フランスの著名な歴史家・哲学者で、コレージュ・ド・フランスという権威のある教育機関で講義をしているピエール・ロザンヴァロンという人がいます。『福祉国家の危機』や『良き統治』『カウンター・デモクラシー』などの著書があります。この人はTVにもよく出演していますが、マクロン大統領の政治について、興味深い発言をしています。マクロン大統領の政治スタイルは、自分に反対する人々を徹底的に警察力で封じ込めることが特徴でした。警察の放ったLBDと呼ばれるゴム弾で多くのデモ参加者が片目を失明しています。
*ロザンヴァロンが登場してその発言をした番組。
https://www.youtube.com/watch?v=h5nsuyiEgP8 司会者から、「マクロン大統領はデモクラシーという言葉をよく使いますが、デモクラシーの危機、という言葉は使いませんが」と聞かれて、ロザンヴァロン氏は「マクロンはデモクラシーが危機だとは考えていないんですよ」と答えたのが印象的でした。要するに、社会システムは機能しているし、49−3という下院の議決をすっ飛ばして決めてしまう手段も憲法で認められているし、法律を速攻で作ってしまうのも憲法で認められた手順を踏んでいると考えているからだ、と言っています。
「しかしですよ、デモクラシーというものは単純に法律書の字面に従っていればいいというもんではないんです」とロザンヴァロン氏は語っています。デモクラシ―には確かに六法全書的な法律の文面が欠かせないが、同時に、そこには「法の精神」というものが脈打っていなくてはならないんだ、と言っています。さらっと発言していますが、非常に重要な発言だと私は受け止めました。法の精神がなければ、「仏作って魂入れず」でしょう。
「大学に進学すれば、まずはモンテスキューが書いた『法の精神』を読むでしょう。しかし、これほど今日忘れられているものもありません。・・・今日、法律の条文は敬われるけれど、法の精神はないがしろにされているんです」
こう語ったうえで、ロザンヴァロン氏は、マクロン大統領には古代ローマ時代の古典の読書が足らないと批判します。たとえば演説の名手と名高かったキケロの書です。マクロンはナンテール大学に加えて、パリ政治学院を出ており、さらに官僚や政治家を輩出するENAも卒業していますが、そのマクロンにして、古典の教養が欠けていると指摘するのです。私はキケロを読んだことがないので、恥ずかしい限りですが、そういえば、かつてのチャーチル首相も演説の草稿で詰まった時は書庫のキケロを引用していたようです。古代ローマで演説が重要だったことは政治の「権威」と関係しているのです。
「権威というものは、古代ローマ時代においては、出された結論に関して、暴力もなく、強制もなく、議論を中断することもないままに、民衆を説得できる、という力を意味したのですよ」
要するにマクロンは警察をデモ隊の鎮圧に大量に動員して、暴力によって封じ込めることしかできない。だから、そこには権威がないし、人々から「承認」を得ることがないのだ、という意味でしょう。すなわち、十分に国会で審議を尽くしもせず、国民に情報をきちんと出しもせず、議会で強行採決をしたり、49条3項という非常手段を何度も使って制定したい法律を矢継ぎ早に作っていく、そんなやり方には権威がないのだ、と私は理解しました。今年、年金制度改革案への反対で200万人あるいは300万人というような史上最大級の数のフランス市民が街に出て声を上げたことは記憶に新しいところです。しかし、その後も49条3項を使って、下院の議決がないままに法案を通してしまいました。ロザンヴァロン氏は今、フランスは近年最悪のデモクラシーの危機に陥っていると明言しています。マクロン大統領は、法の条文こそ重視しているものの、肝心の魂である法の精神が欠けているというわけでしょう。
これを聞くと、日本人はデジャビュ感があるはずです。それは2013年暮れの特定秘密保護法反対デモや2015年の安保法制反対デモと、安倍政権によってそれらが強行採決された瞬間の記憶です。岸田政権の入管法改正の時もそうでしょう。そこには他者による「承認」はなかったと言えます。したがって、ロザンヴァロン氏にならうなら、この10年にわたって日本の政府には権威が欠けているということも言えるでしょう。
さらにロザンヴァロン教授が述べたようにマクロン大統領に政治の教養が欠けているのであれば、安倍首相(当時)や岸田首相にはどのくらい欠けているのか、と想像が広がります。もしかすると、今、「プロ」の政治家と称する人々の大半は、政治学の古典も近代民主主義の書籍群も、何ら読んだことがないのではないか、という疑問がわいてまいります。なぜ彼らは民主的でないのか?と言えば、実は頭の中に民主主義が何か、という情報がゼロであり、まったく理解不能なまま、先代がやってきたように周囲の側近や官僚の忠言に沿って「右へ」とか「左へ」とか言っているだけかもしれないのです。これは日本においては、日本版アンシャン・レジームである「政治家の世襲制度」とも関わっています。私は極端な非常識なことを書いているのでしょうか?日本の政治家が本当に「代理人」としてふさわしい人間なのか、振出しに戻って一人一人直視してみましょう。それは私たちの一人一人が自分や家族の人生を他人任せにせず、大切にすることと同義であり、人生の主導権を取りもどすことに他なりません。
さらに言えば、弁護士出身とか、官僚出身であっても、教養があるという保証はどこにもないのです。公務員試験や司法試験に合格した、というだけで、あとは頭は白紙なのかもしれません。そういう人は胸にバッジをつけているだけのことです。そういう偽物の権威は信用しないことが良いのです。東大とか、早稲田・慶応と言った記号もそうです。たまたま入試に合格した、というだけかもしれないのです。私は、それを誰よりも実感で理解するのはエリート校の出身者自身だろうと思います。エリート校の出身者が皆愚かだというのではありません。基本的に優秀なのでしょうが、一定の割合で傲慢で無能で有害な人間が混じっているという私たちの経験的な事実です。ですから単純に人をブランドで判断せず、一人一人の資質と人間性を冷徹に見極める必要があります。なぜ日本の政治・経済が没落し、社会が不協和に満ちているのか、その真の理由に迫る時が近づいています。
■モンテスキュー著「法の精神」 〜「権力分立」は日本でなぜ実現できないか〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312260209124 ■「現代政治学の基礎知識」(有斐閣) 〜政治の再構築に向けて〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312020312161 ■ジョン・ロック著 「統治二論」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312221117340 ■トマス・ホッブズ著 「リヴァイアサン (国家論)」 〜人殺しはいけないのか?〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312292346170
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