●連立政権
最近、自公連立政権の軋みが話題となっている。今回の変調の直接的な原因は、衆院選挙区の区割り変更に伴う候補者擁立を巡る対立であるが、連立政権の成立と最近の不安定化を、人口変動の観点から分析してみたい。
議会制民主主義が機能している先進諸国で、連立政権は日常的にみられる現象である。現・ドイツのシュルツ政権は、中道右派連立であったメルケル政権に代わる、社会民主党、自由民主党に緑の党を加えた中道左派の三党連立である。現・イタリアのメローニ政権は、右派の「同盟」と中道右派「フォルツァ・イタリア」の右派連立政権である。前ドラギ政権はほぼ全政党をバックとすることに無理があったのか、一年半余りで挫折している。
これらに比べると自公連立政権は特異である。自らを保守政党と位置付ける自民党は、企業や富裕層を主要な支持基盤としている右派ないし中道右派政党である。一方の公明党は「庶民を守り、地域住民の手足となって働く」(公明党HPより)ことを標榜し、労働者や中小規模企業経営者などを支持層とする政党で、一般的には中道と位置付けられる。この不思議な連立は20年以上にわたって継続している。この点でも特異だ。この特異性は公明党の支持基盤である創価学会の性格を理解することによってのみ可能となる。
●創価学会と公明党
高度経済成長期、大手企業はその従業員に対し、福利厚生を充実させ、住居から子育て、さらに保養所の開設など、余暇の過ごし方までをケアし、家族を含めて丸抱えする体制を整えた。ただ、その恩恵に与ることができたのは、主に都市出身の一定以上の学歴保有者であった。 同時期、農村部から大都市圏への若年人口の大量移動があった。「集団就職」という移動もあったし、父親が出稼ぎにでる「三ちゃん農業」は1963年の流行語となった。義務教育修了時と同時に移動したものも多く、彼らは人手不足に困っていた個人商店や零細企業の働き手として歓迎された。しかし、多くは住み込みで、十分な居住空間も与えられず、子守りなどの家事労働さえ求められるケースも少なくなかった。 各種の宗教団体や政治団体あるいはボランティア団体などが、この若者たちのための交流や息抜きの場を提供した。その中でとりわけ積極的な活動をして組織を拡大したのが創価学会であった。宗教社会学の櫻井義秀北大教授が、『統一教会』(中公新書、2023年)のなかで興味深い指摘をしている。朝鮮戦争後の韓国で、統一教会を含むさまざまなキリスト教会が発展した理由は、農村から都市に移動した人々に疑似家族や疑似ムラのような居場所を提供したことだと指摘している。日本で同じような役割を果たしたのが「創価学会の座談会や立正佼成会の法座といった地域密着型の新宗教」だったとする。 この年齢集団も歳を重ね、結婚、子育てとライフステージが進めば、生活基盤の確保が課題となる。創価学会は、例えば会員の公営住宅への入居を支援するなど、その課題にもっとも積極的に応えながら組織を拡大していった。 1964年には公明党を結党して政治活動に乗り出した。会員たちのなかには、零細企業の経営者となったものも多かったから、多様な業界の要求に応える政治活動も必要になっていった。仕事と生活の維持・向上のために、会員たちは一体となって公明党の政治活動に協力することになった。
●創価学会にとっての選挙活動
創価学会の選挙への取り組みの熱心さはよく知られ、時には刑事事件さえ起こした。1968年の参議院選挙の全国的で大掛かりな替え玉投票、翌年の都議会議員選挙で会員たちが係員に暴行を働いた(練馬区投票所襲撃事件)。このような犯罪行為は極端な例としても、中選挙区における精巧な票割作業による効率的な議員の選出など、一人の落選者を出さないことを誇るほど選挙戦術は徹底していた。
支持者の生活を守り向上させるためには、議会に席を持っているだけではなく、与党の一角に食い込むことが、支持者の要望を効率的に実現する近道だ。その先にあったのが1999年の自公連立政権成立である。世論調査での公明党の支持率は4%程度であるが、投票率が低ければ、ほとんどの支持者が投票する公明党の集票力は効果的であるし、ポスター張りや電話掛けなど、選挙運動の活動力は著しいものがある。90年代の党の分裂などもあって足腰の弱っていた自民党にとっては、魅力的なパートナーとなったのである。 また目立った産業がない地方の会員のなかには、公共事業に食い込む土木・建築業に進出したものも多かった。これを反映したのか、2004年の第二次小泉政権で国土交通相に北側一雄が就任し、08年第一次安倍政権では冬柴鐵三と、公明党議員が続いた。その後、民主党政権などの時期を除き、12年末の第二次安倍内閣以降、太田昭宏、石井啓一、赤羽一嘉、斉藤鉄夫と10年以上にわたって一貫して国交相には公明党議員が就いている。創価学会員たちの現状と無関係ではないはずだ。
●消えた組織=若い根っこの会―公明党の消える日
しかし皮肉なことに、創価学会が会員の生活維持、向上に注力した結果、会員たちの保守化が進んだ。また1991年に日蓮正宗から破門されたことにより、宗教法人であるにも関わらず、宗教的活動も少なくなった。子どもたちの世代は、学校生活や社会人としての生活のなかで会員であることの意味は薄れていく。創価学会自身が宗教組織としての性格をますます薄め、組織としての求心力が失われていくのは当然の成り行きである。選挙における集票力の衰えは必然的である。参院戦の比例区では、2007年に777万票、16年に757万票を得ていたが、22年には618万票と20%も減らしている。この減少傾向は今後、漸減ではなく加速度的に進むものと思われる。
「若い根っこの会」という組織を記憶されている方は少ないだろう。創始者の加藤日出男氏が1953年頃から始めた、集団就職者に集いの場を提供する社会運動から広がった活動であった。埼玉県川越市を中心に日曜などに活動し、ピーク時の60年代には全国で3万2千人の会員を数えたという。なぜ忘れ去られるほど衰退したか。 若者たちが集まれば、そこには男女の出会いもあり、結婚・子育て世代となっていく。組織としての課題は、ただの「出会いの場」の提供から、より生活に密着したものに変わっていったが、根っこの会はそのような課題に応えようとはしなかった。加藤氏は2019年に90歳で亡くなられている。川越の本部は記念館のような形で残っているだけである。 創価学会も、特定の世代の特定の集団の生活保障に集中し、宗教組織である意味を失ってきた。最近では、会員にとって選挙活動が最大の行事になってしまっていると零(こぼ)す古参の会員もいるという。カリスマ的な池田大作名誉会長の存在感も薄れつつあり、組織の求心力も失われる一方であろう。若い根っこの会の後を追うことになるのは避けられない。
公明党は議会において与党であることを至上命令とする。大阪で維新政党が優勢となると、議席の確保のためには自民党を裏切って、維新とも妥協せざるをえない。ここしばらくは、地方でも中央政界でも与党に居続ける道を模索するであろうが、党勢挽回の可能性は見えない。自公連立が解消すれば、それはいろいろな意味で戦後政治史だけではなく社会史の大きな転換点となるだろう。
小川 洋:教育研究者
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ちきゅう座から転載
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