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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2022年02月25日20時06分掲載
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農と食
【コラム】百姓が農を仕舞うときー佐藤藤三郎と20人の百姓との対話 大野和興
まだオミクロンによる第6波がいまほど深刻でなかった1月18日に、山形県置賜で20人ほどのささやかな集まりを持ちました。置賜百姓交流会とTPPに反対する人々の運動が企画して、佐藤藤三郎、星寛治、木村迪夫ら山形の百姓の巨人に、九州・唐津から農民作家の山下惣一がオンラインで参加して対話してもらおうという企画でした。対話のタイトルは「百姓が農を仕舞うとき」。趣意書を書けと言われ、次のように書きました。
「4人は戦中に生を受け、敗戦が10歳前後。一貫して むらで暮らし、農で生きてきた。それは、この国を、むらを、農業を襲った激動の現代史と重なる。もしかしたら、4人の農仕舞いはそのままこの国の農仕舞いとなるのかもしれないという現実とも重なる。農仕舞いの季節を迎えたいま、その胸に去来するものはなにか。東北のむらにどかっと腰をすえ、透徹した目で時代を見据え、時代と関わり続けてきた3人と玄界灘の荒海に面した村で百姓をしながら多く作品を生み出した作家に、むらと農の来し方行く末をおもむくままに存分に語ってもらう」
結局、コロナと大雪、各人の体の具合などが重なって星さん、木村さん、山下さんは参加できず、藤三郎さんを囲む集いになったので、集いの名前を「佐藤藤三郎と20人の百姓に対話」に切り替え、雪が深々と降る中で飛び切りおもしろい百姓談義が繰り広げられました。
ぼくが藤三郎さんとはじめて会ったのは1964年2月でした。場所は県境を越えた秋田県南部の雄勝平野の一角にある羽後町(当時)の高橋良蔵さんのお宅でした。高橋さんのことを書くと長くなりますが、ぼくがもっとも尊敬している農民のひとりで、もうだいぶん前に亡くなったのですが、水田酪農の先駆者であり、おだやかで誠実で原則を曲げない農民運動家でもありました。ぼくは日本農業新聞の1年生記者で、東北支局にいた先輩記者が当時問題になりかけていた農民出稼ぎ問題で良蔵さんと藤三郎さん、それに村のお母さんの座談会を企画、ぼくは筆記要員として出張を命じられ、ざら紙の原稿用紙と4Bの鉛筆を大量に抱え列車に乗ったのでした。貧乏新聞で、録音機などない時代でしたから、全てを漏らさず筆記しろという命令でした。
良蔵さんは、出稼ぎ農民運動を立ち上げようと苦闘していた時代でした。藤三郎さんはまだ30歳前、4年前に『25歳になりました』という本を出したばかりでした。「これがあの山びこ学校の佐藤藤三郎か」とながめいりました。小柄でがっちりしていて、目がキラキラと好奇心いっぱいという感じでよく動く。筆記はまいりました。愛媛県生まれの耳にはさっぱりわからない。英語なら知っている単語のひとつも出てくるのに、と冷や汗をかいていたら、良蔵さんが話を中断しながら逐一通訳をしてくれ、何とか任務を果たすことができました。
それ以来藤三郎さんとの行き来は続き、現在に至っています。対話は、質問を大野と置賜百姓交流会の菅野芳秀が主に担当し、2時間に及びました。いま藤三郎さんは米も果樹もやめ、夫婦で野菜や山菜の自給と直売所での販売に限定して百姓を続けています。コメづくりをやめたときの気持ちをお聞きすると、「田んぼに申し訳なくて、田んぼが気の毒だなと思った」という返事が返ってきました。上山市の旧山元村狸森(むじな森)という名前からして山間の村で生まれ育った藤三郎さんは1935年生まれで現在87歳になります。傾斜地の田畑を耕し、暮らしを立てたが、せめて家でとれるコメで1年間食えれば、というのが願いだったという話を以前お聞きしたことがあり、そのことを改めて振り返ってもらいました。
むら、についても話を聞きました。藤三郎さんには『まぼろしの村』と題した5部作があります。その本のことに触れながら、村とは何であったのか、いま村はどうなっているのか、そしてこれからのむらは・・・。話が展開する中で、突然、「これからは新しい社会主義だな」という言葉が藤三郎さんの口から飛び出しました。もちろん、現首相の「新しい資本主義」への皮肉でもありますが、今や崩壊寸前にあるむらを基礎に人間らしい生き方ができる空間をこの先どう作るかという思いを込めた発言だとぼくはとらえました。
この日の対話は、国際有機農業映画祭の堀さんに撮影・編集をお願い、DVDに収録すると同時に、本にもまとめたいと思っています。
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