フランスのルモンドでは6月の大統領選に向けた記事が日々掲載されているが、1つの柱が左派で野党共闘が実現するかどうかだ。このテーマは20世紀においては社会党と共産党の路線の違い、という形でたびたび起き、さらにまた何度か左派政党が手を結んだ結果、勝利してもきた。ところが、今の左派の野党共闘の軸となるはずのPS(社会党)と服従しないフランス(LFI)とでなかなか、手が組めなくなっている。つまり、かつて社会党を離脱して新党を立ち上げたジャン=リュク・メランション党首(LSI)と、社会党の重鎮たちが鋭く対立しているのだ。
今、現象としては大統領選の1回目で3位につけて社会党に大差をつけたメランション党首が左派の野党共闘の盟主として、社会党に提携を求めるという形になっている。社会党の党首であるオリビエ・フォールはこの野党共闘に乗り気で、さっそくLFIとの交渉に乗り出した。ところが社会党内から異論が出て、<重要な決定事項は党員投票の採決を求める>、などと言った声が次々と出たため、交渉を中断してしまったのである。
https://www.lemonde.fr/politique/article/2022/04/28/les-speculations-sur-le-futur-gouvernement-vont-bon-train-francois-hollande-refuse-un-accord-du-ps-avec-lfi-les-infos-politiques-du-jour_6124089_823448.html 上のリンクのルモンドの報道によると、交渉に水を差した重鎮の一人がフランソワ・オランド元大統領だ。社会党を崩壊させた戦犯であるという自覚はないらしい。まだ議員になったことすらなかった金融界出身のエマニュエル・マクロンを2012年の政権奪取の際に、政府の経済政策のアドバイザーに抜擢し、「目に見えない敵である金融界と戦う」といっていた公約を最初から裏切り、のちには経済大臣にまで抜擢した。その結果、マクロンは2016年に新党を作って、翌年のW選挙で大勝、社会党をミニ政党の座に転落させたのだった。そのオランドは今、左派の野党共闘に砂をかける行動を取っており、結果的にマクロン新党に塩を送っている形になっている。
そもそもメランションが社会党に嫌気がさしたのが、オランド大統領の元妻(「コンキュビナージュ」という結婚とは少し異なる形態のカップルだった)のセゴレーヌ・ロワイヤルを社会党が推薦した頃だったと筆者は記憶している。実際、メランションが社会党を飛び出したのは2008年で、ロワイヤルがサルコジに敗北した選挙の翌年のことだ。オランドとロワイヤル、この元カップルはアメリカ民主党にたとえれば、ビルとヒラリーのクリントン夫妻に似ている。ネオリベラリズムと親和性の高い第三の道の路線で、労働組合の弱体化を狙い、自由貿易協定の締結に前のめりだった。オランド大統領も、ふたを開けてみると、労働組合を敵に回す政策を堂々と進めたのだった(その政策の中心は当時のマクロン経済大臣だった)。ロワイヤルは当時、環境大臣だった。実際のところ、筆者はロワイヤルの路線が、その全体像としては、どのようなものか本質はよくわからない。というのも彼女は大統領にならなかったからだ。ただ、オランド大統領の時代に、ネオリベラル路線に公約の裏切りを感じた社会党の閣僚たちは内閣から去っていったり、首を切られたりしたのである。一方、ロワイヤルは〜元夫のスクーター事件のスキャンダルなどを横目に〜最後まで閣内にとどまった、とだけ書いておこう。
ともかく、そういういきさつがあって、フランスの左派政党の重鎮たちの間の確執は根深くなっている。ネオリベラリズムを推進したい政治勢力は、どんなことがあっても左派政党の野党共闘の切り崩しを死命として行う。日本でも、フランスでもそうである。
■「Democratic Debacle 民主党の敗北」The defeat of Hillary Clinton was a consequence of a political crisis with roots extending back to 1964. ヒラリー・クリントンの敗北の根っこは1964年に遡る ジェローム・カラベル(社会学)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202002290302266
■ジェローム・カラベル(米社会学者)「トランプ主義は生き残る」 〜アメリカの民主党と共和党の支持層の逆転現象〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105090128010
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