■セラード地帯の大豆生産量は25年間で約38倍に
終章では、横田さんはじめ多くの日本人が、巨額の資金と技術力を費やした“セラード開発”によって、ブラジルの農業がどれほど飛躍したのかを、具体的に数字を見ながら検証していきたい。
第5章「セラード、新たな使命との出会い」(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200806191452004 )でも述べたように、不毛の大地 “セラード”の開発にいち早く取り組み、土地の改良を重ねることで、土台を築き上げていったのは、コチア青年たちであった。 日本政府が、1979年〜2001年までの約21年にわたっておこなった「日伯セラード農業開発協力事業」に踏み切ったのも、当時、首相であった田中角栄が1974年に訪伯し、コチア青年らが開拓していたセラード地帯を視察したことが大きなキッカケとなっている。
このセラード地帯では、少量の水でも育ちやすい“大豆”や“とうもろこし”が主な生産物であるが、なかでも“大豆”は、セラード開発以降、急激に生産量を伸ばした穀物である。 国際協力機構(JICA)発表の報告書によると、セラード開発地帯での大豆生産量は、1975年に約43万トン(ブラジル全土の大豆生産量の約4%)であったものが、1985年には約66万トン(ブラジル全土の大豆生産量の約36%)に、1995年には約1,250万トン(ブラジル全土の大豆生産量の約49%)に、そして、「日伯セラード農業開発協力事業」が終了する一年前の2000年には、約1,700万トン(ブラジル全土の大豆生産量の約53%)もの生産量となり、25年間で約38倍に増加しているのだ。
そしてブラジルは現在、アメリカに次ぐ世界第2位の大豆生産国となり、輸出量に至っては、アメリカを抜いて第1位となっている。
もちろん、ブラジルの大豆生産量が、ここまで短期間に増加した背景には、これまで述べてきたとおり、アメリカ政府による大資本の投下や、穀物メジャーの進出といった要因があることは間違いない。 だが、そこに至るまでの間、まだ誰も“セラード”に着目していなかったころから、地道に土地の開発を重ねてきた日本人の努力と技術力があればこそ、今日の成果があるのだということも、忘れないでいたいと思う。
■今もなお戦い続けている日本人を、誇りに思いたい
しかし、もっとも忘れてならないのは、横田さんらのように、今でもなお戦い続けている日本人がいるということだ。
「私が命がけで守ったバイアの土地は、決してアメリカの息のかかった輩には売りたくないんです」
横田さんは68歳になった現在でも、安易に自分の土地を手放さず、信頼できる日本の協力者らとともに、再びバイアを開拓できるその日に向けて準備を進めている。
横田さんらのエピソードは、遠く海を渡った日本人たちの、ほんの一例にすぎないが、人知れず世界の食糧供給に貢献し、今もなお戦っている彼らの生き様を知ることは、我々にとっても大きな誇りとなるのではないだろうか。 この特集は今稿で終了となるが、これからの横田さんの活動についても、折に触れてご紹介したいと思う。
また、来年は、ブラジルのアマゾンに日本人が入植してから80周年を迎えるため、アマゾンに関連した情報もお伝えしていきたい。
最後に、拙稿にもかかわらずお読みくださった皆さまに、お礼申し上げます。 (完)
セラード地帯の大豆生産量推移(単位:1000トン)<table width="100%" border="1"><tr><td>年</td><td>1975</td><td>1985</td><td>1995</td><td>2000</td></tr><tr><td>セラード地域の<br>大豆生産量</td><td>4,300</td><td>6,630</td><td>12,500</td><td>16,660</td></tr><tr><td>ブラジル全体に<br>占める割合</td><td>4%</td><td>36%</td><td>49%</td><td>53%</td></tr></table>(出典:JICA「日伯セラード農業開発協力事業・合同評価調査報告書」2001年1月)
◇ 参考文献 JICA「日伯セラード農業開発協力事業・合同評価調査報告書」
|