ月以上が経った現在も、新規と継続中をふくめてODAの停止について「検討中」を繰り返すだけだ。またこのアンケートで84・1%のミャンマー人が日本政府に「CRPHとの公式な対話と支援」を期待しているが、日本政府は国軍と国民のどちらの側を支援するのかの旗幟を鮮明にしていない。 注目、あるいは憂慮されるのは、アンケートに示された圧倒的多数のミャンマーの民意に応えようとしてない日本政府の姿勢が、各国への印象にはっきりと反映されていることだ。 クーデター前の各国政府に対する印象で、日本は「良い」72%、「どちらかというと良い」26%で断トツの首位だった。つづいて韓国が前者65%、後者26%、米国はおなじく47%、43%。中国は最下位で「悪い」が66%だった。 ところが、クーデター後は順位ががらりと入れ替わった。韓国が「良くなった」のトップになり89・0%、米国67・.6%、英国48・3%とつづき、日本は46・9%の4位。「悪くなった」も、中国の89・7%にくらべればはるかに少ないものの、日本は4・8%と上昇した。 日本政府は国軍の肩をもっていて、経済制裁に踏み切れないのだと見るミャンマー国民が増えてきていることの現れだろう。
なお、このアンケートは日本人ビジネスパーソンに対しても行われたが、135人からの回答結果はミャンマー人のそれと大差はない。 国軍・国軍系企業と直接関係ある日本企業の対応について、「関係解消もしくは事業撤退すべき」が51・9%(ミャンマー人75・9%、以下カッコ内同じ)。「日本は欧米各国と協調して経済制裁すべきか」は、肯定は「部分的」45・9%(53・1%)「限定的」30・4%、「強力」10・6%と、支持が多い。継続中のODA案件についても、「一部停止」65・2%(60・7%)、「全て停止」20・0%(29・0%)となっている。停止の対象は日本人、ミャンマー人とも「軍や軍系企業に資金が流れるすべて」が97・7%と同数。新規のODAについても、軍や軍系企業に流れる援助は「全て停止」43・0%(42・1%)、「一部停止」49・6%(50・3%)とほぼ同数である。
もし日本政府の対ミャンマー外交と多くの日本企業の国軍系企業との関係がこのままだとすると、日本企業の前途にどのような事態が待ち受けているかをうかがわせるのが、キリンホールディングス傘下のミャンマー最大手ビール、ミャンマー・ブルワリー(MB)の販売額の大幅減であろう。 キリンホールディングスはクーデター直後の2月5日に、人権重視の立場から、国軍系企業との提携解消を発表し、磯崎功典社長名の以下のプレスリリースを流した。「キリンホールディングス株式会社は、ミャンマーにおいて国軍が武力で国家権力を掌握した先般の行動について大変遺憾に思っています。今回の事態は、当社のビジネス規範や人権方針に根底から反するものです」。キリンの投資先であるMBは、国軍系のミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)が主要株主となっているためだ。 同社のミャンマーでの事業は、現地で約8割のシェアをしめる収益力の高い事業となっていた。このため同社はミャンマーから撤退はせず、非国軍系と提携して事業を継続する方針だったが、MEHLとの合弁解消交渉が難航した。5月10日の共同電によると、反発する市民の不買運動がつづき、クーデター以降のキリン系ビールの販売額は前年同期比8〜9割減となった。国内の大手スーパーが棚から同社製品を撤去したほか、国外でも「以前は店で出していたが絶対に仕入れない」(シンガポールのミャンマー料理店)と影響が広がっているという。ミャンマー料理店が多く「リトル・ヤンゴン」と称される東京・高田馬場でも、おなじ光景が見られる。
ちなみに、今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公、渋沢栄一は、「道徳経済合一」を説き、明治時代に日本資本主義の基盤をつくったが、ビール産業も彼が興した多数の事業のひとつだった。キリンホールディングスの磯崎社長は、「渋沢栄一氏はキリンビールの前進のジャパン・ブルワリーの発展を支えた一人である。めまぐるしく変化する時代に、渋沢栄一氏の公益の精神に学び、当社も社会とともに歩み、未来に向けて新しい価値を提供したい」と述べている。(2019年4月19日、食品新聞) その言や良し。創業者の精神を21世紀の現在にいかし、ぜひ企業の社会的責任を果たしてほしい。ミャンマーの現状は、日本企業の経済活動と人権、民主化問題を考える好機である。キリンはクーデター後の公約を実現すべく、企業に利益追求だけでなく、法律の遵守、人権尊重、環境への配慮、コミュニティーへの貢献などをもとめる国際社会の声にぜひ応えてほしい。そうすれば、同社をミャンマーにおける日本企業の鑑に、それに見習う企業が少しでも増えてくるのではないだろうか。そして日本企業は、悪化しつつあるアジアの隣人の対日好感度の回復に貢献できるかもしれない。 その日が来るまで、私は大好きなキリンの「一番搾り」を飲むのを控えることにしたい。
(1) アンケートの全文は
https://note.com/myanmarsurvey/
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