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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2024年11月11日20時18分掲載
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中国
経済成長の深部を描く中国映画『飛昇』FLY TO TRNCSEND(2) 経済大国とAI帝国が出会った深センで 田玉の物語 稲垣 豊
【田玉の物語】
◎背景
湖北省の貧しい田舎で生まれ育った田玉は、生活のために17歳で深圳に出稼ぎにきた。まだ18歳に達していなかったため、仕事を見つけるのは難しかった。しかし、フォックスコンは彼女を採用した。
フォックスコンは台湾企業で、アップル製品を製造する最大の請負企業。私たちが使っているアップルの携帯電話のほとんどは、フォックスコンの従業員の労働から作られている。フォックスコンは若い労働者を好み、インターンを募集するという名目で、田玉のような未成年者を多く採用している。若い労働者は体力があり、卒業したばかりでまだ資本の搾取に抵抗する方法を知らないからだ。フォックスコンは軍隊式管理を採用しており、組立ラインや宿舎の部屋割りよって労働者を分断する方法を用いている。そのため、彼らは感情を抑え、職場での不公平に対して団結することが難しい。宿舎の同室同士でも一言も会話をしないケースも多くみられる。
組み立てライン作業は退屈で単調だ。数え切れないほどの労働者が、毎日毎日このような仕事で青春を失ってきた。工場におけるテイラーシステムやフォード式管理は、労働者を思考力のない生産部品に変えてしまう。加えて、工場にはライン・マネージャー(職制)の命令がすべてという厳格なヒエラルキーがあり、この権力は生産ミスの責任を労働者に転嫁するなど、あらゆる種類の不公平を生む可能性がある。
◎事件
田玉が仕事を始めて1ヶ月が経った頃、賃金受け取り用のカードを発行してもらっていないことに気が付いた。彼女は職制に問い合わせたところ、いくつかの部署をたらいまわしにされ、職制たちからの軽蔑のまなざしと嘲笑の的にされた。彼らは彼女に、彼女が勤めていた龍華区ではなく、すこし離れた観瀾区の工場の管理部署に問い合わせに行くように言った。しかし結局そこで何の返答も得られなかった。
両親からもらった生活費は、最初の給料がでるまでの一か月ですでに使い果たしてしまい、見知らぬ工場の同僚からお金を借りることもできなかった。さらに運悪く、田玉の携帯電話は壊れており、深圳にいた親戚にも連絡が取れなかった。疲れ果てた彼女は観瀾区の管理部署からバスで職場のある龍華区まで戻りたかったが、お金は一銭も残っていなかった。 移動距離は10キロ以上もあり、午後から夕方まで歩いて帰るしかなかった。冷酷な工業帝国のただ中で、田玉の人間としての尊厳と価値は残酷に押しつぶされた。
そして2010年3月17日、田玉は工場敷地内にある宿舎の4階から飛び降りたのだ。その年、報道されただけでもさらに14人の労働者が飛び降り自殺を図っている。しかしその後、中国でニュースに制限がかかり、それ以降の飛び降り事件は報道されなくなった。しかし2010年の前後にフォックスコンの工場で飛び降り自殺を図った労働者は14人をはるかに超えている。
◎フォックスコンの偽善
田玉は一命をとりとめたが、半身不随の後遺症が残った。田玉の父親は家畜と畑をすべて売り払い、娘の面倒を見るために深圳に駆けつけた。フォックスコンは田一家に「会社は医療費の前払い分を遡って請求する権利を留保する」という内容の「医療費前払い申請書」に署名するよう迫った。その後数ヶ月にわたりフォックスコンは補償金の支払いを拒否するが、そのあいだにも、フォックスコンでは巨額の資金を投じて「命を大切にしよう 家族を思いやろう」と題した「従業員宣誓大会」を開催している。それは冷酷な資本の表情の上に「従業員を思いやる」といったマスクを被っただけのパフォーマンスにすぎない。
田玉の父親はほとんど絶望的だった。世論の圧力によってフォックスコンは10数万元の補償金を用意した。だがこの10数万元程度では、田玉の初期治療費を賄うにも足りない金額だった。
◎1年後
1年後、田玉は故郷の湖北省に戻った。彼女は下半身不随で、車椅子に乗って移動することしかできなかった。治療とリハビリの間、労働者の権利に関心を持つ多くの活動家たちが彼女を訪ね、話をし、生きることへの信頼を取り戻す手助けをした。田玉は「自分が不当な扱いを受けていると感じ、頭が真っ白になり、そして飛び降りたんです」と当時を振り返った。自分の面倒をみるために苦労する両親のことを思うと、田玉は深くため息をつかずにはいられなかった。
入院中、田玉は優しい支援者らの助けを借りて手芸を覚えた。彼女は室内スリッパを編む手芸を学び、それを友人や家族のネットワークを通じて販売した。彼女は少し希望が見えたような気がしたという。まだ動く両手を使って、すこしでもまともな生活が送れるようになりたいと思えるようになった。
しかし、フォックスコン飛び降り事件に対する関心が薄れるにつれ、スリッパの売れ行きもなくなっていった。2013年になると、彼女の足の傷は何度も化膿し、しばしば熱を出した。ときおり意識がぼーっとする時があったが、その時は自宅の植木を眺めることで、彼女は心が澄んでいくように感じたという。
◎7年後
田玉は24歳になった。着替え、ベッドから車椅子への移動、トイレ、ちょっとした家事など、ほとんど自分でできるようになった。彼女は毎日午前8時半から午後4時半まで、タオバオのネットショップのカスタマーサービスの仕事をしている。基本給は1800元〔1元13円程度〕、それに成績手当がつく。田玉は1日に200〜300人の客に対応しなければならないが、〔フォックスコン工場と違い〕いまは1日8時間だけ働けばよく、休憩も取れるので、彼女にとっては「ずっといい」仕事だという。彼女には今、タオバオのカスタマーサービスで働く障害者という新しい友人ができた。SNSで互いに連絡を取り合い、励まし合っている。
田玉の両親はずっと農業を営んでおり、毎日5時に起床し、日中は30度を超す暑さの中で農作業をして、夜8時にやっと帰宅して夕食をとる。寝る前に蚊取り線香に火をつけて枕元に置き、蚊取り線香が燃え尽きるころには起きだして、その日の仕事の準備に取り掛かる。
父親の田建党は深圳での事件によって一晩で髪が真っ白になった。田玉の妹は学校を中退し、2年のあいだ田玉の世話をしたのち、深圳の工場に出稼ぎに行き、組立ラインで青春を費やした。妹は工場を辞めて、化粧品を売る店で働くことで、生活にも余裕がでてきたという。田玉の弟は生まれつき耳が不自由で、障碍者学校を卒業したばかりだった。
◎14年後の現在
田玉の家族の近況は、田玉は床ずれ(下半身不随のため)で1年間寝たきりになっていた。治りかけていたが、父親が病気になったため、これまで田玉に薬を塗ったりしてきた母親が介護することが難しくなった。妹も実家にもどって介護をするが、不慣れなために床ずれの傷が再発してしまったことで、一年ほど寝たきりで治療する必要があった。こうしてオンラインでの仕事さえも難しくなっている。父親の病状は危篤状態から脱したが、脳に血栓が1つ残っている。もし自力で吸収できれば手術は必要ないという。 しかし、回復したとしても今後は力仕事ができなくなる。つまり、もう賃労働はできないし、農作業も軽作業に限定される。父親はまだ入院中で、国内の医療制度の問題で、一つの診療科には15日間しか入院できず、それを過ぎれば転院するか、退院して家に戻らなければならない。
田玉の生活は、他の人たちと同じように額に汗して働いている。彼女を見舞い支援の手を差し伸べた労働運動の活動家たちとは良好な関係を維持してきた。その中の一人が労働争議に関連して拘束されたとき、彼女は自分からこの捕まった支援者とのことを文章にして公表した〔※〕。いま彼女は懸命に働きながら、自分で自分の面倒を見ている。
しかし不幸が再び彼女たちを襲った。田玉の父、田建党が長期にわたる過酷な肉体労働のため、2024年8月に病に倒れた。診断の結果、原発性気管腫瘍、脳梗塞、肺感染症、大動脈と冠動脈の石灰化、高血圧が見つかった。父親は現在、頭部の酸素不足に苦しみ、自力で呼吸することができず、手術もできない。
父親の治療費を工面するため、田玉は家族や友人からお金を借りたが、焼け石に水だった。病院でクラウドファンディングサービスのスタッフと知り合いになり、すぐにそのプラットフォームでクラウドファンディングを開始したが、このプラットフォームはあまり正式なプロセスやシステムではなかったようで、彼女の支援者らは懐疑的だった。幸い、心配していた友人たちの助けもあり、田玉の家族はそのサービスから現金を引き出すことができた。いまは〔信頼のある〕水滴籌のプラットフォームでクラウドファンディングを始めている。多くの心ある人々が、経済的に困難に陥ってしまったこの一家を支援することで、今回の災厄を乗り切れるよう願っている。
〔※ 訳者:この文章は上映会資料にはありませんでしたが、以前訳したことがあったので以下に紹介しておきます。田玉さんが文章のなかで言及しているW君は2019年3月20日に「挑発騒動罪」の容疑で逮捕されています。じん肺患者らの賠償請求運動を支援したことが「騒動を挑発した」ということになるそうです〕
「入院中、大学生が果物を持ってお見舞いに来てくれた。また見舞いに来ます、今度は男の子と一緒に来るよ、と告げて帰って言ったが、もう来ないだろうなとおもった。ところが本当にまた見舞いに来てくれた。しかも本当にちょっとイケメンのお兄さんを連れて来た。Wくんって言うらしい。ユーモアがあって、明るくて、すぐに仲良しになれた。いつも車いすを押してくれて一緒に庭を散歩したり。あるとき取材にきた記者さんが、17歳の女の子らしい持ち物を何も持っていないというようなことを言ったみたい。それを聞いたWくんは、可愛いノートとかペンとか、ぬいぐるみとかをプレゼントしてくれた。わたしは農村出身の女の子で、家も貧しかった。両親はすごく可愛がってくれたけど、それ以外で私のことをこんなに気にかけてくれたのはWくんたちが初めてだった。下半身が回復する望みはほとんどないみたいだけど、もしリハビリのときに彼らがいなかったら絶望にくれていただろう。彼らからもらった希望が、いま私の自信につながっている。弱い人たちに支援の手を差し伸べ、社会の希望のような彼らがどうして警察に連行されてしまうの。連行するとき警察は『君らは洗脳されてる』って言ったって?いったいどういうことなのか全くわからない。Wくん、早く戻ってきてください。あなたに助けてもらったみんなが、あなたのことを待っています。」
(続く)
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