昨日、あるテキストを読んでいて、日本は民主国家というよりはむしろ権威主義国家群に位置し、独裁制に近い中国やロシアと同じグループに入ったのではないか、と感じました。1992年に「歴史の終わり」というタイトルで、市場主義経済の民主国家群が鉄のカーテンの向こう側に勝利した段階をもって、歴史が終わったとする論考の本が出ました。昨日読んだものは、米国の政治経済学者フランシス・フクヤマのもので、彼が30年後のこの秋、やっぱりあれは間違っていなかった、という論考を寄稿したものです。「歴史の終わり」は冷戦終結をもって、マルクス主義の勝利という思想を否定したものでした。今回の論考は「More Proof That This Really Is the End of History」(「歴史の終わりに、さらなる証拠が出た」)とThe Atlantic誌に書いたものです。
https://www.theatlantic.com/ideas/archive/2022/10/francis-fukuyama-still-end-history/671761/?fbclid=IwAR3qK7AlvBLc2B6jitO7UEkXtbzXC99J0hY8L_rlMSFCviigxve0vTugLiw この論考でフクヤマは、今、プーチン大統領や習近平国家主席らは、かつての集団指導体制すら放棄して、トップの政治権力者がすべてを決めるのにほとんど近い政治体制に移行したことを筆の起点にしています。かつてのソ連や中国なら(毛沢東を除いて)党の政治局で、いろんな考えの人間同士で議論したプロセスが少なくとも介在したが、今やその程度の議論すら行われなくなった。また、党の意思決定に「インスティテューション(機関・制度)」が介在しなくなると、リーダーは規則を無視してフリーハンドに決断するようになる。すなわち、それこそが政治判断の誤りを生むのだ、と手厳しく指摘しています。さらにまた、そうした独裁政権はアカウンタビリティ(国民への説明責任)も失うのだ、と。
<The weaknesses are of two sorts. First, the concentration of power in the hands of a single leader at the top all but guarantees low-quality decision making, and over time will produce truly catastrophic consequences. Second, the absence of public discussion and debate in “strong” states, and of any mechanism of accountability, means that the leader’s support is shallow, and can erode at a moment’s notice.>
フクヤマの権威主義国家群への批判を読んでいると、1992年あるいは元の論考が出た1989年の段階と、日本人としては読み手として大きな変化が起きているとしか言いようがありません。すなわち、日本も権威主義国家群にすでに位置している、ということです。このことは第二次安倍政権以後の日本の政界、日本の与党一強とその政治を見ていれば明らかでしょう。そして日本が権威主義国家に位置していると筆者が考える最大の理由は、どれほど政治の問題が起きても政権が交代しない、という病理にあります。
もちろん、2009年に民主党政権へ移行したという例外もありましたが、ごく一時期で終わってしまいました。政権交代が起きないことは、中国やロシアと極めて似ています。ロシアは独裁政権に近いと言っても一応選挙は存在しています。にもかかわらず2000年からプーチンが大統領を(一時首相に後退した時期もありましたが)継続しています。
では、日本でなぜ政権交代が起きないのか。1990年代に政権交代を起こし、二大政党制にして議論を活性化し、腐敗をなくすべく小選挙区制に選挙制度を改めたものの、実際は真逆の効果を生んでいます。政権交代はほとんどなく、議論は低迷、国会では内閣はまともな答えすらしない。そして様々な指標で国力が衰退しています。これはフクヤマが指摘しているように、独裁になればなるほど、アイデアや様々な視点が不足して、判断を誤ることになるからと考えてよいでしょう。
では、日本で政権交代が起きない理由は何か。メジャー新聞を読んでいると、現在の野党の力量不足、という風に読めます。しかし、むしろ、それよりも何十年ぶりかに本格的な政権交代が民主党政権によって起きた時に、首相が短期間で次々と変わり、ふたを開けてみるといつの間にか政策が与党にそっくりになっていた、というトラウマが有権者に今も働いているのではないでしょうか。東アジア共同体を基盤にした東アジアの平和への積極的な取り組み、沖縄の米軍基地解消、消費税率の引き上げ(※)への反対などなど、民主党は有権者に投票所に足を運ばせ1票を投じさせた基盤となるこれらの重要政策を次々と覆しました。そして、今日の立憲民主党代表の言動を見ていると、政権を取らせても同じことが繰り返される、という風に見えてしまうのです。裏切られたという不信感を払しょくするのは簡単ではありません。2009年の「風」を思い出せば、今日の日本がどれほど風が吹かない覚めた国になっているかが比較できるでしょう。
この政権交代への絶望感は立憲民主党の泉代表によって始まったのではないことが重要です。2017年秋の総選挙の際、立憲民主党の結党を多くの人々が支持したにも関わらず、野党第一党になった直後から枝野代表がくどいほどに「保守」をSNSや新聞などで盛んにアピールしていたことです(※)。この保守のアピールが今日の泉代表にまっすぐにつながっている系譜だと思えます。つまり、保守二大政党制を目指す、という宣言に他ならず、このことこそが立憲民主党が当初の風を無風にしてしまった要因ではないかと私は見ています。なぜなら、希望の党に行かない民進党議員たちを有権者が支持したのはまさに保守二大政党制だけは避けたい、と考えたからでしょう。それを野党第一党になったら、すぐに忘れて掌を返してしまったのです。伸び悩んだ理由は2017年秋から明らかでした。保守二大政党制のモデルは2012年の民主党・野田首相の時代に他なりません。もし保守二大政党制が有権者に本当に支持されていたなら、後に野田政権のような民主党への政権交代が何度か起きたはずなのです。
NHKの政党支持の世論調査で立憲民主党は常に5〜6%という野党第一党としては極めて残念な数字でした。しかし、2012年の野田政権が自民党とそっくりだった記憶のある人々にとっては、うなづける数字なのではないでしょうか。野党でありながら、選挙の表口と政権を取った時の裏口で全然別人になってしまう、裏切られた…という感情はおそらく修正が難しいもので、よほどの変化を起こさないと変えられないものです。ところが、立憲民主党は未だに同じことを繰り返しているように見受けられるのです。
小選挙区制を取りながら、政権交代が起きない政治構造になっているのです。私はこれを「野党第一党によるキャップ効果」と呼んでいます。野党第一党が政権交代を防ぐ防波堤の役割をしていることを指します。これは民主党というより、社会党が二大政党の1つだった昭和時代からそうだったと思われます。英国や米国やフランスのような政権交代が起きない原因が、この野党第一党にあると私は思っています。保守二大政党制は有権者にとってはワクワクする要素が皆無で、期待に乏しいのです。保守を目指すなら自民党にまかせたらいいじゃないか、と思う人の方が多いでしょう。その結果、自民党はせいぜい20数%の支持で独裁的な政治を過去10年来行ってきています。その核心部には外国の宗教勢力が根付いている有様です。その宗教勢力の思想を報じる番組を見ていると、緊急事態条項や改憲など、彼らは1960年代〜80年代の韓国の軍事独裁政権を型にした政治を日本人に与えようとしている印象を私は受けました。過去30年間の日本の変化は、民主国家群から権威主義国家群に位置が大きく変わった、ということではないかと私は思います。そしてこの状況が変わらなければ近い将来、日本が国際政治の中で仮にも占めてきた位置の大きな地滑り的変化として、不可逆かつ顕著に表現されてくることになるでしょう。
■「4年間は消費税上げない」、マニフェストに=民主政調会長(ロイター 2009年6月)
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-38789920090630 「[東京 30日 ロイター] 民主党マニフェスト検討準備委員会委員長の直嶋正行政調会長は30日、都内で講演し、衆院選政権公約(マニフェスト)で、4年間は消費税を上げないことを明記する考えを明らかにした。」
■消費税引き上げ、岡田氏「4年間はない」・鳩山氏「議論する必要ない」(ロイター2009年5月)
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-38041120090515 「鳩山氏「民主党は消費税について最低保障年金に充当すると決めており、移行期間は最大40年程度と試算している。(消費税率を)上げる必要がないことを試算として出しており、議論をすれば、経済が厳しい時に消費税の議論をするのか、という話になる。ただ、4年の間に消費税を上げる議論をする必要はないということであり、その先について議論をするなと言っているわけではない」 岡田氏「民主党は最低保障年金を税方式に変え、一元化するというコンセプトを確立している。具体的な年金制度の制度設計の議論は今からやらなければならない。その中で、最低保障年金を賄う消費税の議論も、ある意味ではセットになる。4年間、議論すらすべきでないというのは違和感を感じる。制度の並存期間があり、その時に何らかの税が必要になってくる」」
■枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」(朝日 2017年11月)
https://www.asahi.com/articles/ASKCK4PV0KCKUTFK00M.html 「我々こそが正統な保守政党であることをしっかりアピールしたい。」 戦後レジームからの脱却を目指す歴史修正主義の自民党を革命政党と見る人はほとんどいなかったために、枝野党首が保守二大政党制を目指すと有権者に見られた可能性は極めて高い。立憲民主党が選挙で一定の足場を築いた直後の11月に枝野党首によるメディア向けの「保守志向」キャンペーンが行われた。これが立憲民主党の失速の始まりだったと筆者は考える。「おじさん」世代の政治家の「保守」という言葉が、どのくらい訴求力があったのか、ということだ。特に昭和の戦後時代を知らない若者には理解できなかっただろう。
■保守と革新 言葉の定義に混乱がある 欧州には「プログレッシブ」(進歩主義)という言葉がある。(2017年10月)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201710261924574 「そもそも日本は男女の平等を憲法で保障した戦後にあっても男女間の差別がなくなったとは未だに言い切れない。日経新聞の今年の記事によると、フルタイムで働く日本の男女の賃金格差は27%、つまり仮に男性が30万円の収入だとすると女性は約22万円ということになる。今でも差別解消の途上にあるのである。離婚して子供を育てている多くの母子家庭の生活を取ってみてもよいだろう。「昔はよかった、だから保守」と言っていられる人々の多くは男性なのではなかろうか。」
■野党共闘の伸び悩み 左派陣営にある分断線 〜フランスとアメリカと日本で見る〜(2021年11月)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202111121214495 「日本の場合、根幹にあるのは非正規雇用者が40%にも達した結果、社会が分断され、そのことが左派においても非正規雇用者を重視した政策を重点に考える陣営と、正社員を中心に政策を考える陣営に分断されているのではないかと私には思われるのだ。日本最大の労組「連合」の問題はその象徴だ。・・・これはフランスでもかつての社会党支持者やプロロたちが極右の国民連合支持に転じていた傾向と同じだろう。左派の中道と極左の間には「階級差」が存在しているのだ。それが反エリート主義となって、アメリカではトランプ大統領を誕生させ、フランスではマリーヌ・ルペンや極右政治家をメインストリームに押し上げている。左派の野党第一党から見放されたと思ったプロロたちが左派エリートへの怒りを増幅させ、極右支持に鞍替えするのである。」
■ロシアから見る特定秘密保護法案 〜日本がソビエト化する日〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201311241930270
■「共謀罪」で日本のソビエト化を加速する安倍首相 読売新聞は日本版「プラウダ」か
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201706141629353
■ジェローム・カラベル(米社会学者)「トランプ主義は生き残る」 〜アメリカの民主党と共和党の支持層の逆転現象〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105090128010
■「Democratic Debacle 民主党の敗北」The defeat of Hillary Clinton was a consequence of a political crisis with roots extending back to 1964. ヒラリー・クリントンの敗北の根っこは1964年に遡る ジェローム・カラベル(社会学)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202002290302266
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