安倍首相はかつて長州だった山口県の出身政治家であることを誇りにしていました。前回述べたように朝鮮植民地化のレールを敷いたのは長州藩出身者たちだったと言っても過言ではありません。そして、朝鮮半島植民地化と台湾の植民地化の始まりとなった日清戦争の講和条約が締結された場所が、最近は旧統一教会の「聖地」とも人口に膾炙した山口県の下関でした。下関市の料亭・春帆楼で日本側全権が伊藤博文・陸奥宗光、清国側全権が李鴻章・李経方で講和会議を行いました。長州藩出身の伊藤博文は最初の韓国統監で、朝鮮から内政も外交も独立国としての一切を奪い取った政治家です。日清戦争の講和で朝鮮の清からの独立が約束されましたが、その独立は日本が植民地化するためのものに過ぎませんでした。
「形式的には下関条約によって清からの独立が確定した朝鮮であったが、その半年後には大日本帝国政府の高官であり在朝鮮国特命全権公使であった三浦梧楼の主導により、かねてより反日的であった皇后の閔妃暗殺と皇帝高宗の暗殺未遂事件が発生するなど、事実上属国として日本からの軍事的・政治的圧力を受けることとなり、一元的な万国公法体制すなわち国民国家システムに組み込まれることとなった。条約から10年後には日韓協約を締結させられ名実ともに日本の属国となり、1910年には日韓併合が行われ植民地統治機構である朝鮮総督府が設置されることとなる」(ウィキペディア)
この閔妃暗殺の黒幕だった三浦梧楼も長州藩の出身者です。歴代の韓国統監と朝鮮総督のうち、初期の人びと(伊藤博文、曾禰 荒助、寺内正毅、長谷川好道)が全員、長州藩出身者だったことは前回、書きましたが、長州藩出身者が日本の植民地主義と深く結びついていたことは間違いありません。もちろん、江戸幕府を倒した中心が薩摩と長州で、彼らが日本の近代化のリーダーシップを取ったのですが、その柱が植民地主義であり、植民地で吸い上げた資本を軍備と資本主義の発展に利用し尽くしたのです。安倍首相が長州を誇りに思っていたとした時、この植民地主義を肯定していたであろうことは、戦後レジームからの脱却をテーマに掲げていたことを思えば想像ができます。そして長い間植民地から吸い上げた富をシェアしてきた日本国民自身が今や自国の政府によって実質的に植民地化されつつあります。
今、日本の政治が危機であるなら、この近代化の誤りに立ち返って、一から考え直す必要があります。日本の民主主義の弱さの原点がここにあるのですから。海外の植民地から吸い上げた甘い汁を吸わせてくれた過去の幻想を振り捨てることからしか、自立した民主主義の道はひらけてこないでしょう。台湾や韓国の民主運動の足並みが力強い理由もそこにあります。
現在始まっている日本植民地化は、政治参加から日本国民を遠ざけ、重税化と低福祉化、マスメディアの支配などを核とし、憲法改正で完成するものです。マスメディアの中心的な役割は、東京五輪もそうでしたが、政府が国民の物語を作っているというプロパガンダを流布することです。国民の抵抗なく、日本を植民地化するためには、自民党はナショナリズムの政党である、という虚構が必要なのです。戦前戦時で言えば、八紘一宇*とか、内鮮一体などのプロパガンダです。これが戦後の昭和時代の自民党との決定的な違いでしょう。そして今、東京五輪関係の汚職で逮捕が続いていますが、一部の企業や政治家たちが国にたかっているというのが実像です。そして、米国の多国籍企業群に追随する形で、多国籍企業のエリートたちで利益を独占していく、新しい形の国境なき植民地主義が台頭しているのです。その意味で、植民地主義のスタイルは時代とともに変遷していますが、本質は同じであり、だからこそ、日本国民にとって台湾と朝鮮半島の植民地化の歴史を学ぶことはますます大切になっています。それは他者の歴史でありながら、自分たちの未来でもあり得るからです。岸田首相は日本国の首相というよりは、朝鮮植民地の住民を統監する朝鮮総督みたいな存在に思われます。岸田氏が日本国民に話しかける、という印象が乏しいと思う人は多いはずです。
私がこのような日本植民地化という着想をするきっかけとなったのは「「そもそも教養って何でしょう?」 経営コンサルタントが説く<教養>の定義」(2015年)という記事を書いたことでした。これは大学改革の議論の中に、明らかに植民地主義の匂いがしたことにあります。以下は2015年に書いた記事の抜粋です。
「日本経済は世界のトップを相手に闘う自動車、電機、ITなどの大企業中心のグローバル経済圏と、交通や飲食、福祉などの地域に根差した中小中堅のローカル経済圏とに二分化されている。従って後者の担い手を輩出するローカル大学には「学術的な教養にこだわる従来の文系学部のほとんど」はいらないと言うのです。そして文科省の有識者会議でも持論を訴えてきたと言っています」
日本国民を明らかに二系統にわける発想です。これは現存の通念に基づけば、一級国民と二級国民といういい方もできるでしょう。これは内地と植民地に対応していると思います。二級国民には学術的教養はいらないし、従来の文系学部のほとんどはいらないとまで明言しているのです。国民に対して文学を学ぶ必要がない、などと言えるのはいったい何者なのでしょうか?そうした人間のカテゴリーは宗主国か、身分制度の国の統治者でしかないでしょう。日本政府は何十年もかけて、この国民を二系統に分けるプロセスを続けているのではないかと思います。これが日本国植民地化の実質です。悲しいことにこの論は、すでに現実化がかなり進んでいると思われます。日本の書店や出版界の疲弊ぶりを見れば明らかです。いずれにせよ、日本の植民地主義に「聖地」があるなら、下関条約締結の舞台となった山口県・下関ではないでしょうか。
*「八紘一宇」の建前とは裏腹に、日本軍に支配されたベトナムでは200万人の餓死者を生んでいます。「原因として、バン・タオ教授は、(1)日本がフランス植民地機構を下請けにして、食料を安い価格で強制的に買い付けた、(2)ジュートなど戦略物資を得るために稲作面積を減らした、(3)北部で天候不順による凶作が起きた、(4)豊作だった南部から米が北部に運ばれなかった―という4点をあげています」(赤旗)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-14/12_01ftp.html
■「そもそも教養って何でしょう?」 経営コンサルタントが説く<教養>の定義
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507091833424
■マンスフィールド研修と対日政策
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201008192244414
■趙景達著「近代朝鮮と日本」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604030100310
■21世紀の植民地主義〜朝鮮半島植民地化と長州閥〜その8
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304282154515
■21世紀の植民地主義 〜「21世紀の初頭から世界的に退行」〜 その7
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304271752314
■21世紀の植民地主義 〜朝鮮植民地化と同じことを日本国民に〜 その6
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304252304462
■21世紀の植民地主義 〜日本国民の上に君臨する「高天原族」〜 その5
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304232146180
■21世紀の植民地主義 〜自国植民地支配のために天皇制も危機にさらす〜 その4
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304201628204
■21世紀の植民地主義 〜外国人研修生の苦難は明日の日本人の運命〜 その3
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304191806413
■21世紀の植民地主義 〜自国を植民地にして今後はもっと苛酷に収奪する〜 その2
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304171658441
■21世紀の植民地主義 〜自国を植民地にして敗者から収奪する〜その1
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202304160339170
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