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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2023年06月23日11時23分掲載
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アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(37)クーデターから一年目の沈黙 西方浩実
2022年2月1日。ヤンゴンは静かだった。半月ほど前からオンライン上で呼びかけられていた「サイレントストライキ」は、武力衝突が起きている国とは思えないような、とても平和な抵抗だった。
「朝10時から夕方4時まで、みんな家の中にいよう」 「夕方4時になったら外に出て、みんなで拍手してストライキ成功を祝おう」
ベランダから見上げた2月1日の空は、青く澄んでいた。街はいつもより静かなおかげで、鳥の声がよく響いていて、抑圧されている現実が悪い夢だったかのようにピースフルだった。
軍は1月後半、サイレントストライキが発表されるやいなや、ストライキ阻止に動き出した。まず「ストライキ」に参加したら逮捕する』という、もはやおなじみとなった通達を出した。おかげでこの日だけは、家にいる方が危険、という妙な状態になった。家にいようがいまいが個人の勝手なのだが、そうした自由が許されないのが今のミャンマーだ。
さらに、鍋叩きをやろうという動きが広まると、「鍋を叩いたら反逆罪を課す」とのアナウンス。この反逆罪の最高刑は、死刑だ(名ばかりの裁判はあるものの、実際はまだ逮捕されていない人にさえ先に死刑宣告が出る始末)。こんなのはただの脅しだ、と思うものの、たとえ拘束されればどんな濡れ衣で拷問を受けるかわからないのだから、気にならないといえば嘘になる。
おまけに、念入りなことには、ヤンゴンでは前日に警察が街を回り、市場や商店で写真を撮ったり店主の名前を記録して回ったりして、店を閉めるなという圧力をかけてまわっていた。店を閉めたら、どうなるの?と同僚に聞くと、彼は「さぁね」と苦笑した。「店主が逮捕されるか、営業許可を取り消されるか、嫌がらせを受けるか。何されるかわかったもんじゃないよ。すべては彼らの思いのままだもの。」
軍のやり方を知り尽くしたミャンマー人たちは、店の状況をよく理解した。路上の麺屋さんでは、「お客さんは来ないから、仕込みは最低限にしなよ」などとアドバイスが飛び、Facebook上では「店は開けても、お客さんが行かなければいい」「全部売り切れたことにすればいい」と抜け道が次々と提案され、大喜利のようになっていた。
軍の脅しが一定程度効いたのか、その日、街は完璧なサイレントにはならなかった。私の自宅周囲も、いつもよりずっと人は少なかったものの完全に無人にはならず、バスや車の走る音が大通りから聞こえてきたし、フードデリバリーも動いているようだった。
ピタリと時間が止まったような12月のサイレントストライキ(注)と比べると、やや中途半端な印象は否めなかったけれど、それでもサイレントデモが終わる夕方4時になると人々がワラワラと家から出てきて、周囲には拍手の音があふれた。友人からは、「We did it!(やってやったぜ!)」とメッセージが届く。
地方の友人からも、「そっちはどう?」と電話がきた。さっき拍手が起きたところだよ、と伝えると、彼は満足げに「よーし」と笑った。あれこれ話したあと、彼はこんな風に言った。「サイレントストライキは、地味な抵抗だと思うだろう。だけどこれは、国民がみんな同じ気持ちをもっていないと成功しないんだ。軍の支配なんてだれも望んでない、という強烈なメッセージなんだよ。僕らはそれを成功させたんだ」
そして、こう付け加えた。「こんなにもたくさんの人が、軍政にNOと意思表示している。軍と同じようにお金と武器があれば、絶対にすぐに勝つのになぁ」
翌日、オフィスで同僚たちと「そっちはどうだった?」と、それぞれの自宅周囲の様子を報告し合う。どの顔にも、ちょっとした誇らしさが見えていた。「サイレントストライキは成功だ。軍に脅されても、これだけやったんだ。満足しているよ」
サイレントストライキが呼びかけられる前、SNS上では、もっと視覚的に見てわかるような、抗議デモのようなアピールをすべきではないか、という声もあったという。しかしそれは、少なからぬ人の命が奪われることと直結している。「だから最終的には、みんなサイレントストライキに参加したんだよ。納得していようがいまいが、それしか道がないからね」 同僚はそう言ったあと、「私たちの意思は、日本にも伝わるかな」と私に尋ねた。きっと伝わると思うよ。クーデターからちょうど1年だからミャンマーの特番も増えているし、国会議員や在日ミャンマー人たちも話し合いを続けているよ。私がそう答えると、彼はこう言って笑った。「そうか、ありがとう。そろそろ具体的な後押しがあると嬉しいな。正直なところ、もう声明は十分なんだ」 同日、人々が沈黙して引きこもっているのをいいことに、軍は「軍支持派」のデモを組織した。民主派の市民がデモをやると警察車両に轢き殺されるのに、軍支持派のデモとなると、同じ警察車両がデモ隊を護衛する。そういう国なのだとわかっていても、やはりため息が出てしまう。
ねぇ、あの人たちって本当に軍を支持しているの?と聞くと、友達は「まさか!」と声をあげて笑った。「お金だよ。貧しくて政治を知らない人たちを、軍が買収しているの。日雇い5000チャット(約325円)だから、私たちは彼らを「ガータウンサー(5000チャットを食べる人)」って呼んでるんだよ」
こうやってお金で人を動員するのも、軍のいつものやり方だ。そもそも軍の兵士たちも、最初は経済的な利益を求めて入隊した人が多いのだという。特に下級兵士は、政治のことなど何も知らない貧しい農民が多いそうだ。家族の誰かが軍に入隊すれば、一家で軍の宿舎に移り住み、軍の学校、軍の病院、軍の商店、と人生はすべて「軍製」のもので完結できる。これで一家は安泰、もう軍を離れることはできない、というわけだ。民主化運動に熱心なカレン族の友人も「学生の頃、僕も親から軍に入隊を勧められたよ。あの時入らなくて本当に良かった」と笑っていた。
2月1日が過ぎ去ると、どっと疲労感に襲われた。あの日から、1年が経ってしまった。自国民を虐殺するようなメチャクチャな政府が、まさか続くわけがない。世界が許すはずがない。そう思っていたのに。
ミャンマー人の友人に、「ねぇ1年だよ。疲れない?」とボヤくと、こんな答えが返ってきた。「私も昨日、同じことを考えていたの。この1年、私たちは何度も立ち上がり、声をあげ続け、たくさんの犠牲を払ってきた。でも変わらない。この状態で1年…。もう軍政を受け入れるべきなのか?って。でも、ダメ。答えは絶対にNoだよ」
他にもあなたみたいに、軍政を受け入れるべきか、と考えてみる人はいるの?「考えるだけなら、ほかにもいると思うよ。口には出さないからわからないけどね」。たぶん、と彼女は言った。「もうダメだ、と思う人がいるとしたら、生活がギリギリの人たちだろうね。生活が苦しいから、というだけじゃなくて、情報がないから」 どういうこと?と聞くと、こんな説明が返ってきた。「日々スマホでSNSを見ているような人は、いろんなニュースを見るでしょう?それで、PDF(国民防衛隊)が軍との戦闘を続けていることに励まされたり、軍のひどい行為を見て、絶対に許せないと思ったりする。そういう支えがない人は、きっともっとネガティブになっていると思う」
それから彼女は、きっぱりと言った。「だけど、少なくとも私たちは、何が起きているか知っている。諦めるわけにはいかないよ。ここで何もせずに軍に従ったら、次の世代がかわいそうだもの。私たちが、軍政下で育った最後の世代。必ずそうするからね」
注・2021年12月10日、世界人権デーに合わせてサイレントストライキが実施された。その5日前、ヤンゴンでデモ隊が轢き殺されるという衝撃的な事件(33k回『Freedom from Fear』参照)が起きたことを受け、ミャンマー全土の人々がこの沈黙のストライキに参加した。人通りが完全に途絶えた街の様子は、国際ニュース等でも報道された。
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サイレントストライキが始まる朝10時より前に、赤いペンキをぶちまけてデモをした若者たち。間違いなく普段より警戒が強まっている日に、こんな派手なパフォーマンスをするなんて。無事に生き抜いて、民主化後の新しい社会で力を発揮できますように。(写真:Myanmar Nowより)
ヤンゴンの中心地、スーレーパゴダ前の歩道橋から撮影された写真。いつも車でいっぱいの路上が、閑散としている。12月のサイレントストライキの際には、静まり返る街の様子を撮影した人が警察に連行され、拷問を受けたという。それでも、脅しに屈せず隠し撮りされた写真が、次々とSNSで拡散される。(写真:Khit Thit Mediaより)
お店を開けざるを得なかった魚屋さんは、密かに(?)3本指を掲げて、大喜利的レジスタンス。(写真:witter/Ma Hnin Pwint)
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