・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・アジア
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・入管
・地域
・文化
・欧州
・農と食
・人権/反差別/司法
・市民活動
・検証・メディア
・核・原子力
・環境
・難民
・中東
・中国
・コラム
提携・契約メディア
・AIニュース


・司法
・マニラ新聞

・TUP速報



・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus

・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年03月30日
・2025年03月29日
・2025年03月28日
・2025年03月27日
・2025年03月26日
・2025年03月23日
・2025年03月22日
・2025年03月21日
・2025年03月19日
・2025年03月18日
|
|
2023年02月04日13時49分掲載
無料記事
印刷用
アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(9)「2222」ゼネスト、全国の経済活動が停止 西方浩美
クーデター後、3週目。あからさまに街に姿を見せはじめた軍や戦車の前で、必死の非暴力デモが続いていた。ところが2月16日、火曜日。市民の運動は、勢いをなくしたように見えた。いつもなら朝9時すぎから響いてくるデモの音楽や掛け声が、お昼前になっても、なかなか聞こえてこない。インターネットのライブ配信には、もはや見慣れたデモの映像が延々と流れている。ヤバイ、みんな疲れてきたかな・・・。
▽.壊れた?車が道路にいっぱい デモが始まって半月、いつ弾圧されるかもわからない不安の中、武装警官や戦車と毎日向き合い続けているのだ。この炎天下で連日屋外に立ち続ければ、体力だって消耗する。仕事だって、ずっと欠勤を続けるわけにはいかない。民主化するまでいつまでもデモを続けられるわけではないのだ。だけど抗議することをやめてしまったら・・・軍政は固定化してしまう。
知り合いのミャンマー人は、静かにこう言った。 「この闘いには、出口がない。朝から夕方までデモをやって、夜8時から鍋を叩いて、それで?2ヶ月、3ヶ月、そのあとは?・・・僕らは今、じわじわと負け始めているんだ」
翌日、朝8時。自宅でぼんやりしていると、遠くから、地鳴りのような叫び声が響いてきた。 軍事独裁政権はいらない!デモクラシー!うぉぉぉぉ・・・ なんだかよくわからないけど、何かが起きている。抵抗運動が、ものすごい規模になって息を吹き返している。
郊外に住む友人から次々と連絡が入る。「人々が道路を封鎖している」「橋が塞がれてヤンゴン市内に入れない」。幹線道路を塞げば、人々は仕事に行けなくなる。国の経済は止まる。軍に国家運営させないための、CDM(市民不服従運動)活動の一環だろう。
慌ててパソコンの電源を入れ、地元メディアが配信するライブ映像を開くと、スーレーパゴダ近くの交差点(ダウンタウンの中心部)に座り込んでいる人の姿。自宅近くの交差点でも、車が斜めに止まって、道を塞いでいた。
あぁ、これはやばい、やりすぎだ・・・。道路を塞ぐという実力行使は、軍の介入を招く。いよいよ市民たちが強制排除されてしまう・・・。一人、パソコンの前で頭をかかえる。
・・・しかし、ヤンゴン市民は一枚上手だった。彼らは道路の中央におもむろに車を止めると、ボンネットを開け「あれ?車が壊れた」と言い始めたのだ。運転手はわざわざ「おかしいなぁ」などとつぶやきながら、ボンネットをあける。首を傾げる。困ったなぁ、車が動かないなぁ。それを遠巻きに眺めていたサイカー(自転車タクシー)のおじさんたちが、笑顔で拍手を送る。夕方になると、あれ、ふしぎだな、車が直ったぞ、ということで、みんな平和に家に帰った。
心が痛くなるほどの民主化への渇望と、ユーモラスな表現方法。うまくやったな、と笑い出したくなる。
交通が遮断された幹線道路上は、人の海となった。地面が見えないほどの群衆が、波のように揺れ、声を轟かせる。警察や軍も、放水車や戦車を出せるような状態ではない。道路は故障車でいっぱいなのだから。
ミャンマー市民は、まだまだ負けない。
▽揺るがぬ軍政、市民は長い闘いを覚悟 2021年2月22日、「2」が5つ揃うゾロ目の日。ミャンマーの民主化運動の歴史において象徴的な、8888民主化運動(注1)にちなみ、全国で最大規模の「2222」ゼネストが呼びかけられた。工場やショッピングモールはもちろん、地元の市場や、小さな露店にいたるまで、ほとんどすべての店が休業した。そして大勢のミャンマー市民が、怒濤のように街に出た。
自宅前の、普段それほど人通りのない道にも、赤いリボンやハチマキをつけた人が、どこからかワラワラと溢れ出してくる。ヤンゴンの最高気温は35℃。充満する人々の熱気が、さらに体感温度を上げる。
昨日、また軍によって一般市民が撃ち殺された。しかし人々はひるまない。軍が非人道的に振る舞うほど、人々の悲しみや怒りに裏打ちされ、打倒軍政の思いは揺るぎないものになっていく。
2222インヤー湖畔の広い土手には、何百メートルにもわたり、人々が隙間なくぎっしり座って声を上げていた。白い服が多いのは、撃たれた時に血の色がわかるためだという。たとえ撃たれても、その血の色が世界に報道されれば、軍政にダメージを与えられるかもしれない。死んでもあきらめない覚悟。自由や人権とは、命とひきかえにしてでも守るべきものだったのだと、ミャンマー人の行動を見て、思い知る。
すぐ傍の高架下には、警察車両が停まっている。外から警官の姿は見えないが、上層部からの出動命令が下れば、赤スカーフを巻いた「治安部隊」が銃を手に出てくるのだろう。ぞっとする。とはいえ、湖畔に集まった途方もない大群衆と比べると、1台の警察車両はあまりにも非力に見える。高架橋に響き渡るシュプレヒコールや歌声をBGMに、警察車両にくるりと背をむけて歩き出す 。 夕方、ヤンゴンのデモ隊は、平和に解散した。弾圧はなかった。ほっと胸をなでおろす。弾圧の理由などどこにも見当たらない、平和で秩序だったデモ。それでも治安維持などを理由に市民を殺すのが、ミャンマーの軍政だ。
1988年3月、まさにこのインヤー湖畔で、抗議運動をするヤンゴン大学の学生に対して、凄惨な鎮圧が行われたのだという。治安部隊の発砲により、湖に追い詰められ、溺死した学生。湖に蹴落とされ、這い上がったところをまた殴られる者。拘束された女子学生たちは、刑務所内で袋を被せられ、強姦されたという。そうしたやり口で民衆を黙らせ、権力の座にとどまり続けた軍は、私欲のためにジャブジャブお金を使い、足りなくなると公共料金を値上げした。批判する者がいれば、罪をでっちあげて投獄した。人々は5人以上で集まることを禁じられ、夜間は外に出られず、公的な手続きの際には、賄賂を払わねばならなかった。(注2)
その国軍が、戻ってきた。だから、ミャンマー人は叫ぶのだ。絶対に軍政は受け入れない、民主主義を返せ、と。
2月22日の大規模ゼネストで、国じゅうの経済活動は一斉に止まった。人々は「今日で軍政を終わらせるぞ」と息巻いていたが、軍政は(少なくとも表面上は)ぴくりとも揺るがず、軍が譲歩することも何ひとつなかった。
23日以降は、ずっとデモに参加していた人々も職場に戻リ始めた、という話も聞き、あぁ軍への抵抗も少しずつ萎んでいくんだろうか、と私もなんだかしょんぼりした気持ちになった。だが、そんな私の不安をよそに、抗議活動は今日も勢いよく続いている。(よかった‥!)
ミャンマーで連日続くデモ。もしかしたら日本の報道では、街のすべての場所で、朝から晩までデモをやっているように見えるかもしれない。でも、実際は違う。デモをやっている場所は、だいたい決まっている。
例えば、学生が集う「ヤンゴンの原宿」、レダンの交差点。1988年にデモ隊が治安警察と睨みあったミニゴンの高架下。各国の大使館前、など。そこから離れると、街はいつも通り穏やかな表情をしている。露店で色とりどりの野菜が売られ、タクシーやバスもどうにか走っている。スーパーマーケットは、軍系企業の製品を棚から引っ込めて(注3) 営業を続けている。毎日大規模なデモを続けながらも、日常の暮らしは、ある程度きちんと維持されているのだ。
デモの時間もだいたい決まっている。朝10時ごろから盛り上がり、夕方4時頃にはきれいに解散する。実はこれは、最初から一貫している。どれだけ軍政に激怒していても、22日の全国ゼネストの日ですら、決して夜まで叫び続けたりはしなかった。疲れるからじゃない。明日も明後日も、デモを続けるからだ。また明日、朝から声をあげるために、人々は秩序を保っている。長い闘いになることを、ミャンマー人は覚悟していると思う。
(注) 1,1988年の民主化運動は8月8日の全国デモとゼネストで最高潮に達したことから「8888」と呼ばれる。 2.1988年および軍政下の社会についての参考文献は、永井浩ほか『アウンサンスーチー政権のミャンマー』を参照 3. ミャンマー国軍は巨大な複合企業体を持っており、銀行、保険、観光、貿易、建設など、あらゆる分野において百数十社の企業を傘下に置いている。その利益は非課税・非公表で、国家予算の国防費よりも大きいとされる。クーデター翌日から、こうした軍系企業の商品をボイコットする動きが始まった。SNS上では無名の市民が作成したボイコットリストが拡散され、大手スーパーでも軍系企業の製品が、売り場から下げられた。また、軍への納税や公共料金の支払拒否の動きも広がり、スーパーや飲食店などでも客から消費税をとらないなど、徹底した不服従活動が行われた。
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
車の流れが止まったヤンゴンの大通りに押し寄せる人の波(撮影者不明)
あれ?車が動かないなぁ。なんでかなぁ。(Twitter/Descifrandola Guerra)
「2222」インヤー湖畔は人で溢れた。(筆者撮影)
2月20日、ヤンゴンの国連施設前では、夜8時まで少年が無言で立ち続けていた。掲げたプラカードにはこう書いてある。『How many dead bodies needed for UN to take action?』(あと何人死ねば、国連は動いてくれるのですか?)この少年も数日後、デモ参加中に銃殺された。(撮影者不明)





|