岸田首相には3年間あるというような数年の「猶予」感覚を日本人全体がぼんやりと持っているのではあるまいか。そんな中、安倍元首相の弟である岸信夫元防衛大臣が家族葬に自衛隊の儀仗隊を私物化して使ったことが報じられた。これは緩みの象徴のように見える。防衛大臣が自衛隊を統括するのは、シビリアンコントロールという点で重要なことだが、今回、内閣のシビリアンが制服組の自衛隊に「借り」を作ってしまったことは、いろんな意味でリスクが大きい。借りは返さなくてはならなくなるだろうからだ。
9月18日は柳条湖事件が1931年に起きて91年目になるが、満州に駐留していた陸軍の中の関東軍が勝手に戦闘を起こし、この満州事変が拡大して太平洋戦争までつながっていった端緒の事件であある。数十発の銃弾が1945年まで日本を戦争の時代に引づり込み、日本人だけで300万人を死に追いやった。もし、今年、2022年に自衛隊の一部が突然、戦闘機数機を勝手に飛ばして、北京を空爆したらどうなるだろうか。3年もかけて憲法改正など待たずとも、数時間で日本は大きな戦争に突入し、有事立法へと切り替わるだろう。すなわち、自治体も企業も報道メディアもすべて国家に協力体制を強いられることになる。今日か、明日にも起きるかもしれない。カップ麺が出来上がるくらいいとも簡単に、日本のカタストロフィーは一丁上がりだ。
2007年に日刊ベリタに編集長の大野は「戦前、中国東北部に派遣された関東軍が当時の日本政府の意図を無視して勝手に軍を動かして戦争状態を作り出して戦線を拡大、それがアジア太平洋戦争にまでつながったのは歴史的事実だが、今回の参議院選挙で選出されたばかりの元サマワ先遣隊長の佐藤正久参議院議員がTBSの報道のなかで、イラクに派兵されていた時に、自衛隊を現地で戦争状態に突入させるつもりであったと語った」という記事を書いている。
※イラク自衛隊は「関東軍」だった! 「あえて巻き込まれ」戦争状態を作り出すつもりだったと佐藤氏(大野和興)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200708141811142 これは戦争状態を自衛隊が自ら作り出すことで、外国で戦える軍隊に自衛隊を近づけたい、という意識が元自衛官の言葉からうかがえた。
自衛隊員の中にカルト教団の信者がいるかどうか知りえないが、もし悪魔とのハルマゲドンを戦うという発想の自衛官が複数潜んでいた場合、自衛隊の戦闘機が数機、北京であれ、平壌であれ、突進して爆撃し、一気に戦争状態に突入、という未来は空想に過ぎるだろうか。米国にはAK-47銃をこよなく愛するサンクチュアリー教会があり、統一教会の創始者・文鮮明の息子・文亨進が牧師である。彼は昨年1月6日の米議会占領事件の際もトランプ支持者として現場に駆け付けていたことが知られている。そもそも旧統一教会自体が悪魔との闘争を掲げているようである。旧統一教会に限らず、オウム真理教であれ、カルト宗教団体の教義に洗脳された自衛官が複数いた場合、シビリアンコントロールどころではないかもしれない。さらにまた、カルト教団でなくとも、戦争おたくの交戦派が4〜5人自衛隊にいただけでも、そういうことは起きてしまうかもしれないのだ。これはイスラム原理主義者の戦闘グループ数人が米旅客機を乗っ取って燃料つき戦闘機に変え、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに突っ込んだ9・11同時多発テロと同じ構図である。そもそもそのように飛行機を使った戦い方を始めたのは旧日本軍である。
本来であれば国家は、そのようなカタストロフィーを防ぐために二重、三重、四重に安全装置を組み込んで、暴発を防ぐ仕組みを持っているものだろう。しかし、福島原発が津波で一気に襲われて原発が爆発したり、安倍元首相の警備体制が世界的なレベルに達していないお粗末さだったり、Go Toトラベルという愚策で感染を拡大させてしまったり、マスク1つ国民に配るのに数か月を要してしまったり、今の日本政府はいろんな意味で、リスクへの備えが薄れ、危機への管理体制が非常に薄く、もろくなっている。政治家と官僚の腐敗が進み、シビリアンコントロールをする資格のあるシビリアンがほとんどいなくなっている。憲法を守らない政治家や官僚はもはやシビリアンとは言えない。こうした中で、防衛大臣が自衛隊を私物化したり、首相が憲法違反の国葬を行ったりすることは、シビリアンコントロールの崩壊でもあり、自衛隊を統制することができる根拠となっている、憲法だけが付与できる正統性というものが今の日本政府になくなってしまった。それが自衛官に気分として「ちょろい政府」というような形で、大きな影響を与えているのではないだろうか。現実性を帯びてきた日本の軍事クーデターを防ぐために何ができるだろうか。
※5・16軍事クーデター(韓国 1961年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E3%83%BB16%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC 「クーデター直後の5月16日午前11時、カーター・B・マグルーダー駐韓米軍司令官は張勉政権を支持しクーデターに反対する声明を、米軍放送を通じて発表した。そして駐韓米代理大使マーシャル・グリーン(英語版)と共に青瓦台を訪問し、尹大統領にクーデター軍を鎮圧するための動員令を韓国軍に下すことを要請した。しかし、尹大統領は「国軍同士が衝突すればソウルは火の海となり、そのすきに北が南侵する恐れがある」として要請を拒絶した。一方、アメリカ本国のケネディ政権はクーデターに対し、慎重に静観する態度を取っていたが、クーデターから三日目の5月19日、アメリカ国務省は軍事政権への支持を発表した。そして軍事政権による反共体制の強化と腐敗の一掃及び合憲的政府の再樹立を標榜する革命公約に大いなる期待を表明した」(ウィキペディア)
※チリ・クーデター(チリ 1973年) 1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生した軍事クーデターのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC 「世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権(アジェンデ大統領の人民連合政権)を武力で倒して新自由主義的な経済政策を押し付けるべく、米国政府、米国多国籍企業、シカゴ学派経済学者がチリ軍部を裏で操った。いわゆる「ネオリベ」が生まれた日として有名である」(ウィキペディア)
米国務省と交渉が成立さえすれば、もはや自衛隊はいつでもクーデター可能な状態に達した。
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