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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2025年03月14日16時14分掲載
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欧州
イタリア現代史ミステリー第2弾「ウスティカの悲劇」(その2)~チャオ!イタリア通信(サトウノリコ)
事件当時、ローマの検察官だったジョルジョ・サンタクローチェが事件の捜査を担当する。サンタクローチェは、1980年11月にワシントンに赴く。アメリカ海軍の元戦闘機操縦士で航空レーダー分析の専門家であるジョン・マッキンドルにレーダー分析をしてもらうためだ。
マッキンドルの結論は、こうである。DC9の他に戦闘機が飛行していた。その戦闘機は太陽を背にして、西から東へと飛行していた。まさに、それは戦闘態勢の時にする飛行方法だ。
さらに、1982年にはBBCの「パノラマ」という番組で、ペンタゴンのコンサルタントであるジョン・トランシューもレーダーを分析した結果、戦闘機がミサイルでDC9を撃墜したという結論を出している。図を使って説明している映像が残っているが、戦闘機はDC9の右側である西から東へ飛行していたと分析している。飛行中のDC9の右側の席にいた副副操縦士エンツォ・フォンターナが見たのは、まさしくこの戦闘機。ただ、戦闘機は太陽を背にしていたため、日の反射で目の前に来るまで見えなかったのだろう。目の前に突然現れた戦闘機に「何だ、これは・・・」と言って、その後DC9は墜落したのである。
ここで問題になるのは、この戦闘機はどの国のもので、どの国に責任があるのか。それは今もって不明のままだ。
さらに、レーダー分析の専門家、エンツォ・ダッレ・メーゼはDC9の陰に飛行機が1機か2機隠れて飛んでいたと証言している。エンツォ・ダッレ・メーゼは1990年から1999年にかけて、判事ロザリオ・プリオーリのもとでレーダー分析を行った。
彼の推測では、これらの戦闘機はフィレンツェとシエナの間、アペニン山脈あたりからDC9に隠れて飛ぶようになった。ローマのチャンピーノ空港の管制塔が、レーダーにその戦闘機を認め、グロセット市(トスカーナ州)にある空軍基地へと連絡が行き、そこから戦闘機二機が飛び立つ。その二機の操縦士が上空で何を見たのかは明らかにされてないが、二人の操縦士は非常事態警報を出す。それから、旅客航空機の航路に入ったと連絡を受けて、基地に戻っていった。
この二人の操縦士、そしてグロセットの空軍基地でレーダーオペレーターをしていたマリオ・アルベルト・デットーリについては、後日談があるので、また言及する。
NATOの公式記録で、当日DC9が墜落した前後でティレニア海を飛行していた飛行機の記録がある。そこにはイギリス支援司令部航空機、ナポリにあるNATO軍の飛行機(軍事訓練をしていた)などにまじって、身元不明の飛行機が5機あった。さらに、レーダー分析では、海から飛び立って、海に着陸している飛行機もあった。つまり、航空母艦の存在である。身元不明の飛行機とは、秘密裡にイタリア上空を飛んでいるということ。なぜ、秘密にしなくてはいけないのか。
戦闘機が戦闘態勢でイタリアの上空を飛んでいたという、この事実。私たちの知らないところで、どこかの国が戦争をしていた。いわゆる今現在起きている戦争、ロシア対ウクライナ、ハマス対イスラエルというようなテレビで報道される戦争ではなく、日常生活の中に隠れて行われた戦争。まさに、DC9はそこに巻き込まれてしまった。それだけは確実な事実だ。
1997年、予審判事による捜査が「DC9の墜落の実行者が不明のまま」という理由で打ち切られ、殺人事件としての裁判までには至らなかった。ただ時効はないため、新たな証拠や証言が出れば、捜査は再開される可能性はある。
1999年には、捜査に関する大量の文書が公開され、そこでDC9の墜落が航空機の構造的欠陥と爆発物が原因ということは完璧に取り除かれた。つまり、DC9の墜落は外部からの原因だ。文書にはこんな一文がある。「イタリア空軍とNATO内部の沈黙と虚偽の証言によって妨げられ、何が起こったのかについての情報を汚染したり隠蔽したりする影響を及ぼした」
その後、2000年に4名の将軍に対して、証拠を隠蔽したり情報を操作したということで、事件の捜査を妨害したための裁判も行われたが、証拠不十分で4名とも無罪となっている。
判決文の最後はこのような一文で結ばれている。
「DC9での事故は軍事迎撃行動の後に発生し、DC9は撃墜され、81人の罪のない国民の命が、まさに戦争行為、事実上の宣戦布告なき戦争、秘密国際警察の行為によって奪われた。それは、わが国の国境と権利を侵害した。」
2008年にはDC9が墜落した当時、イタリア首相だったフランチェスコ・コッシーガがニュース番組のインタビューで、DC9を撃墜したのはフランス軍だと話した。コッシーガは、2002年当時には、DC9は構造上の欠陥により墜落したとずっと信じていたと語っていた。それが、どうして劇的な意見の変化を見せたのか。
コッシーガは2010年に亡くなるが、それを予感していたのか。死を前にして真実を話そうとする人間の心理だったのだろうか。
今でも、何が原因でDC9が墜落したのかは、明らかになっていないが、時間の経過とともにコッシーガだけでなく、関係者からの新たな証言が出てきている。また、当時のDC9が取り巻かれていた状況を考え合わせると、一つの線が浮き上がる。それには、1980年当時の国際情勢、イタリアを含む地中海地域の情勢を見る必要がある。
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