安倍元首相の政治を振り返ると、絶対権力を求めた約8年間だったのではないでしょうか。2014年秋の衆院選挙はまさに権力を持続するために不意打ち的に行った権謀術数的な政治術であり、安倍首相の選挙における連戦連勝は旧統一教会の支援以外にも、権力維持のためのあらゆる作戦が動員されたものだったと思います。そして、内閣法制局に自分の意になる長官を据えて伝統的な憲法解釈を一瞬にして変更したかと思うと、判事にも与党に都合に良い判決を出しそうな人々を次々と任命していきました。また、官僚機構も内閣人事局を作って統制し、メディアも夕食会で掌握していました。これは権謀術数ですが、言葉を変えれば下品な政治です。
これらは、絶対権力を実現する1つ1つの構成要素であり、日本の中国化あるいはソ連化を促しました。その後遺症についてはメディアであまり触れられていないのではないかと思いますが、ロシアにおけるスターリニズムの後遺症と同様に、日本においても叩かれるのを恐れて、積極的に新しいことに取り組んでいこうという思潮は消滅したのではないかと思います。岸田首相の政治がその象徴です。資質としては優秀な人材であっても、目立ってしまってパージされることを恐れるあまり、決して目新しいことはしない、というメンタリティです。これはソ連崩壊後のロシアでも持続していると私はロシアに進出した日本企業の経営者から聞いたことがありました。こうしたメンタリティの集団と化してしまうと、日本国民も今日のロシアに似て、深刻な停滞が長期的に持続することが想像されます。そして、国内で政治変革を目指すよりも国を出ていく人々が増えるかもしれません。その結果、ますます国は衰亡していくのです。
しかし、いわゆるアベ政治というものは、安倍元首相の時に突然始まったのではなく、小泉純一郎首相の時から、メディアとの癒着が始まっており、自民党内は権力が総裁に集中する時代に移行していました。ナチスの場合もそうですが、国政がファシズム化する前に、ナチス党内における権力の集中が先行するものです。小泉元首相の時から、総裁に逆らったら選挙で公認を受けられないとか、刺客を送られると言ったマキャベリズムで、党内の異論を封じ込めましたが、これが国民の異論を封じ込め、「あんな人たち」に負けない、という政治につながっていったのです。これはまさにナチスと同じように、自民党安倍政権が絶対権力を求めた政治過程だったと思います。そして1930年代のドイツと同様に、民主主義などくそくらえとばかりに産業界が独裁的政治を強める与党を後押ししました。このファッショ的運動は改憲によって国民主権を根こそぎにした時に完成したはずのジグゾーパズルでした。
絶対権力の確立に向けたもう1つの政治プロセスは、大学から教員たちの自治を奪い、補助金配分によって、文科省に従えさせることにありました。これがメディア支配とともになって、教育と報道という安倍元首相が絶対権力確立のテコとした、最も注意を注いだ2つの分野でした。こうしてみると安倍首相は天才的な権謀術数の持ち主だったことがわかります。現代日本よりも、武士が日本統一を目指した16世紀の戦国時代に生まれるべき逸材だったのです。
■政治家・政党とジャーナリズム 絶対権力を作り出さないために
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202210261211333
■「政治家とは人々が政治を行うのを手助けする職業である」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201907232131432
■グローバル時代の「ルイスの転換点」 〜アベノミクスの弱点〜 村上良太
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306070012005
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