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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2013年03月09日23時11分掲載
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欧州
パリジェンヌの日記 ~短編映画「不測の事態」のスタッフになる②~ ヴィルジニー・ブリエン
④準備
「演出の詳細な準備は撮影の1か月に集中的に行いました。いつものように短期間で脳を全開させるわけです。アイデアがどんどん湧いて出ますし、不明瞭だった点が明瞭になってくるのです」(監督;ローラン・ノエル)
コンテを技術スタッフと考え、またロケの場所を探す。
「ロケハンをしながら、スタッフを募集しました。いつもともに仕事をしている芸術的にも技術的にもクオリティが高い技術スタッフを雇いました。こうした仕事の場合は人格のバランスのとれた人、仕事に哲学を持っている人、誇れることを求めている人を何よりスタッフの選考の基準にしました。短編映画作りではスタッフはたいてい無給です。ですから、スタッフにとっては参加することに意義が感じられることが大切です。表現において優れていることが大切であることは言うまでもありません。今回、何人かはやめてしまいました。プロとしては待遇が悪いと思った人もいれば冒険したくないと考えた人もいるのでしょう。
チーフ助監督も撮影開始の1週間前にやめてしまいました!やめたチーフ助監督の代わりにやって来たのは野心満々の若い映画監督でしたが、助監督を務めた経験はありませんでした。そこで制作会社の社長をしている友人のフィリップ・シキルジが助けてくれました。シキルジの助力のおかげでロケ場所が短期間で決まりました(随分パリを歩いて回ったものです)。私たちはあえて映画でよく見るパリを選ばず、パリについて考えることができるようなパリを探しました。撮影開始一週間前になってもまだ一か所撮影場所が決まっていないシーンがありました。そこでやむなくシナリオを書き変えて、何とかしました。それはパリ郊外のあるおとぎの公園です。これは知られていない場所でしたが、とても変わっていて、素晴らしい発見でした。」(ノエル)
⑤そして配役は・・・
「俳優の大半はフランソワの家族でした。フランソワのことは信頼していましたし、その他の俳優たちもいい演技をしてくれる限り文句はありませんよ。実際に演技は上々だったんです(ノエル)
⑥技術パート
「技術パートに関して言えば、各担当者と撮影までにたっぷり議論しました。カット割り、カメラマンや撮影機材の選定、衣装については衣装担当者と、アクセサリーや小道具などについては装飾係と、それぞれの担当者からアイデアを出してもらいました。」(ノエル)
⑦撮影期間
撮影期間はわずか3日間だ。2011年の5月11日、12日、13日に、パリ郊外及び、パリ5区とパリ12区で行われた。
「1日の時間が限られているので全体に押し気味だったものの、撮影はおおむね順調でした。初日は複雑で最も疲れる一日でした。というのは車のシーンがあったからです。カメラをボンネットの上や窓に固定しなくてはならなかったのです。録音技師のテオはスポーツカーの隙間に体を折り曲げて入り込みました。車は308CCクーペでスポーツカータイプだったから、スペースがほとんどなかったのです。テオは我慢強かったうえに、機敏でした。素晴らしい男です。
天候は不安定で突然にわか雨が降ったかと思うと、次には晴れ間が広がるような具合。映像の整合性を取るのには不都合でした。その上、撮影時間が短くなってしまうのです。やむなく、3つの異なる時期を物語に導入することになりました。物語の始まりは3月に変更しました。3月、フランスはにわか雨が降る季節なのです。雨が降ったかと思うと急に晴れあがる。だから、丁度撮影時点の天候によく似ているのです。
撮影は始終てきぱきと行われました。時間が限られていたからです。カット割りは事前に作られ、カット数自体も少なくしました。俳優の演技も撮影前に入念に準備されました。というのも緻密な計算を要する喜劇だからです。
スタッフと監督である自分の間には齟齬もありました。たとえば撮影のチーフ。始終つまらなそうにしていましたし、他のパートのリーダーが時間を取っていると我慢できないようでした。自分が手間取っている時は監督である自分には目を合わせないようにしていました。要するに個人主義的だったのです。後にそのことで彼と話し合ったものですが、彼にとっては厳しい仕事だったみたいです。そもそも彼は十分この短編映画にとりかかる準備が不足していました。
完璧にこそいきませんでしたが、映像は中々の仕上がりだと思います。撮影と言うものはそもそもいい点も悪い点もともに含んでいるものです。最後の一日は素晴らしかった。天気もよく、撮影の進行もにリズムがありました。場所は田園で、午後はまるでピクニックに来たようです。そこには歓びが満ちていました。
最後のカットを撮影すると、駐車場の机の周りにみんなが集まっていました。そこで一日の撮影終了と全体の撮影終了を祝って乾杯したのです。みんな立ち去りたくなかったのです。そもそも撮影期間は3日しかなかったからですが。スタッフがすでに旧知の中であれば緊張もなく、意思疎通もすばやく行うことができます。それは撮影の動きにも関わってきました。」(ノエル)
「強烈な3日間だった!シャンペンの泡が私達を軽く、そしておバカにしてくれたみたい。それはまさに恩寵だった。というのも映画はうまく出来上がったからだ。この映画は私達を守ってくれるだろうし、もっとずっと遠くへも連れて行ってくれるだろう。「不測の事態」の物語はまだ完結していない。みんなに感謝するわ。なんて幸せなのかしら。シャンペンの小さな泡の中にどれくらいのエネルギーを注ぎ込んだか、計測するのは無駄。疲れも、緊張も、汗も、みんなこの幸せの中に消えてしまったわ」(女優;ベネディクト・ラフォン)
「素晴らしい3日間だった。プロのスタッフに囲まれていた。通りは撮影のため、封鎖されていたし、カメラは2台あった。天候不順に悩まされたが、光も音も本物だ。」(男優;フランソワ・パティシエ)
寄稿:ヴィルジニー・ブリエン(Virginie Brien) 翻訳:村上良太
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パリ市内の撮影風景
ラフォン(左)、パティシエ(中央)、右端に立っているのが監督のノエル
私(ヴィルジニー・ブリエン)。美術監督として小道具を準備中。
監督(右)とスクリプター
スタッフで記念写真。最後列の左が私。右は女優のベネディクト・ラフォン。真ん中の列の中央が監督のノエル。最前列にパティシエがいる。





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