2月末にイタリアの総選挙が終わり、不安定な政局だが、ひとまず金融危機は収束できたという観測が生まれた。これで一連のヨーロッパ・ユーロ圏の金融危機を回避できたと胸をなでおろした。しかし、それから1ヵ月もしない3月末、今度は同じユーロ圏のキプロスで銀行が危機に陥った。
1.キプロスという国
キプロスは、地中海に浮かぶ島国で、1960年、英国から独立した。住民にはギリシャ系とトルコ系がいて、北部に住むトルコ系が貧しいため、両住民間の抗争が絶えなかった。 1974年、当時のギリシャ本土の軍事政権がキプロス島の併合を宣言した。これに対して、少数派のトルコ系住民の保護を名目にして、トルコ軍がキプロス北部に進駐した。以後、北部はトルコ軍が実効支配している。
トルコ軍の占領によって、キプロスの経済は損害を蒙った。まず、トルコ軍占領地域に住んでいたギリシャ系住民は、家、土地、仕事を失った。キプロスで唯一、深水港であるファマグスタ港と首都ニコシア国際空港を失った。2年間で、ギリシャ系の経済のGDPは3分の1に落ち込んだ。
ギリシャ系地域の「キプロス共和国」は国際社会で承認されたが、北部のトルコ系地域を承認したのは、トルコ一国だった。以後「キプロス」という場合は、ギリシャ系住民地域を指す。
キプロスは、04年5月、EUに加盟した。しかし、人口センサスがないトルコ系地区を除くキプロスの人口は、86万人であり、観光業だけの経済では、とうてい持続可能な発展は望めなかった。
2.観光から金融センターに
そこで、キプロスは、ルクセンブルグやアイスランドなど極小国の例に倣って、年率6〜7%という高金利で、世界中から預金を集める「金融センター」を国家ぐるみで仕立て挙げた。北部のトルコ系地域でも、これに便乗して自分たちの銀行に預金を集めた。
キプロス政府は、金融に通じた弁護士、会計士など、金融業に必要なインフラストラクチャーを整備した。そして、集めた資金を、米国のサブプライムの住宅金融公社「IndyMac」や、ギリシャの国債などハイリスク・ハイリターンの部門に投資をした。たとえば、キプロス銀行は、定価1ユーロのギリシャ国債を0.7ユーロで買った。08年、ギリシャに財政危機が起こり、その国債は75%下落した。その結果、「キプロス銀行」は、16億ドルの損失を出した。
このような危険な「スペキュレーション(投機)」は、通常、ヘッジファンドが行うもので、「キプロス銀行」のような正規の商業銀行ではやらない。しかし、とにかく、「キプロス銀行」と「ライカ(Laika)銀行」の2大銀行に、世界中から預金が集まった。その最大の預金者は、ロシア人であった。キプロスには、6万人のロシア人が住み、毎夏、ロシアから億万長者がやってきて海岸で甲羅を干しているのが風物詩になった。
キプロスの銀行の預金総額は、GDPの9倍に達した。08年の一年間で、407億ドルの預金とローンを集めた。これはこの年のGDPの161%に上った。 また、キプロスは、法人税を10%という低い「タックスヘイブン」を設定して、外資を呼び込んだ。ちなみにヨーロッパで最低だといわれるアイルランドでも12%である。その結果、キプロスに32万社の外国企業が登記した。
3.新しいキプロスのBail Outメカニズム
しかし、このような金融バブルは長続きしない。やがて銀行は不良債権を抱えてメルトダウンした。キプロス政府は、「ヨーロッパ委員会(EUの政府=EC)」、「ヨーロッパ中央銀行(ECB)」、「国際通貨基金(IMF)」の「トリオ」に170億ユーロの救済融資を求めた。
トリオは、キプロスに、100億ドルの救済融資(Bail Out)を承認した。残りの70億ドルは、キプロス国内で調達しなければならない。そこでキプロス政府に、10万ドル以下の銀行預金に6.755%、10万ユーロ以上には9.9%を課税するという新しい条件を付け加えた。
これは、ECBとユーロ圏蔵相たちによって、承認された。しかし、これは間違いだった。ドイツと英国のメディアが、ドイツの秘密情報機関がリークした情報を、「キプロスはロシアの麻薬資金の洗浄の場となっている」、「キプロスがトロイカの条件に抵抗するのは、汚いマネーを守っているからだ」という非難キャンペーンを始めた。
しかし、キプロスのダーティ・マネーの洗浄を監視する機関である「Mokas」の記録では、スイスの銀行の「秘密度」は1879.2、ドイツは669.8、英国は616.5になっているのに比べてキプロスは、408.5と低い。つまり、透明度は高い。
キプロス議会は、銀行預金に課税するという政府の法案を、全会一致で拒否した。その結果、10万ユーロ以下の預金は「ペイオフ(保証)」されることになった。それ以上の預金の80%には課税され、それ以上は没収される。しかし、これが決まった時点では、すでに40億ドルの預金がキプロスから逃げ出していた。 5,000人が職を失い、厳しい資本管理が敷かれ、多くの規制が導入された。もはやキプロスは投資天国ではなくなった。
キプロスの金融危機の解決法は、これまでとは異なって、銀行預金者も救済(Bail Out)に参加させられた。この点について、ユーロ圏蔵相グループの代表であるオランダのJeroen Dijsselbloem蔵相は、インタービューで「これからの銀行危機には、ユーロ圏の政府だけでなく、銀行預金者もBail Outに参加することになった」と語った。
これは、スペインやイタリアのような危ない国にとっては、脅威であった。それで、盛んに「キプロスのケースは例外だ」と主張している。
(つづく)
国際問題評論家 Yoko Kitazawa url : http://www.jca.apc.org/~kitazawa/
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