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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2021年08月22日15時02分掲載
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国際
【アフガニスタン】アメリカの戦争とは何だったのか 谷山博史
米軍の方が怖かった
アフガニスタンの元スタッフで今は盟友のサビルラから二枚の写真が送られてきました。一枚は彼が昨日タリバーンの新知事を表敬訪問したときの写真。知事室でくつろいだ様子で話をしています。もう一枚は国連アフガニスタンミッションUNAMAの東部地域代表とタリバーンのNGOコミッショナーとの会合の写真。 (写真を皆さんとシェアーしたいのですが、さんざん考えてやはりアップするのはやめました。)
サビルラはいち早く知事に渡りをつけ、次にUNAMAを巻き込んでNGOとタリバーンとのダイアローグのチャンネルを作ろうとしています。そこでNGOの活動の保障と女性の権利の保証をなんとか認めさせようと動いているのです。
報道では相変わらず過激派タリバーンだの、女性の権利が抑圧されるだのと判で押したようなことしか言いませんが、タリバーンに対する私たちのマインドセットを変えない限り和平もなければ、タリバーンが住民を人質に凶暴化するのを防ぐことも出来ないのです。
私がアフガンで活動していた時、タリバーンより米軍のほうが怖かった。米軍がスタッフの母親を銃撃した時私は米軍に乗り込んで談判しました。そこに若いサビルラがいました。今サビルラは当時の私よりずっと賢明な仕方でタリバーンと対話しようとしているのです。そしてそんなことが地方の現場ではできているのです。 (2021年8月17日)
アフガニスタンでの報復戦争
アフガニスタンでの対テロ戦争は講和なき戦争でした。有志連合による主要な戦闘が終わった後ボンで締結されたボン協定は、タリバーンを除くアフガニスタンの主要勢力と各国が結んだ協定で、和平協定ではありませんでした。アメリカにとって対テロ戦争はタリバーンの掃討戦争、すなわち根絶やしにする戦争だった のです。スピンガル山脈のトラボラ地域の洞窟に籠るタリバーンを原爆以外で最も殺傷力のあるバンカーバスターやデージーカッター弾などを使って殲滅するなど、凄惨な掃討作戦が繰り広げられました。
この掃討作戦が民間人を巻き添えにし被害を広げました。私が滞在していた2006年の時点で民間人の犠牲者はタリバーンによる自爆攻撃や簡易爆弾によるものと米軍やNATO麾下のISAFによるものとがほぼ拮抗するまでになっていました。タリバーンに対する怒りと同じ程度、いやそれ以上に米軍に対する怒り報復感情がア フガン人の間に生まれていました。この反米感情は農村部で浸透していましたし、公然としたものではなかったのでメディアがカバーすることはありませんでした。
タリバーンの勢力拡大、短時日での主要都市とカブール攻略に皆驚きますが、アフガニスタンの実情を知っている人は米軍が撤退すればこうなることはある程度予想していたはずです。2007年の時点でさえタリバーンの影響力の強い地域は主要都市部を除いて全土の54%に及んでおり、2008年には72%にまで拡大していま す(ICOSレポート)。 私がアルガにスタンに入った2002年の頃はアメリカへの反感を口にするアフガン人は稀でしたが、年を追うごとに怒りの声は大きくなっていきました。スタッフの間でさえです。そうれはそうです。スタッフの中で米軍の誤爆、誤射、不法な拘束などの被害をうけた親族がいないものはないと言ってよいほどでしたから。
今回私が一番恐れたのはタリバーンによる報復でした。アメリカは9.11の報復戦争としてこの戦争を始めました。また、和平を選択肢から排除してタリバーンを根絶やしにすることに固執してために戦争がこんなに長引きました。そして最後には逃げ出しました。根絶やしにするという意図のもとに、害虫のように殺 されていったタリバーン兵がどれほどいたか想像してみてください。だから私は報復を恐れました。いや今でも恐れています。
しかしカブールを制圧して以降タリバーンは一貫して報復はしないと表明しています。これは私にはとても意外なことで驚きでもあります。国際社会を意識してのことであることは間違いありませんが、タリバーンが報復を原動力として戦ってきたことを考えると俄かには信じがたいものがあります。しかしこれは希望で ありチャンスであることもまた間違いありません。今、言論の自由や行動の自由、女性の人権、就業の自由など民主主義社会で保証されるべき自由と人権が失われることを誰もが恐れています。本当に恐ろしいです。しかし今タリバーンに対する報復戦争を容認してきた私たちが一番タリバーンに求めるべきは、報復を自制 することなのです。そのためにはタリバーンを孤立化させてはならないのです。
アフガニスタンで書いた詩に当時の状況と私の思いが表れてるので共有することにしました。
聖戦
私たちを殺そうとしている あなた達と話がしたい 蛇のように獣のように殺されていく あなた達の憎しみは ラピス石のように硬く怪しい光を放つ 希望なき戦いは神にのみ近づいていく もう誰もなだめることはできないのか 果てしない報復の繰り返しのうちに 人の世は潰えていくのか 峨峨たる山と砂漠と緑の渓谷に育まれたこの国には 今憎しみが満ちている この国を愛するものも この憎しみを止めることはできないのか (2021年8月19日)
たにやま・ひろし 沖縄在住 JVC(日本国際ボランティアセンター)前代表
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2005年、アフガニスタン。右が筆者。
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