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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2024年05月23日23時54分掲載
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アジア
「南シナ海航海記」(1)老朽輸送艦での過酷な旅に イルカに抜かれながら西へ
南シナ海の島や岩礁などめぐる領有権問題は、いまだに平和的な解決に向けた具体的な枠組み合意に至っていない。特に南沙諸島海域に対してはフィリピン、中国のほか、ベトナム、マレーシア、ブルネイ、台湾の5カ国地域が領有権を主張し、ブルネイを除く4カ国地域が島や岩礁を実効支配している。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)は、南シナ海行動規範(CoC)の作成で合意しているが、いまだにCoCの内容は協議中のままだ。この領有権問題があるがゆえに、南シナ海の島や岩礁は一部の漁師や軍関係者以外は訪れることのないは秘境になっている。そこはどんなところなのかについては、ほとんど知られていない。10年前の旅になるが、筆者は南沙諸島の島々をフィリピン海軍の輸送船に乗って訪れている。当時の記録を元に「南沙諸島航海記」を書き残しておく。(REAL ASIA特約=石山永一郎)
【航海1日目】 イルカに抜かれる老朽艦 フィリピン南西部パラワン島の州都プエルトプリンセサを朝に出発したフィリピン海軍の輸送艦ラグナは、パラワン島の東海岸をまず南へ下った。その日の夕刻にパラワン州南端にあるバルバック島とパラワン本島との間にある北バルバック水道を抜け、ようやく西に舵を切った。 夕刻になってようやく暑さは和らいだが、日中はとにかく日差しが強烈だった。ほぼ真上から照り付ける5月の太陽に焼かれた甲板は素足で歩くとやけどするほど熱かった。 南シナ海に入った船は、原色に近い青に染まる海を滑るように走った。 南沙諸島で漁をするルソン島の漁師たちに聞いた話によると、南シナ海の波が荒れがちなのは、7〜12月にかけてのフィリピンの台風シーズンで、1月からは徐々に波は穏やかになり、5月が最も漁をしやすいなぎの海になるという。その5月に私たちは南シナ海に入った。 もともと南沙諸島海域は、北に中国大陸、東はルソン島、南はパラワン島、西はボルネオ島に囲まれたいわば内海だ。太平洋などと比べると、稀にフィリピン群島を超えて、台風が訪れる時以外は、波が穏やかな熱帯の海だ。 昼間に舷側の手すりから真下を見ると、イルカの群れが跳ねながら船を追ってきた。30分近くその群れは船を追い続け、やがて船を追い抜いていった。 私たちが同乗した輸送艦ラグナは第2次大戦中の1943年に米軍が建造した老朽艦だった。艦長のレイエス中尉は「第2次大戦では米軍のレイテ上陸戦に参加した」という。その米軍から譲り受けたラグナの最高速度はわずか時速9ノット(約16キロ)。一般のクルーズ船や高速フェリーなどよりも大幅に遅く、エンジン付きバンカ(トリガーが付いた小舟)にさえ劣る。イルカに抜かれるのも無理もないスピードが遅い船だった。 最近は日本からの寄贈や軍備増強もあって、かなり立派で大型の巡視艇などもフィリピン海軍は持つようになったが、当時のフィリピン海軍はまともな船をほとんど持っていなかった。 とはいえ、舷側に立って海景色にみとれていれば、ゆっくりと進むことは気にならなかった。南シナ海に大きな夕日が沈むと天空には半月があった。 ただ、こたえたのは、船室の暑さと不潔さだった。あてがわれた二段ベッド付きの船室は、おそらく第二次大戦中は尉官クラス用と思われる3畳間ほどの広さで、大部屋ではないが、ドアの留め金は壊れていて船が揺れるたびに開いたり閉まったりする。そのうえ、機械油で床がぬるぬるし、そこには大きなゴキブリが数匹はい回っていた。 同行した共同通信の三井潔マニラ支局長(当時)、坂本佳昭カメラマンの2人は、船室を一目見るなり「ここでは…」と絶句、艦長の許可を得て将校用会議室のソファに移ったが、私は「ここでもいいか」とその船室に荷物を置いた。一応、エアコン付きで、壊れているドアをひもで縛り、ゴキブリを我慢すればそこそこ快適だったからだ。 しかし、夜になって若い水平が来て言った。 「エアコンを止めてください」。 エアコンを止めたら狭い部屋は灼熱地獄となる。「なぜ?」と聞くと、艦長命令とのことで「エアコンを各室が使い続けると、船の電力が尽きてエンジンが止まる」と言う。老朽艦ゆえの事情だった。仕方なく、その夜は灼熱地獄の船室で寝るしかなかった。船は真っ暗闇の海を西へと進んだ。(続く)
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フィリピン・パラワン島の海
地図
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