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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2021年09月02日12時21分掲載
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検証・メディア
アフガニスタン報道再考・2 「テロ」と言論の自由への米国の二重基準
中東の衛星テレビ局アルジャジーラは、9・11同時多発テロへの報復として、2001年10月7日に米国が開始したアフガニスタン空爆を現場から世界に独占中継しただけではない。その直後、世界を驚かせるもうひとつのスクープ映像が放映された。洞窟を背に戦闘服に身をつつんだビンラディンが画面に登場した。マイクを手にした彼は、物憂げな目でカメラを見つめ、「アッラーは米国の弱点を攻撃し、その大建築物を破壊したもうた」と、同時多発テロを称えた。自身の攻撃への関与には言及しかったが、「イスラムの前衛部隊のひとつ」が米国の完全破壊のための道を開くことに成功した、と述べた。
▽「ひとつの意見があれば、別の意見がある」 「米国は北から南まで、東から西まで恐怖につつまれた。今日、米国が舐めているのは、われらが何十年にもわたって舐めてきた辛酸のほんの一片である」として、彼は「ウンマ」(イスラム共同体)が耐えてきた屈辱、恥辱の数々をあげる。米国が主導する国連の経済制裁でイラクでは罪のない100万人もの子どもたちが殺されている。パレスチナではイスラエルの戦車が破壊行為をつづけている。だが、それについて耳を傾けたり、反応したりする者はいなかった。にもかかわらず、イスラムの地で虐げられている哀れな息子、兄弟、姉妹のために報復がなされると、それに対して全世界が抗議の声を上げている。彼はさらに、非ムスリムの日本への原爆投下についても、世界が米国の犯罪として追及しないのはなぜなのかと問う。 この映像メッセージは、放映の数日前にカブール支局のアッルーニ記者のもとに届いていたという。空爆直後というタイミングで放映されたビンラディンの映像声明は、アルジャジーラの放送をつねにモニターしていたCNNはじめ米国のネットワークテレビ局でもそのまま流された。 米政府の国家安全保障担当大統領補佐官コンドリーザ・ライスはABC、CBS、NBC、CNN、FOX各社の首脳に直接電話をかけ、今後は同様の映像の扱いに慎重を期してほしいと要請した。メディア側は、自主的判断を留保しながらも、おおむねこの要請を受け入れた。新聞各紙にも、フライシャー大統領補佐官からビンラディン声明を全文掲載しないようにとの要請があった。 それとともに、米国の主流メディアにはアルジャジーラへの誹謗、中傷が強まっていく。テロリストやイスラム系「悪の枢軸」の宣伝機関だと非難され、ニューヨーク・タイムズは、アルジャジーラの報道を「反米、反イスラエル的であり、悪質な偏向報道だ」と決めつけたうえで、「無責任なレポートで、中東地域における反米感情を助長している」と主張した。 こうした批判に対して、アルジャジーラは、われわれは決して偏向報道をしているのではなく、「ひとつの意見があれば、別の意見がある」という、ジャーナリズムの基本原則に従った報道を実践しているまでだと反論した。同放送局のスタッフは、英国の公共放送BBCで訓練を受けたアラブ各国のエリートが中心で、彼らはできるだけ幅広い視点で人びとに掘り下げた多様な情報を提供することで民主主義の健全な発展に貢献するのがメディアの使命であると信じていた。対立する当事者がいれば、それぞれの意見を伝える必要がある。だから、米国からテロリストの頭目と悪魔視されるアルカイダの指導者ビンラディンの発言も紹介する。それをどう判断するかは、視聴者の自由である。 アルジャジーラの番組にはすでに9・11直後から反米的な論客が多数出演し、同局も米国の反撃について「米国が言うところのテロとの戦い」という表現をしていた。だが同時にチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官ら米国政府の高官ら関係者へのインタビューにも偏りのない時間を割いていた。じじつ、アルジャジーラには米国関係者の出演のほうが多く、それがアラブ世論からは同局が米国寄りとの批判をまねいたほどだ。
▽「『テロ国家の親玉』に報復の資格はない」 米国民の多くは、対テロ戦争を「正義の戦い」と主張するブッシュ大統領とそれに呼応した主流メディアの「愛国報道」を受けて、アフガニスタンへの報復攻撃を支持した。 『オリエンタリズム』でしられる、パレスチナ生まれの米コロンビア大学教授エドワード・サイードは、米国の独立系ラジオ局オルターナティブ・ラジオのインタビューで、9・11の根源的な原因とは何かと問われて、米国のイスラム世界、産油諸国、アラブ世界における政策をあげる。「米国の権益と安全保障には絶対に重要と考えられている地域において、米国がその諸問題に首をつっこんできたありかたとの長年の相克のなかから生まれてきたもの」だという。だがそのことについて、たいていの米国人は目をふさがれているか、あるいはただ何も気づかずにいて、戦争への集団的熱狂にかりたてられている。 革命的な言語理論で世界的に著名な米国の言語学者であると同時に、自国政治のきびしい告発者として内外にしられるマサチューセッツ工科大学(MIT)教授ノーム・チョムスキーは、「9月11日のごとき犯罪を正当化できるものなど一切ありえない」としながらも、「われわれが米国を『無実な被害者』と考えるのは、米国とその同盟国が行ってきたことの記録を頭から無視する、という便利な道を選んだ場合のみに限られる」と述べた。ブッシュはテロとの戦いのために同盟国をまとめあげようとしているが、チョムスキーによれば、「米国自身が『テロ国家の親玉』だ」ということを忘れてはならない。 彼は米国による国家テロを列挙する。1980年代、左翼勢力サンディニスタが率いるニカラグアでは、米国の軍事介入によって何万もの人が死んだ。同国は回復不能なほどに破壊された。国際司法裁判所は1989年、「無法な力の使用」(国際テロ)で米国に有罪を宣告したが、レーガン政権はそれを無視し攻撃をエスカレートすることで応えた。1988年にケニアとタンザニアで起きた米大使館同時爆発事件の報復として、クリントン政権はスーダンの薬品工場を巡航ミサイルで攻撃した。工場で働いていた多くの人が殺されただけではない。工場はスーダンの主要な薬品の90%を生産していたから、必要な医薬品の供給を奪われた貧しい国の人びとは、マラリア、結核、その他の治療可能な病気で何万人もが死んでいった。その多くが子どもだった。スーダンは、国連に爆撃の正当性を調査するよう求めたが、それすら米国は阻止した。米国の国家テロによるニカラグアとスーダンの悲劇は9・11よりはるかにひどいものだった、とチョムスキーは言い切る。 米国による国際テロはこれにとどまらない。レーガン政権は89年、レバノンのベイルートで爆弾テロをしかけ、80名が死亡、250名が負傷したが、その大半が女性と子どもだった。1991年の湾岸戦争後、イラクに対する米国主導の国連の経済封鎖政策によって100万人の非戦闘員と50万人の子どもが死んでいっているが、これは何と呼べばよいのか。米国はイスラエルのパレスチナへのテロを支援している。トルコが国内のクルド人を殲滅するための残虐行為に、米国は武器の80%を提供した。そしていま、米国はロシアと共同でアフガニスタンの反タリバン勢力「北部同盟」支援しているが、この勢力の大部分は破壊とテロをさんざんおこなってきた軍閥の集合体であって、そのため国民の大多数がタリバンを歓迎するようになったのだ。 これらの事実は、米国ではいずれも、世界中の「非人道的行為に終止符を打つ」ために米国が行った貢献とされるが、他の国々の見方は違う、とチョムスキーは指摘する。「ビンラディンがあの爆撃の話を持ち出すと、それは人びとの琴線に響いた。彼を憎み、怖れる人たちでさえ打たれた。不幸なことに、同様のことが、ビンラディンの演説の他の部分についてもあてはまるのである」。9・11以前にビンラディンにインタビューしたこともある、英紙インディペンデントの著名な中東専門記者ロバート・フィスクは、ビンラディンは聴くに値する「強力なメッセージ」を口にする、と仏紙ルモンドで述べた。 「米国の良心」「知の巨人」と称されるチョムスキーは、9・11後、欧州をはじめ各地のメディアからのインタビューで引っ張り凧となったが、米国内では一部の独立系メディアを除いては、主流メディアからはほとんど無視された。 米国内では、アフガン攻撃に反対し、平和を求める市民の集会もあった。同時テロによってツアーを中断されていた歌手のマドンナは、ロサンゼルスでの再開コンサートで、報復攻撃について「暴力は暴力を生むだけ」と反対の意思を表明した。二児の母親として彼女は、「私は長く幸せな暮らしを送りたいし、子どもたちもそれを望んでいる」と、約2万人の観客に平和の大切さをうったえた。ウェストバージニア州の高校生は、反戦のTシャツで登校、「無政府主義クラブ」結成を呼びかけて3日間の停学処分を受けた。彼は提訴したが、裁判でも敗訴した。だが、こうした市民の声を主流メディアは積極的に取りあげようとはしなかった。ブッシュ大統領にアフガンへの軍事攻撃を認める決議に反対票を投じた議員は、上下両院でカリフォルニア州選出のバーバラ・リー下院議員だけだった。武力行使が世界的に暴力の悪循環を生みかねないと懸念する同議員には、「恥さらしの裏切り者」などの非難と抗議が殺到し、議会警察が議員事務所の警備を強化した。
▽タリバン復権を報じるアルジャジーラ 米英軍の攻撃開始から一ヶ月すぎ、空爆と米特殊部隊の支援をうけた北部同盟軍が反攻に転じ、11月13日にカブールが陥落した。12月7日、タリバンは発祥の地で最後の拠点だった南部カンダハルからも撤退、政権としては消滅した。しかし、米軍の最大の標的とされたビンラディンは、特殊部隊を投入した徹底的な掃討作戦にもかかわらず身柄を捕捉することができず、生死も不明のままだった。 勝利の喜びにひたりつつカブールをめざす北部同盟軍に多くの報道関係者も同行した。それと同時に、20ヶ月にわたるアルジャジーラの独占報道は予期せぬかたちで終止符が打たれた。午前1時半ごろ、米軍が投下した2個の500ポンド(227キロ)爆弾がアルジャジーラのカブール支局に着弾し、1個が爆発した。さいわい支局スタッフは帰宅して誰もいなかったが、建物は吹き飛ばされた。かろうじて難を逃れたアッルーニ記者は、その後カブールを脱出する途中でタリバンに敵対するアフガン人に暴行され身ぐるみはがされた。 カブール支局への攻撃は、米軍による意図的な報復だと多くの人びとが信じ、アラブ系メディアはこぞって非難した。これに対して米国防総省は、意図的なものではないと否定した。 同年10月27日、国連の仲介でアフガンの全民族・地域代表が参加する暫定行政機構が発足、米国の後ろ盾を得たカルザイが議長(首相)に就任した。
それから20年後の2021年8月15日、タリバンはカブールを制圧、カルザイの後任のガニ大統領は国外脱出した。大統領府を占拠したタリバン戦闘員の映像が、アルジャジーラをつうじて世界に配信された。 欧米と日本の主流メディアは、タリバンがなぜ圧倒的な米軍と同盟国の軍事力に屈せず復権を果たしたのかにはほとんど触れようとしなかった。「抑圧的で残忍な体制」の支配から逃れようとカブール空港に殺到するアフガン国民とその救出作戦が連日、大ニュースとして報じられた。(永井浩)
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大統領府を掌握したタリバン指導部と戦闘員(「アルジャジーラ」より)
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