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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2023年02月21日11時25分掲載
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アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(15)人間としての自由だけは奪えない 西方浩実
3月20日。先日、CDM(市民不服従運動)に参加した公務員たちを支援している大学生と話す機会があった。線の細い、優しそうな青年で、柔らかな口調で英語を話す。彼はデモに参加するかたわら、公務員宿舎から追い出されてしまった公務員を、仲間と一緒に何十世帯もサポートしているのだという。安い部屋を探して大家さんと交渉したり、食料を届けたり、わずかながら金銭的なサポートもしているそうだ。
▽無数の市民がCDMを支え合う 「軍に見つかると危ないから、自宅には帰っていない」と、彼はカラッとした表情で話した。悲壮感もなければ、怒りに燃えている風でもない。仲間と一緒に知人のアパートに身を寄せているんです、と何でもないことのように言う。
彼への寄付を申し出ると、彼は申し訳なさそうに、こう言って断った。「アパートの家賃はタダなんです。ご飯も3食、近所の人に食べさせてもらっています。交通手段は、友達のご両親が『この車を使っていいよ』と僕たちに貸してくれました。デモのプラカードも誰かが印刷して僕らにくれるし、みんなチャリティで応援してくれている。だから今は、お金は必要ないんです」
あぁ、ミャンマー人だなぁ、と思う。私の同僚のミャンマー人たちは、飲みに行くと、必ずおごってくれる。明らかに彼らよりお金をもっている私に「次は払ってもらうから」などと言いながら。(もちろん「次」はなかなかこない。)そして、前もって「私が奢るから飲みに行こう」と誘うと「予算はいくら?」と、どストレートな質問をし、私のお財布事情に合わせて店を選んでくれる。「もらえるものはもらっとこう」的な卑しさが本当にないのだ。
CDMのサポートをする彼はもちろんだが、彼をかくまっている大家さんや、車を貸してくれる大人たち、ご飯を配る人や、プラカードを印刷する人・・・無数の市民が、決して小さくないリスクを背負いながら、自分にできることをやっている。その姿を見た人が、また列に加わる。
久しぶりに会った近所のおじさんは「民主主義は勝つよ。100%の気持ちでそう信じている」と胸を張った。実はクーデター直後、彼に「民主主義は勝つと思う?」と聞いた時、彼はたった一言「軍は強い」と、悲しそうに答えたのだった。どうしてそんな風に考えが変わったの?と聞くと、彼はこう言った。「勝つかな?負けるかな?じゃなくて、勝たなきゃいけない。そう思うようになったんだ」。
いつからそんな風に気持ちが変わったの?「軍が市民を殺しただろう?あまりにもたくさんの人が殺されてしまった。子どもでさえ・・・。軍政は絶対ダメだ。軍に支配されたミャンマーは今、毎日、未来を失い続けているんだ」。こうなる前は、そう思っていなかったということ?「兵士だって、同じ人間だと思ったんだ。仏教徒なら、ダルマ(仏法)を知っているはずだと思った。だけど、そうじゃなかった。あれはもう人間のすることじゃないよ」
クーデター後、軍からは残虐行為に加え、信じられないような通達が出続けている。「軍政への不信感をあおったら(最高刑で)死刑」「バリケードを見つけたら、その周辺住民を撃つ」など。市民は表面上、大人しくバリケードを撤去したりして、何となく軍に従っているように見せている。プライドは脇に置いて、命令に従うふりをして、命を守っているのだ。しかし、終わらない軍の非道なふるまいは、静かに市民の心を結束させている。
正直、これまで私は何度か「もうダメなんじゃないか」と思うことがあった。抗議活動への弾圧を軍が宣言したとき。大勢の若者が傷つき、殺されていったとき。インターネットが遮断されたとき。
だけど、ミャンマーの人たちはいつも、あっと驚く方法で、「その手があったか!」と思うような創意工夫で、対抗し続けてきたのだ。故障車(のように見せかけた車)を街中に放置して交通を止め、兵士が近寄れないように、道にロンジーを吊るした。夜間の銃声には、打ち上げ花火で応えた。先の総選挙で選ばれた議員たちは、オンライン上に臨時政府CRPH(注1)をつくった。軍からすかさず反逆罪を宣告されたCRPHのリーダーたちは「軍から反逆罪を課されたということは、正義のために闘っていると認められたということだ」と誇らしげに胸を張った。国連総会では、ミャンマーの国連大使がまさかの3本指で反軍政を示し(注2)、今も国際社会に軍政を訴え続けている。
明日は、サイレントデモをやるそうだ。だれも外に出ない。反軍政の声も上げない。そうしてあたかも従順にひきこもり、国全体が沈黙することで、軍に反対する人がどれだけいるのかを示す。命を大事にした、ナイスアイディアだと思う。
以前読んだ本にあった、こんな言葉を思い出す。 「すべてを奪われても、たったひとつ、与えられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」
▽屈辱の国軍記念日 3月27日、国軍記念日。年に1度、ミャンマー国軍の華々しい威光を世に知らしめる日だそうだ。毎年この日は、各国の要人や軍人を招いて記念式典をすることになっている。市民の間では、軍が27日までに民主化運動を完全に封じ、クーデター後の混乱にカタをつけたがっている、という説が広がっていた。つまり軍が27日に向けて弾圧を強めるだろうと、警戒感を高めていたのだ。
先週、ヤンゴンから離れることを決心した友人はこう話した。「うちの夫は公務員で、CDMに参加しているの。今までヤンゴンで息を潜めてきたけど、いよいよ何が起こるかわからない。安全な場所はどこにもないけど、田舎ならヤンゴンよりも生き延びられる可能性が高いから」。ミャンマーの国民が、ミャンマーの国軍や警察から、命を守るために逃げているのだ。この異常さがわかるだろうか。
国軍記念日の前の日、国営放送では「国家を破壊する者は、後頭部や背中を撃たれる危険がある」という、耳を疑う通告が放送された。そもそも一体どちらが国家を破壊しているという認識なのだろうか。
それでも、実は私は「27日は大丈夫なんじゃないか」と楽観視していた。市民たちが、以前よりずっとおとなしくなっていたからだ。2月にヤンゴンの大地を揺るがした大群衆のデモは、あまりに凄惨な弾圧をうけ、小規模で散発的になっていたし、軍への憎悪をあおるようなポスターも、街ではほとんど見かけなくなった。バリケードをみつけたら所構わず銃撃する、という狂った通告の翌日には、地域住民たちが粛々と、路地に積み上げた土囊袋を片付けていた。
毎日、どこかで誰かが襲撃され、殴打され、殺されて、あろうことか父親に抱かれた7歳の少女まで銃殺されて・・・それでもヤンゴンの人々が、怒り狂って暴力的に立ち向かう、なんてことにはならなかった。あからさまに軍に逆らえば、犠牲が増える。これ以上、命を失うわけにはいかないのだ。そんなミャンマー市民の我慢強さを横目で見ながら、私は「このまま何事もなく過ぎますように」と、希望的観測にすがっていたのだった。
しかし現実は、まったくそうはならなかった。その朝、目を覚ますと既に、郊外に住む日本人の友人から「どうしよう、めちゃくちゃ銃声が聞こえる」とメッセージが届いていた。あぁ、軍はやる気なんだ・・・。愕然とする。
ミャンマー人の友人に連絡してみると、彼は取り乱していた。その日の早朝、デモの準備中に突然軍に襲撃され、仲間をひとり失ったのだという。「僕らは集まっていただけだったんだ!まだ一言も抗議してなかったのに!」と繰り返す。そうなんだ、ひどい、信じられない、と相槌を打つことしかできない。無力。
モバイルインターネットが遮断される中、市民が命がけで撮影した映像や画像がSNSに届く。銃声とともに、動きが止まりパタッと倒れる少年。助けに行こうとする仲間たちは、鳴り止まない銃声の中、地団駄を踏み、絶叫する。すぐそこに倒れているのに、今なら助かるかもしれないのに、銃撃があまりに激しくて近づけない。
銃声。流血。叫び声。頭部を吹き飛ばされた、むごい写真。おかしな方向に曲がった腕。側溝に投げ込まれた女性の遺体。道路に転がる脳。これが全部、今、この穏やかなミャンマーで起きているなんて。心が苦しくて、吐きそうになる。
弾圧が本格化してから1ヶ月。私たちは毎日、どれほど凄惨な光景を目にしてきただろう。虐殺している軍には一分の正当性もなく、虐殺される市民には一分の罪もない。どうしてこんな狂ったことが、誰にも止められないんだろう。
ミャンマー北部の街では、夕方1000人を超える人々が軍病院に集結した。要求は「今朝撃たれた仲間の遺体を返せ」。もはや、民主主義のためでも自由のためでもない。死傷者の数は積み上がり続け、夜9時半までに114人が殺されたと報道された。
夜、ミャンマー人の友人と電話で話をした。どこで何人が殺されたらしい、ミャンマーは世界最悪の国になった、という何の希望もない会話をしたあと、何か明るい話はないものかと思い「そういえば、CDMがノーベル平和賞にノミネートされたね」と言うと、彼はハハッと自嘲的に笑い、こう言った。
「あぁ、あれはいいニュースだったね。でも、その非暴力・不服従で何百人もの命が失われたんだ。ノーベル賞をもらったって、ぜんぜん釣り合わないよ」
<注> 1・連邦議会代表委員会(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)。クーデター直後の2021年2月5日、クーデター政権に対抗して組織された民主派の政治組織。先の総選挙で当選した与党NLDの議員など17人によって構成された。2021年4月16日に国民統一政府(NUG、註26参照)を発足させた。 2・チョーモートゥン国連大使は2月26日の国連総会で、軍事クーデターを批判。民主主義を取り戻すために国際社会に協力を求め、3本指を立てた。国連大使が軍に脅されて軍を擁護するのでは、と懐疑的だったミャンマー市民たちは、この演説に感激。翌日のデモには早速、国連大使の写真を掲げる人々の姿があった。なお軍はすぐに国連大使の解任を発表し、大逆罪で逮捕状も出したが、氏は従わず、2022年8月現在も国連大使として活動を続けている。
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